20代から30代の頃、年に2~30番は、「すばらしい! 自分もこのような舞台に立ちたい!」と感動したものだ。時には舞台上で思わず涙も出るくらいに。
今、50代も後半になり、あのように感動することは少なくなった。誤解しないでほしい。すばらしい能役者がいなくなった、という意味ではない。単に私の感動興奮機が50年代ものと古くなり、相当刺激がないと針が上がらないようになってしまったからだ。
逆に「すばらしい!」と思う舞台に出会えた時のオジサンの興奮はまさに通常の二倍三倍に跳ね上がるから、決して壊れてはいない、と思う。そこそこのバランスを保っていると自己暗示をかけている。
印象に強く残るよい舞台というのは、若い感受性が豊かな時に見たものが多いのは仕方ない。同じ優れた能役者を50代の私と20代の息子が同時に拝見し、同じように感激したとしてもその度合いは異なるだろう。
それはともかく、多くの人の感動が積み重なり、時間が経過しても、その感動が心に残り伝えられていくものが古典だ。そういった歴史という「ふるい」にかけられて残ったもの、昔という遡る長い時間によって自然淘汰されたものだと思う。能役者も歴史という「ふるい」にかけると、よい役者だけが残る。当然のこと。
ただ、私は現代に生きる能役者として、「ふるい」にかけられる前の段階から能を見てほしい。ご自身の目で良い物と悪い物を見極めてほしい。「ふるい」とは、長い歴史だけではなく、今生きる演じる側と見る側の観客の心の中にいつもないといけないもの、そう信じたい。
京都黒澤様
コメント有難うございます。
お褒めいただき、恐縮です、
でもまだ熟成していませんよ、
感動、ドキドキ感、大笑い、気遣い
このあたりに焦点当てて生活したいですね
あくまでも、私の今の目標です