司馬遼太郎のエッセイ集を読んでいる。昨日はその中の「三十余年」というタイトルの話を読むと「大阪の十日戎の雑踏の中で…」という一文に出くわした。
一日に本を何冊もとっかえひっかえして読むが、その一冊に山崎豊子の『花のれん』がある。昭和33年の直木賞受賞作だが読んでいなかった。未読本の落ち穂拾いをしているわけ。
ちょうど読みかかったところに「十日戎の日は再び元旦のような静かな温さであった」の一文にぶつかった。
「十日戎」が偶然にも同日に2種類の本から出現した。これ、大阪にある今宮戎神社のお祭りとある。商売繁盛の神様がいるらしい。シャッター通りの商店主は一度お参りしてはどうか。
それだけのこと。
追加 司馬遼太郎のエッセイを読み進めていると、「数奇というのは、読書以外にありうるかどうか」とあった。数奇とは運命のめぐり合わせがよくないことをいうが、この文では偶然のことを譬えていた。
一日に本を何冊もとっかえひっかえして読むが、その一冊に山崎豊子の『花のれん』がある。昭和33年の直木賞受賞作だが読んでいなかった。未読本の落ち穂拾いをしているわけ。
ちょうど読みかかったところに「十日戎の日は再び元旦のような静かな温さであった」の一文にぶつかった。
「十日戎」が偶然にも同日に2種類の本から出現した。これ、大阪にある今宮戎神社のお祭りとある。商売繁盛の神様がいるらしい。シャッター通りの商店主は一度お参りしてはどうか。
それだけのこと。
追加 司馬遼太郎のエッセイを読み進めていると、「数奇というのは、読書以外にありうるかどうか」とあった。数奇とは運命のめぐり合わせがよくないことをいうが、この文では偶然のことを譬えていた。