演者が己の演じる姿を観ることは大事なことです。
昭和の初期まで、己の舞台を映像で見ることは一般的ではありませんでしたが、近年録音や録画の技術が進み、演能後に自分の舞台姿を観たり聴いたりすることが可能になりました。
これは単に記念に残すだけではなく、己の欠点を知るよい機会となります。
昨夜放映された厳島神社・観月能・喜多流『融』シテ友枝昭世、仕舞『鵜之段』粟谷能夫、『松風』香川靖嗣、『船弁慶』出雲康雅は、屋外のしかも夜の公演という特殊なロケーションで撮影されました。
屋内の、密室の能楽堂に慣らされてきた現代の能楽師にとって、屋外の陽の落ちた暗い時間帯での演能は稀有なことで、演者側にはいろいろやりにくい点も多々あります。
しかしそれを払拭させるほどの魅力があることも確かです。
観月能は10回目を数えますが、私は8回ほど参加してきました。
舞台だけに照明を当てると、照らされる演者にとって周りは真っ暗になり、なにも見えなくなります。そのような舞台で、私も仕舞や能『松風』のツレを経験してきましたが、決して滑りがよい舞台ではなく、海に落ちる危険もある状況で、シテを演じられてきた友枝昭世師を尊敬しています。
さて、このようなロケーションを、観客席からはどのように見えているのだろうか?
、といつも気になっていました。
これまでは演能後の観客の方々の印象や感想だけが頼りでしたが、今回NHKの公開録画によって、演者自身が己の姿を見ることが出来て嬉しくもあり、私にとっては自分を確認するよい機会となりました。
4月16日から三日間行われる桃花祭・御神能の厳島神社能舞台は、遠い昔から自然の陽の光のもとに朝から夜まで演じられて来ました。最近は夜遅くまで演じられることがなくなりましたが、伝統ある形式は引き継がれています。
人々が行き交う雑踏の中であっても、私たちは神事としての奉納の精神で勤めているのです。
一方、近年秋の名物行事となった観月能は、御神能の精神とは違い、魅せる演能です。
秋の夜、海に浮かぶ厳島神社能舞台は照明に照らされ、海面に立つ波形が舞台に写り幻想的な世界を演出します。観る者の想像力は自然と膨らむでしょう。
テレビ放送のお陰で、私も観る側に立ち、このような世界があることを知ったのは思いもかけぬ幸運でした。
そして、そこから見えたものは、美しい能の世界でもありましたが、隠れていた己の欠点や、様々なものも見えたのも事実です。
このチャンスを生かして更に上を目指さなくてはいけない!
そう思うよい資料となりました。
これが私の本音の感想です。
明けましておめでとうございます。
昨夜、思いもかけずテレビ放映に遭遇いたしました。
突然、聞き覚えのある船弁慶の謡が流れ、その中にくっきりと浮かび上がる先生のお声を聞いた気がして、しばし釘付けになって正座をして拝見いたしました。(笑)
画面の中に、薪能でお世話になる先生方のお姿を発見して嬉しくなると同時に、(これが厳島神社の海の中の能舞台かぁ~~!!)と、その幻想的な風景に引き込まれて見入ってしまいました。
水面に当たる照明の反射で、波のゆらめきが能舞台に
映し出され、それが本当に効果を生み出していたように思いました。
あの舞台の正面ぎりぎりの所まで加速して歩まれるところなど、ドキッとしてしまいました。当然のことながら見えてない状態ですものね。
素人の目には、舞台裏や舞台上の難しいことはわかりませんので、ただ単に、その美しさに感嘆するばかりでした。
なんだかすごく得をしたような気分でした。ありがとうございました。
拙いコメントにて失礼いたします。
本年もよろしくお願い申し上げます。
録画のおかげで、そしてテレビのおかげでライブでこうしたお舞台を遠く離れた場所でも観賞できる世の中にはなりましたが、これほど実際に自分の目で、同じ場で観たい、と思わせる舞台はないような気がいたします。
けれども、観賞の最初の一歩としては、これはテレビの「功罪」の「功」にあたるのではないでしょうか。
Mika-RuBis様
コメント有難うございました。
あのテレビ放送で、能がよい方向で紹介されたのではないかと思います。
功罪の「功」が「幸」にもなればと思いました。
さて、柳の下にどじょう・・・は?
次回の能の紹介に期待しましょう!