能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

行く人、逝く人、

2006-12-24 10:18:45 | 粟谷明生の日常
一週間も前の話であるが、喜多流自主公演最終日のあとは恒例の忘年会だった。
「一年間、ご苦労様!」と全員で乾杯したが、残念だが、そこに父はもういない。
さびしい。

そんな時にまたさびしくなる発表があった。
今まで4年間、能の勉強してきた青年(28歳)が突然辞めるという。

理由は説明されなかったのが、これまた寂しい暗い気持ちになった。

直接に指導者に聞いてみたら、どうもあまり前向きではなかったようで。
「覚えてきなさい」と指導しても対応出来ないのか?しないのか?
お馬鹿か、向いていなかったのか、彼に責任があるようだ。

まあ~~向いていない、嫌いなら、早々に辞めた方が本人のためだし、まだやり直せるだろう。

能楽師というのは
謡えて、舞えて、楽屋働きが出来て、興業主にもならなくてはいけない。

だが、これらすべてを備えているひとは、そう多くはない。
喜多流では、ほんの一握りしかいない。

能楽師たるもの目標はこのすべての取得だが、
そのうちの一つか二つでも持っいてれば、
どうにかこうにか喜多流の能楽師にはなれちゃうからいい。
あっ!その程度だということ!
あ~~明らかにしちゃった。

ところで気になったことは、辞めた彼の漏らした一言だ。
「能が嫌いになかったのではない、環境に耐えられなくなった」
というメッセージだ。

彼は、不器用で、のろま、気が利かない、との悪い評判ばかりであったが~~
人物は温厚ないい青年だった。

その彼から「いじめ」の一言が出てきたのには驚いた。
「いじめ」の一言を匂わせて去って行ったことが、余計後味の悪さとさびしさを増したのだ。

いろいろ受けている仕事を無責任にも投げ出して去っていく者に、
私は同情はしないが、あの一言はちょっと気になる。

さて~~~
では、どのようにしてこのような問題が起きたのか?
喜多流の能楽師たち全員が、真相をしらなくてはいけないと思うのだが~~

ここでわざわざ取り上げたのは、
「お~~い!もう知らんぷりなの?」
と思ったから。

第二、第三の彼が生まれないように、ちゃんと大人らしく原因究明ぐらいはしたほうがいいと思うのだが、

面倒クサイか~~~

ややっこしいこと嫌いだもんな~~。

そう!私もそう!

たぶん、「これでおしまい!」かもね。
なら、これでおしまい!になったという事実だけは書き留めておきたくなって、投稿!

以上、現場から報告終わり。



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12 コメント

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何だかさみしい・・ (師走)
2006-12-24 11:54:23
大きな社会問題になっている「いじめ」。もちろんいじめる方にもいじめられる方にも問題はあるのでしょうが、一番問題なの他への「無関心」なのかもしれません。

コミュニケーションの媒体はこんなに発展しているのに、反比例するように、人と人の距離が離れて行くような世の中。小手先でその場限りの対策を講じても、この巨大な「無関心」が「いじめ」の温床になっていることは明らかでしょう。

他への無関心は結局は自分への無関心でもあり・・そんな人達ばかりになってしまったら、お能を始め芸術も結局理解されず、廃れて行く世の中になるのでは・・

「これでおしまい!」・・何だかとてもさみしいし、それが心に引っかかっている先生のお気持ちを察すると何だかとてもさみしいけれど、同時に、このことをあえて書いて下さったことが一つの「救い」にもなっているようにも感じました。


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生涯にかけて能を捨てぬより外は (玉手)
2006-12-24 15:47:28
「家の子」ではない狂言方和泉流の石田幸雄さんが、
シテ方宝生流の田崎隆三さんと共催の雙ノ会で
今年の芸術祭大賞を受賞されたニュースの後だけに
とても残念なお話ですね。
「家の子」ではない方が伝統芸能の世界で生きていくのは、
かなり厳しいことなのでしょうけれど・・・
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芸談読むと (さとう)
2006-12-24 17:02:41
大抵一回ぐらい逃げ出してますよね名人の方とかも。その方も、個人的にはどん底からもう一回帰ってきてのし上がって欲しい気がします。
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すごいなあ (Unknown)
2006-12-24 21:07:51
昨日といい、今日といい、すごいなあ。
ブログってこうじゃなくっちゃなあ。。
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狭い世界では・・・ (Unknown)
2006-12-24 22:37:30
閉じられた狭い世界で、いじめは起こりやすいのだそうです。魚の世界でも一緒で、狭い水槽の中では弱い一匹がいじめられ、それを他に移すと今度はまた違う魚がターゲットになるのだ、とこの前新聞で「さかなクン」が書いてました。能の世界から去ってしまった方が言ってらしたことが、本当にいじめなのかはわからないのですが、(少なくともご本人はそのように感じたのでしょう。)どの世界にいる人もひとりひとりがそこに閉じこもり過ぎないようにすること・・・きっと全ての人にとって大切なのでしょう。さかなクンは最後に「まずは、広い海に出てみよう。」って言ってました。
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面倒クサー (素人らるら)
2006-12-25 01:15:56
冷静沈着に見れば 判る事
渦中に入れば 判らない事

本日 痛感....暫く引き摺りそうです。

彼の前途に幸あれ 器大きくなれ 

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Unknown (Unknown)
2006-12-26 08:47:18
私は素人弟子ですが、お稽古場でも「若い」というだけで集団リンチまがいの仕打ちを受けたことがあります。
能は好きですが、そのような他を排除する温床になっている世界は好きになれません。
もっといい意味で開かれた場所になってほしいことを切に願ってやみません。
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伝統の継承 (やまと)
2006-12-26 11:04:30
伝統芸能の世界では、芸の伝承のためには家の子を中心としたある程度の閉じられた世界も必要。でもそれにとらわれ過ぎると、本来の目的も達せられず、芸も衰退するばかり・・。
 玄人、素人の歴然たる区別がこれほどはっきりとしている世界も今や珍しいし、双方ともが原点に帰ってよく考えて行かないと、もしかしたらこれほど素晴らしいこの国の伝統芸能の継承も難しい時期に来ているのかも。
 また、西洋的な「自分が、自分が」という主張も必要ですが、古来日本にある「和」の精神が失われてしまえば、技術的な芸以前の問題として、伝統芸能の伝承は難しいかもしれません。
 本当に大切なものは何か・・・皆で考えていけるといいですね。
 
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反響 (粟谷明生)
2006-12-26 19:57:05
皆様コメント有難うございます。
むずかしい込み入った問題ですが、私も自分なりにも考え対応していきたいと思っています。

そろそろ一年が終わりそうです。

あっという間!
人生大事に生きていければ!とつくづく思う
アキ君オヤジでして。

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Unknown (yu-ki)
2006-12-26 23:18:05
 サカナ君のいじめの話は興味深いものがありますね。
 どんな物事にも表と裏があって、完全に正しい事や善はないのだと思います。
 日頃好きで見ている能の舞台の役者の方達が互いを労わり合い、思いやり、仲良く馴れ合いでやっていたとしたならば、圧倒されたり感動したりするような凄い舞台を拝見する事はできない気もするのです。
 スポーツの世界でも裏側ではトップにいく程個人個人が背負う期待・プレッシャー・周囲からの羨望・嫉み・罵倒・孤独はもの凄いものがあります。トップ争いは負けたら死ぬしかない、という状態の選手ばかりが競い合っているからこそ、見る人に感動を与えるのではないかとも思います。いじめる余裕のある人はそういう勝負を知らない、していないのだと思います。
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