能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
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能舞台の東西南北

2014-02-08 08:53:37 | 能はこうなの、と明生風に能の紹介
能舞台には東西南北の設定があり、それはシテ方五流儀によって異なる。
喜多流は本舞台を正面からご覧になる方から見て、笛柱の後方が南、ワキ柱の方角が西、目付柱が北、シテ柱から揚げ幕方向が東と決めている。

2月15日(土)MOA美術館定期公演での、能『白田村』では、京都の近郊を紹介する名所教えがあるが、その際、お相手をして下さるワキ方は喜多流の方角に合わせて尋ねて下さる。

「まずこれより南にあたって塔婆の拝まれさせ給うは」と南方向、笛柱の方を向いて問いかけてくださる。シテは南を見て「あれは清閑寺歌の中山、今熊野まで残り無く見えて候」と謡う。すると「またこれより北にあたって」と目付柱の方を北と定めて問うてくるので、「あれは上見ぬ鷲の尾の寺」と紹介する。そしてシテは揚げ幕の方を向いて「や、まずご覧ぜよ。音羽の山の峯よりも、出でたる月の輝きて」と東の方向に月が出たと謡う。最後に「この花の梢に映る景色」と正面をみるところに注目してほしい。

つまり本舞台に居るシテから正面先に大きな桜の花があると想定して、その桜の大木に月の光が輝いている、とワキとシテの会話で表現している。清水寺からの360度の大パノラマの世界をわずかな動きと言葉だけで表現しているのだ。観客はその言葉から清水寺の満開の桜と月の光の世界を想像する。であるから演者は観手が想像し易いように出来る限りの有効な謡い方と少ない動作の中でも大きく映る動きが必要である。

能とは一見、演者が何もしないで無精をしているかのように見える演劇かもしれない。がしかし豊富な想像力をお持ちであれば、却って余計なことはいらない、という結論をお出しになるのであろう。そう信じて能役者は必死になって勤めている、私は私なりに必死に勤めている、これについては間違いはない。

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写真 
巻頭写真 能『白田村』シテ粟谷菊生
能『白田村』シテ 粟谷明生 
童子二面 使用予定は右の「童子」

文責 粟谷明生


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1 コメント

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知らなかった! (Oshim)
2014-02-09 18:32:19
五流で方角がちがうのですか?!いまさら驚くのは、いかに今まで漫然と観能していたかの証拠、トホホ・・。
2月1日の出雲様「かくて夕陽影うつる・・」のところも
どうだったか視覚的に思い出せない始末です。
ただ、東次郎師の「どちはぐれ」でドタバタが済んで夕刻にしみじみ反省する場面では、きっかり脇正面に向かっておられたので、それが能狂言のスタンダードのように誤解していました。
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