『三輪』の紹介 その2
三輪山に住む玄賓僧都(げんぴんそうず・ワキ)の庵に、三輪明神が里女(前シテ)に取り憑いて、樒(しきみ:仏前草木)と閼伽の水(あかのみず:仏前に供える水)を毎日供えに通っています。
里女は玄賓に取り次いでもらうと、僧に救済を求め、衣を一枚所望します。受け取って帰ろうとすると、住処を尋ねられ、里女は三輪明神の神詠を引き、杉の立つ門を目印に訪ねて来て、と言って、姿を消します。
中入
玄賓が教えられた場所に行くと神木に与えた衣がかかっていて、金色の文字で歌が書かれています。
読むと、女の顔をした三輪明神(後シテ)が現れ、罪を助けてたび給へと願います。そして、昔物語は衆生済度の方便であるとして、神婚譚や天の岩戸の前の神楽を再現して見せ、最後に三輪と伊勢の神は同体である、と告げ、夜明けと共に姿を消すのでした。
まず、三輪明神がなぜ里女なのか、奇異に感じるかもしれませんが、人間界に降りられる神は、衆生(人間)に取り憑かないと動けないので、能『三輪』では里女に取り憑いて現れるのです。
また、神様が衆生の玄賓僧都に救いを求めるのは、なんとも可笑しな事のように思いますが、これは神が人間救済のために身を犠牲にし、時に人間になって、人間の迷える心、老いの苦悩も共に苦しみ、我々衆生を救済して下さるのです。そう考えると、なんとも有り難いお話で腑に落ちます。
さて『三輪』のテーマの一つは「通い・辿る(たどる)」だと思います。次回は、それに関連して、ちょっとエッチな曲(クセ)のお話しをします。次回の投稿をお楽しみに!