お恥ずかしい話だが、父に能『伯母捨』を舞ってくれるように依頼する前、正直に言おう、30代までは『伯母捨』の内容など知らなかった。実は映画「楢山節考」のような老人遺棄の悲惨な習慣を描写した物語だと思っていた。もっとも、私が生まれてからそれまで、いやもっと昔から喜多流に『伯母捨』は途絶えていたのだ。
それを父・粟谷菊生が180年ぶりに勤めた。その後、大島久見氏、友枝昭世氏、高林白牛口二氏と勤められ、今回香川靖嗣氏が披らかれることになった。よいことだと、父は喜んでいるだろう。父は後進や次世代の人たちにも出来るようにと、まずは自分が演ろうと決心してくれた。これを仕掛けたのは従兄弟の能夫と私だ。このことは「粟谷菊生能語り」に書かれている。父を口説いたのは寿司屋だったが、お酒も入り気分も上々の時に「では『伯母捨』を演ろう!」と決断して出て来た言葉が面白かった。実はそのままここで紹介するのは少々憚るので、オブラートに包んだ「粟谷菊生能語り」から引用する。
『伯母捨』は捨てられた身でありながら、恨み言を言うでもなく、「我が心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」と月に情趣が注がれ、月光に興じ、遊ぶ、品格のある曲のように解釈されやすい。しかし僕は『伯母捨』という曲はお能の品というものだけに逃げてはいけないと思っている。
―ここからがいい。
僕の『伯母捨』は月夜に座ってじわっとおもらしをしながらそのまま死んでしまう老女だよ、それでいい。・・・・・動かぬところは微動だにせず、舞いかつ謡う、徹底的に老女になって舞うからな、・・・・。
このあとも続くが、読みたい方は、私までご連絡いただければ私のサイン入り「粟谷菊生能語り」をお送りしよう。
さて、父は晩年『伯母捨』のことをこのようにも語ってくれた。
「無心で勤めた唯一の曲」「あんなに心の中がきれいであったのは『伯母捨』だけだったかもしれない」と。
生意気だが、老女物は滅多に出ない曲なので、とかく「位の重さ」を重視するが、それを時間をかけることで解決しようとする向きがある。これはどうだろうか。
軽んずることはいけないが、ゆっくり、丁寧に、大事に、を時間をかける上辺だけをなぞるような作業ですましてしまうのは本物ではないように思える。
地謡は、「しっかりと」、の速度のことばかりではなく、謡いに陰と陽、明と暗が、そしてあたたかく謡う、つめたく謡うという温度を感じさせることが大事であると思う、この温度調整が自在に出来たら本物だろう。私はまだ本物にはなれていないが、なりたいと思っている。身体から発する声の出し方をおおいに考えさせてくれるのが老女物だ。
明日、地謡に参加するという現場の者の素直な心境、そんな風に感じている、という実況中継だ。
サイン入り「粟谷菊生能語り」お申し込み先
akio@awaya-noh.com
郵送料込 ¥3500
写真 『伯母捨』シテ粟谷菊生 撮影 吉越 研
文責 粟谷明生