能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

悲劇の能の終わりに拍手はどうかな?

2012-01-29 08:35:38 | マジメ能楽 楽屋表話
能の悲劇の曲目のお話です。

一曲が終わり、演じた能役者に「よかったよ!」と送る拍手、あれってどうだろうか?

能は余韻を味わうところがよい、特に悲劇のものは尚更。

拍手は大事な余韻を消すようで、私はあまり感心しない。

昨日の大槻能楽堂自主公演での『小原御幸』のこと。

シテやツレがまだ橋掛にいるのに拍手が湧いた。

最近、関東では舞台に能楽師がいなくなってから拍手が起こる風潮だが・・・
関東と関西の違いなのだろうか?

感激したお客さまの気持ちの籠もった拍手なのでしょうが、
ちょっと帰れコールにも、そしてアンコールのおねだりにも聞こえたのは、
私の錯覚かな?

気になったのでメモ代わりに投稿しました。

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10 コメント

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当たり前です! (どうきゅうせい)
2012-01-29 09:14:48
無知な私でも、そのくらいの常識は持っています、でも、今の人はそれを知らない、と嘆く前に、そういう常識を人々に伝えていく必要もあると思われます、ただ、誰の役目、責任かな、学校?親?主催者側?ネコの鈴状態かな。

クラシック音楽の音楽会でも、たまに、わかってない人がいて、最後に消えゆく一音を惜しみながら聴いていたいのに、ぶらぼ~って叫んだりするから、みんな、がっかり、なんてことがあったりします。

もちろん、演奏途中のマナーも、今は、みんな、悪いです。そして、概して、誰も注意しない。どうしようもないと、係の人を呼んできますが、そもそも、そういうことになった状態で、気分は台無しです。

お能に限らず、いわゆるフトドキモノをどうするか、これは、誰に遠慮も要らない問題だと思います、是非、積極的に取り組んでいただきたいと思います。

頑張ってくださいね。
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お返事 (粟谷明生)
2012-01-29 09:43:52
どうきゅうせい様
コメント有難うございます。
そうですね、仰る通り、積極的に取り組んでいきます。
応援よろしくお願い申し上げます。
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フトドキモノ (Oshim)
2012-01-29 14:32:57
 どうも能とパチパチ・・は合わないように思います
小生は狂言も含めて静かに演者を見送るか、眼を閉じて反芻するかしています。
 なお観世流の久習会では、チケット同封のチラシに拍手を遠慮するようお願いが書いてあります。この会は徹底していてアナウンスもブザーもありません。
 1-2年前の能楽タイムズで確か京都在住の評論のかたが、東京の見所はマジメなのだがちょっと堅苦しい・・・みたいなことを書いておられ、京都も大阪も知らないのでフーンと思うばかりでした。
 マナーのことは諸論あると思いますが、生来ケチの
私としては、自分より良い席のひとが、この曲でこの瞬間を見ないでドーする・・所も平気で寝ていると
「チケット交換してくれ!」と叫びたくなります。
えてして、こういうお客が眠りからさめてセーダイに拍手するようです。
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Unknown (backyard)
2012-01-29 15:10:59
拝見しました! 一年間待ちに待った 関西での喜多流のお舞台でした。なかなかチケットとれないのです。東京までみに行くようになって 関西と関東では 見所のレベルが全然違う。喜多能楽堂はロビーでも飲食できないそうですが 昨日は見所でもぐもぐしてらっしゃる方もいて・・・関西でみている時は そんなものだと思っています。文化圏がちがうのかなぁ~。ほんとうにいい舞台はオシテ一人ではなかなかできないものだというのを近頃実感。見所も一緒になって いいお舞台を作っていくそれこそ能の醍醐味と思えるようになりましたが・・・昨日の「はずかしや・・・から 今も 残るらん」のあたりは もう ゾクゾク ゾクゾク しっぱなし 地獄をなめた女人の 儚くも悲しいが故の 美しさ・・・どう表現したらいいのだろうと・・・
地謡 すごく良かったです。
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Unknown (高砂)
2012-01-30 09:01:56
こんにちは。

先のどうきゅうせいさまのコメントの「クラシック音楽の音楽会でも、たまに、わかってない人がいて、最後に消えゆく一音を惜しみながら聴いていたいのに、ぶらぼ~って叫んだりするから、みんな、がっかり、なんてことがあったりします。」に、「その〈ぶらぼ~〉は〈べらぼ~〉だね(笑)。」と同感。って、ホント笑いごとではありませんけれども・・・・・

ところで、先日1月20日の国立能楽堂での定例公演では、シテがまだ橋掛にいるのに拍手をする人が一人だけ居ました。他の人は誰もそれに付いては行きませんでした。その一人がそれでもなおも叩きつづける拍手に依怙地(いこじ、「意固地」とも。)を感じたのは私だけではあるまい。ただし、その一人の方を見てはいません(敢えて見たくもなし)。
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お返事 (粟谷明生)
2012-01-30 09:15:26
皆様コメント有難うございました。

粟谷能の会では以前より、扉に粟谷能の会からのお願いとして「拍手は舞台に人がいなくなってからでお願いしますと」お願いしていますので、このような問題が起こっておりません。

あらかじめのお願いって必要みたいですね
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Unknown (Oscar)
2012-01-30 10:28:51
切り合いがあったり、派手に舞う、というようなものでは「ここで盛大に拍手したいな」と思うこともありますが、悲劇やしっとりしたものではしないですよねー。初めての方は「主役退場で拍手」と思うかもしれませんけれど、初めてなら周りにあわせるでしょうし。

高砂様。「巴」のときですよね。あの一人で意地になって拍手している人のメンタリティーってどんなものでしょうね。私の後ろの列だったので帰りがけに観察したのですが、連れの何人かいるおば様たちの一人みたいでしたよ。友達になりたくないタイプ(笑)。
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映画館では・・・ (どうきゅうせい)
2012-01-31 17:38:14
最近は、うるさいくらい、あれを気をつけて、これを気をつけてって、アニメなどを見せられますよね、言わなきゃならない世の中にはがっかりだけど、言ってくれて助かる、という思いもあります、電車のマナーも同じですよね。言われなきゃちゃんと出来ないのか!?って、これまたがっかりですが、とにかく、それが今の世の中、主催者側のご配慮に感謝、そして期待します。

> 高砂さま、べらぼうめ!のコメント、恐れ入ります。
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私も知りませんでした。 (ワイン好きの小野小町)
2012-02-01 13:32:57
大フィルの奏者友人、海外の留学から帰国したピアニストの子達が、能に興味を持ち、一緒に能楽堂へ行ってます。彼等と初めて行った時、クラッシックコンサートと同様、失礼が有ってはと、いろいろ聞かれました。舞を学ぶ私でも、能で拍手をしてはならないは、二年ほど前に知りました。拍手は、賞賛、賛意、歓迎、喚起、感激、感謝として伝える。初めて、能を観た人は、多少学んで行くも、拍手をしてはいけない事を知らないと思います。江戸時代は、作法に反すると書いて有りました。皆さん、解らなくても、拍手をするのが礼儀と思っていたのです。しかし、素晴らしく上手い日本伝統文化に感動した私は、感動のあまり、腰が抜けて立てなくなりました。ぼーっとして、拍手できませんでした。
西洋音楽を学び、舞、邦楽を学ぶと、やはり、文化の違い、また、明治時代から西洋文化に影響された、スタンデングオーベーションも、解る気がします。DNA,文化の違い。能を見るにあたって、知らない、しかし、感動したら拍手してしまいます。
もっと感動したら、拍手もできなくなる自分が席に座っている。日本伝統文化の素晴らしさ、能の素晴らしさ、ドナルド・キーン先生が、日本人は、皆、能を学ぶべきと言われている事を見てみようと思います。
DNAが、騒ぎ目覚めさせてくれると思います。

楽しみにしておりま~す。
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お返事 (粟谷明生)
2012-02-01 15:22:35
皆様コメント有難うございました。

感動のあまり、腰が抜けて立てなくなり、拍手どころじゃない!の位までいくように努力します、景清頑張りますので応援よろしくお願い申し上げます。

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