これから常磐線に乗っていわきに向かう。
この電車、グリーン車もなく、日に何本しかない
超不便。
あまり乗りたくないのだが~~
仙台からいわきと経由して旅費を節約しようとするから
つい乗ってしまう。
そういえば来月も日立から仙台まで乗ってしまう。
懲りない明生だ。
ま~~定家でも覚え直しながら、行くとするか~~
きっと、あっという間に
寝ているだろう。
この電車、グリーン車もなく、日に何本しかない
超不便。
あまり乗りたくないのだが~~
仙台からいわきと経由して旅費を節約しようとするから
つい乗ってしまう。
そういえば来月も日立から仙台まで乗ってしまう。
懲りない明生だ。
ま~~定家でも覚え直しながら、行くとするか~~
きっと、あっという間に
寝ているだろう。
さて、早速なのですが、
「田村」について、明生さんにお尋ねしたい事があります。
喜多流においては、「白田村」を重んじ、
「田村」の「小書」というよりは、
別曲として扱っているそうですが、
この「白田村」は、
喜多流だけの「極重習」「大習」であるのでしょうか。
「極重習」といえば、能狂言では、
各流派共通の「極重習」として、
能では「道成寺」、狂言では「釣狐」「狸腹鼓」が思い浮かびます。
喜多流は、なぜ「白田村」を重んじるようになったのでしょうか。
またそれは、いつ頃からなのでしょうか。
ただ~~喜多流では大事にしている、ということでしょうか、
また詳細は自分が演じる時に書きましょう!
いつのことになるかわかりませんが
レポートの中で、ツレの床几の問題が取り上げられていましたが、先生のご意見もごもっとも、と思う一方、ツレが酒宴の際や琵琶を弾く際に床几を降りる、という姿を想像しますと、やはり袈裟を着けた演出だと多少不自然に、あるいは俗っぽくなるような気もします。
罪人として、出家は認めてはもらえずとも、「袈裟を着ける」というのは、重衡の我儘、というより最後のプライドを表しているように私には感じられました。
男女が大人の関係に発展する過程、として、一緒にお食事をして、音楽を愛でて・・というのはいつの世でも全く自然で普遍的なものではありますが、もしツレが床几を降りて、シテとの距離が近くなれば、それだけ二人の関係が生々しくなってしまう危険性も否めないような気がします。袈裟を着けていなければどうかな、あるいは逆に最後まで二人の関係は、あくまでもプラトニック、と解釈するならいいかな、とも思うのですが、個人的には「拘束」の意味より、「プライド」の意味で、床几に掛け続ける重衡をとらえたのですが・・・それでも最後は「普通の人間」として、敵方が用意した千寿と結ばれる・・この解釈はへんでしょうか?
とはいえ、一つの演出形態にとどまらず、できれば
床几を降りるツレ、も観て見たい、というのも事実です。伝統の世界ではいろいろ難しいこともあり、また基本的に申し合わせは1回、ということなのでしょうが、能楽師の皆様がいろいろな試みに挑戦していただけると、能の世界・奥行きもより広がり、結果的に演劇としての能の面白さを維持していくことになるような気もします。
時が過ぎてしまって、この場で間の抜けたコメント、すみません。
確かに、床几から降りていると、生々しくなったかな~~とも思えますね。
あれで正解だったかもしれません。
ただ、能役者のすけべ心として、あえてそこを生々しくならないで出来れば、それもいいじゃないの~~出来ないものかな~~とも思ってしまいましてね~
今回の「千寿」の演能はお客様の反響も好評だったようで、私としてはそれはそれで素直に喜んでいます。
能「千寿」は、たぶん今回で舞納めとなるでしょう。
一度演じておけば、もういい。私にはそういう曲でした。
今年は演能機会が少なく残念に思っておりますが、
7月盛久、
10月三輪神遊を頑張りたいと思いますので、またご来臨下さい、お待ちしております。
千手の解説の写真では、
重衡は床几にかけてませんね~
皆様すでにご存じかもしれませんが・・・
そういえば、盛久も袈裟を着けて
床几にかけるんでしたっけ?