能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

輝くものに

2012-06-23 07:18:11 | 言いたいこと・伝えたいこと 

海の蒼は空があるから、は名言だ。
海は綺麗な青色だったり、時には緑色系にも変わる、それは空色の仕業らしい。海そのものが光り輝いているのではなく、空からの、つまり太陽が照らしてのこと。太陽のようにそれ自体が輝きを発っするものもあれば、他の影響で、お陰で輝くものもあるだろう。人間社会にも周りのお陰で・・・というのはよくあることだ。周りが優れていると、並のものも輝きはじめるから、周囲は大切にしたい。

能の世界でも同じことが言える。能楽師には特別お上手な超一流もいれば、そこまで到達しない未熟な二流、三流の方もいる。正直な話、どの世界も同じはず。

未熟なシテでも優れたワキ方、お囃子方と地謡陣に囲まれれば、そこそこの舞台になるから、これは不思議。逆にいくら優れた一流の能楽師が頑張っても、周りがお粗末では、よい舞台にはならないのも正直、不思議だ。能はひとりではよいものが出来ないのだ。

総合芸術、優れた舞台はみんなのスキルと情熱が必要で、それが揃うと感動が生まれる。むずかしそうに見える能でも、それは変わらない。

私事だが、舞台には高水準の者しか上がってはいけない、とついこの間まで思っていた。舞台で間違えてばかりいるような能役者は舞台に上がるな、と目くじらを立てていた。
「なんだおまえだって大したことないじゃないか」と言われれば、それまでだが、舞台に対して真摯に取り組んでいる姿勢は誰にも負けないつもりだ。

シテ方で言えば、シテの時はシテ役になりきり謡い,舞い、装束を上手く着こなす、これに真摯に向き合い研鑽する。また逆の立場、地謡や後見、働になれば、装束を綺麗に人に着せてあげ、相手の舞の動きを見て、作品を謡う、すべてが出来て一人前だ。どれかひとつでも欠けてはいけない。先輩は常に、その姿勢を後輩の若者たちに見せ、若者がそれに憧れるような環境を目指さなくてはいけない、これに反論をする人はいないだろう。

さて、ここからが、ひとひねり。
能楽師だれもがこのように目指せばいいが、しかし現実はなかなかそうはいかないもの。
「半人前はどうしたらいいのか?」と父・菊生に話したことがある。

父は
「そんなものは、ほっておけ。下手がいるから上手がひかる、上手になれ」
だった。悪いものが、良い物を光らせる。真逆な刺激的な指導だったが、これも判るような気がしてきた。
「両説いずれも謂われあり」と『野守』の山伏は謡うが、なにごとも見方によって色々に見方える。ゴタゴタと書いたが、結論は、それぞれが、能という芸能に真摯に向き合い輝くよう研鑽するしかないということ。


輝きが有るか、無いか、是非確かめに能楽堂にいらしてほしい。そしてもし輝きが無かったとしても、輝きが見つかるまでどうか辛抱強く、観続けてほしい。
屹度いつかすばらしい輝きと出会えるはず、そしてその輝きがあなたの心を輝かせてくれる、能とはそのようなもの、そう信じている。

写真 
モノクロ 『熊坂』シテ 粟谷明生 撮影 吉越立雄
カラー  『羽衣』シテ 粟谷明生 撮影 石田 裕


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