本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

野菜作り

2017-04-25 09:11:40 | Weblog
 ジャガイモを植えて1か月になる。中段の花壇の余ったスペースの畑と上段の畑の4分の1のスペースで順調に生育している。上段より1日早く植えた中段の芽から芽欠きを始めた。
 なんでも2,3本程度の芽を残して、芽欠きをするものだそうだ。そのまま放置すると、小粒のイモしか収穫できないらしい。
 
 利用しない上段の畑の部分にはブルーシートで覆っている。雑草防止である。ただ、ジャガイモを植えるために苦土石灰や有機肥料を施した部分は、まだ二畝ばかり余裕がある。

 それで野菜苗を仕入れてきた。トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、シシトウなど。

 さて、シカ、イノシシ対策に防護柵をしっかり整えよう。ミニトマトなどは鳥も狙うので上部を防護ネットで覆う必要がある。
 やれやれ、余生に野良仕事が組み込まれた。

難解な言葉

2017-04-24 09:04:09 | Weblog
 本を読んでいると、知らない言葉にぶつかる。以前はそれらの言葉をメモに取らなかったが、最近はメモに記している。
 
 たとえば、次に掲げる言葉である。ふりがなを付さないとほとんど読めない。ついでに辞書で調べた意味も書く。
 ・題僉(だいせん) 書名を書いて表紙に張る紙片。・面唔(めんご) 直接会って話すこと。
 ・頃日(けいじつ) 近ごろとかこの頃 ・嬌羞(きょうしゅう) 女性のなまめかしい恥じらい。・桔木(はねぎ) 建築用語で説明がながくなるから意味は省略。
 
 今年の漢字になりそうな「忖度」は知られた言葉だが、普段はお目にかかりにくい用語だろう。同様に犀利、親炙、敷衍なども知っていてあまり見かけない言葉ではないか。

 難しい読みもある。嫩(わか)い、捷(はしこ)い、撓(しな)やか、糅(か)てて加えて、暈(かさ)
 これ、みんな小説から拾った。音読みはわかっていても訓読みは知らなかった。

長生きの秘訣

2017-04-23 09:26:48 | Weblog
 亡くなったある首相経験者は長生きの秘訣として三則を挙げていたそうだ。
 「転ぶな、風邪引くな、義理は欠け」
 
 なるほど、言えている。
 「転ぶな」はたしかに要注意だ。前に「昔は女、今は段差につまずいて」という川柳に触れた。女につまずいた国会議員がいたが、さすがに歳を喰えば女より転倒して寝たきりになるほうが怖い。畳のヘリで転げることもあるらしい。
 
 「風邪」は万病も元という。嵩じて肺炎になれば命取りになる。
 「義理」は世間的な迎合になるからその気遣いでストレスになりかねない。義理疲れになるなら義理を欠いたほうがよさそうだ。
 そうだ、手始めに義理の年賀状は止めちまおう。

横断道路の塗装の摩滅

2017-04-22 08:54:46 | Weblog
 車を運転して気になるのは、横断歩道の表示の塗装が摩滅していることである。特に信号機のない横断歩道の塗料の劣化は危険極まる。言うまでもないが、横断歩道のくっきりとした白線は、遠くからでも視覚的効果が高い。それを見てドライバーは注意するはずだ。
 所轄の警察署は早急に管轄区域の主要道路にある横断歩道の保守点検を行い、必要がある場合は補修をしてもらいたいものだ。

 また、歩行者が横断歩道ではない場所を横断して交通事故に遭うケースも多いという。その原因のひとつに、都市的地域(つまり市街地)以外では、横断歩道が極端に少ない。せっかちな年寄りはつい横断してしまうだろう。
 主要道路では、せめて3㎞程度の間隔で横断歩道の設置をしてはどうかと思うのだ。そうすれば、老人は横断歩道を渡るだろう。そこで万一事故に遭えば、加害者ドライバーの責は大きくなる。

教育勅語と武士道講話

2017-04-21 08:56:49 | Weblog
 森友学園系列の塚本幼稚園の園児たちは教育勅語を唱和する。その様子をテレビで観て鼻白んだものだ。
 
 「教育勅語」をキーワードに話を転ずる。
 五味康祐に『一刀斎は背番号6』という小説がある。
 一刀流の開祖伊藤景久の第17世である青年がホームランを打ちまくるという他愛のない話だ。その中にこんな記述がある。

 「一刀斎が稀有のペースで本塁打を打ちつづけた頃、巨人選手の間に、「一刀斎は毎朝、教育勅語を奉読する」という噂が立った。小学児童に「修身」を必修科目とするか否かで、兎角の議論が識者の間に交わされていた折だから(中略)大きな社会問題をなげた」
 
 この小説は昭和33年の作のようだが、この頃は戦争の反省がまだ色濃く、児童に復古調の「修身」を教えるべき否か論争があって、教育勅語を唱えるなんぞ問題だった。
 こんにちではその反省が雲散霧消して、首相や防衛大臣が喜ぶ復古調に迎合するウヨク的教育の兆しが出てきたということか。

 さて、小説の続きだが、一刀斎は教育勅語を奉読しているわけではなかった。一刀流相伝の者として山岡鉄舟の『武士道講話』を読んでいたのだが、それが教育勅語の文案に似ていたとある。それで巨人選手は教育勅語と勘違いしたということ。それにしても、当時の選手の面々は、教育勅語をしっかり叩き込まれた世代ですか。

 教育勅語を起草した井上毅はその『武士道講話』を聴講していたそうだから確かな話なのでしょう。とはいえ、小生は『武士道講話』を読んでいません。