明日は喜多流自主公演の『鳥追船』シテ・友枝昭世氏で
私は、地頭粟谷能夫の隣で副地頭を勤める。
昨日の申合を謡い、明日の本番がとても楽しみになった。
下記は以前、私の演能レポート「鳥追船について」の書き出しだ
「劇能としての構成を目的としたものではなく、一種の遊狂気分が中心である…中略…前段は後段への準備的な場面に過ぎず、これをただ劇的に扱ったのでは、能楽の本質から逸脱したものとなる。興味の主題は、狂女能に類する船中の情景にある。一幅の田園秋景とみるべきであろう」
とあります。
さてこの説明、皆さまにはどのように思われますか?
私はあまり納得できぬ説明のように思えるのですが、いかがでしょうか。
と感じていたのだが、
明日の『鳥追船』はまさに演劇として処理されていて、
時代に生きた母と子の苦悩が舞台上にはっきりと出てくる
だろう~~~~、
シテの思いを、受けて地謡は謡べきで~~。
謡本にこう書いてあるから
こう習ったから
と、
古びたものに、しがみついていては、
明日の地謡は謡えない。
兎に角、
明日の友枝氏の漕ぐ「鳥追船」にちゃんと乗船して
ついていこう!
それには、父の謡い方を思い出し
我々の方向性のスパイスもふりかけて~~
よい舞台にしたいな~~~~~~
混雑が予想されますが、是非ご覧いただきたい
初番を観て帰る方も~~
もしかしているかもしれないので~~~~
火曜日は益田能です
私は、地頭粟谷能夫の隣で副地頭を勤める。
昨日の申合を謡い、明日の本番がとても楽しみになった。
下記は以前、私の演能レポート「鳥追船について」の書き出しだ
「劇能としての構成を目的としたものではなく、一種の遊狂気分が中心である…中略…前段は後段への準備的な場面に過ぎず、これをただ劇的に扱ったのでは、能楽の本質から逸脱したものとなる。興味の主題は、狂女能に類する船中の情景にある。一幅の田園秋景とみるべきであろう」
とあります。
さてこの説明、皆さまにはどのように思われますか?
私はあまり納得できぬ説明のように思えるのですが、いかがでしょうか。
と感じていたのだが、
明日の『鳥追船』はまさに演劇として処理されていて、
時代に生きた母と子の苦悩が舞台上にはっきりと出てくる
だろう~~~~、
シテの思いを、受けて地謡は謡べきで~~。
謡本にこう書いてあるから
こう習ったから
と、
古びたものに、しがみついていては、
明日の地謡は謡えない。
兎に角、
明日の友枝氏の漕ぐ「鳥追船」にちゃんと乗船して
ついていこう!
それには、父の謡い方を思い出し
我々の方向性のスパイスもふりかけて~~
よい舞台にしたいな~~~~~~
混雑が予想されますが、是非ご覧いただきたい
初番を観て帰る方も~~
もしかしているかもしれないので~~~~
火曜日は益田能です
コメント有難うございます。
「舞台+見所」いいですね。
いい表現気に入りました。
きっと舞台からは、当時の薩摩の国の人々の
生活や習慣、そしてこの曲のテーマなどが
感じ取れるでしょう、その中に
屹度、きっと、
悲しみと喜びが・・・・・・
涙は出ないと思いますが、
何か心にひっかかるものは・・・
絶対あるので、それを楽しみにして下さい
いつも楽しいブログ楽しみにしています。
船内の絵馬のようなもの?は何かの象徴??と思ったのですが小鼓や舞台上のもの全てと併せ何ともいえない良い雰囲気でした。
拝見し始めてから間もなく専門的なコトは全くわからないのですが最近喜多流の謡が好きなコトがわかりました。
養老のおシテの装束の色合わせ・桶の意匠や色等、お能って素晴らしいですね♪今後の皆さまのご活躍、心より楽しみにしております。
「夜寒の砧打つとかや・・・」のように、テーマとしては共通のものがありますが、いかんせんこの曲はハッピーエンドなので、3年前の11月に香川様が示された底の見えない絶望感はなく、したがって仰るように涙は出ませんでした。
絵馬のようなものは、鳴子です。
本来、紐を取り付けて、紐を引いて
カラカラと音を立てますが、昨日は
竹笹を引いて代行していました。
喜多流の謡い、と一言でいわれても
様々ですよ
できれば、個人名をあげて
・・・氏の謡いと仰っていただければ、
判りやすく、嬉しいです。
観世の謡い、と言っても、それはそれは
たくさんの謡い方、発声、主張がありますからね
3年前、香川氏がなにをなさったのかは・・・
隅田川かな?
判りませんが、
喜多流は仕舞所を舟中で舞いますが
観世流は舞台で広々と舞うようです。
私は舟中がいいと思いますが、
昨日の左近尉が一度舟から降りるのは
いいとは思いませんでした、
やはり、立っていても座っていても
同船していた方が、よかったのでは・・・
これは私の感想です。
自主公演の砧では?
ともに「本領ハナルル訴訟人」の家庭劇ですよね。
奇しくも場所も両曲とも九州。
昨日の鳥追船、
明生さんが演能レポートでふれていらっしゃる
ワキのセリフがありませんでしたね。
喜多流の定例公演だから?
それとも、ワキの流儀?
このセリフ、あった方が良いのにな~
と思いながら拝見しておりました。
失礼致しました。
訂正してお詫び致します。
1) 粟谷明生さん、ワキツレの詞章場面、どう言うか聞いてやるぞと、表情に出ていましたね。ご自分の望む「演出」でなさるには、喜多流自主公演ではなく、ご自身が主催される会、ご自分がシテをなさる時に、ワキ方を指定して演能なさるのが、適した方法だと思います。
2)左近尉は、自分の主人に対しては、たとえ10年以上(?)の留守をしていた主君にせよ、船を降りて対するのが礼儀だと考えます。
3)「演能レポート」にご自身書いておられるように、確かに左近尉の、日暮某の妻に対する怒りは唐突に思われます。しかしながら、我々見所の者は、すべて説明を求めているものでもありません。説明がつかないものはおかしいというものでもありません。演じるお立場としてはやりづらいかもしれませんが、それはそれでよし。
どうぞ、あまりにも、シテ中心主義といういうか、そういう縛りからご自身を解放されますように。
能の舞台は、一人の思いのみで出来上がっているものではありません。
ワキツレのあの言葉は福王流には、
ないのかもしれませんね。
流儀により様々です。
高安も調べてみたいです。
能ファン@横浜様
喜多流のワキの謡いはあくまでも
流儀内で想定した謡いですね。
喜多流の詞章の通り謡う脇方はいませんね。
私が気になったのは、喜多流の詞章でして・・・・
いろいろとコメントとご忠告
有難うございます。
どうぞ、あまりにも、シテ中心主義といういうか、そういう縛りからご自身を解放されますように。
能の舞台は、一人の思いのみで出来上がっているものではありません・・・・・
シテ中心主義で縛られているつもりはないのですが・・・
はい、ご忠告痛み入ります。
竹笹も鳴子の音も雰囲気があって好きでした。
そうですね おっしゃる通り様々なものかもしれません。
その時にしか感じられない事があるのが舞台の好きなところでもあります。
謡、と書きましたが謡ったコトもなく 笑
私が書きたくなったのは、アンサンブルとして聴いた時の統一感や雰囲気に、また、この声だろう~ いいなあ~と何となく思ったことが続いたものですから。
これからもたくさん観てみようと思います。
お誕生日おめでとうございます。