ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

〈神さまからの授かりものだから〉と。

2018-03-08 06:18:55 | 日記
連れ合いの誕生日なので、好物の お魚を買いにスーパーへ。
朝から青空が広がっていて、空のキャンバスに飛行機雲が何本も交差して描かれていました。
白い絵の具を水面に垂らしたように溶け出しています。

バス停で、若い知人夫妻を見かけました。
ご主人は娘さんを抱っこしています。
バスがすぐに到着しましたので、知人に声をかける間もなく、私はバスに乗車して
しまいました。
知人は私の存在には気づかなかった様子です。

バスの窓から パパに抱っこされた娘さんを眺めていました。
確か 4歳になったはず。
娘さんは、出生前の診断で染色体の異常が発見されたのでした。
でも、このご夫婦、
〈神さまからの授かりものだから、宝ものとして育てる〉
と、話してくれたことを覚えています。
忘れることが出来ません。
いろいろと他人には話したくない悩みなども抱えたのではないかと、推察もいたしますが、
遠ざかる親子の姿を目にしていますと、この親子の姿は、「いのち」の、かけがいのない
尊さを私に示してくれている様に思えました。

とても、神々しく見えたのです。
「ありがとう」
私は心の中で掌を合わせました。
困難なことにも多々遭遇することでしょうが、神さまからの祝福が豊かに与えられますように、
と祈りました。

  《妊婦の血液から胎児の染色体異常の可能性を調べる新型出生前診断(NIPT)について、
   日本産科婦人科学会は、3日の理事会で、倫理面から臨床研究に限定してきた指針を変更し、
   一般診療として実施することを正式に決めた。》(毎日新聞2018年3月3日)
と、報じられました。

また、
  《手軽で精度の良いNIPTが一般診療として本格導入されれば、一気に、産む前の検査が
   当たり前の時代が近づく。
   危ういのは、加速する出生前診断のビジネス化が人々の不安をあおり、同調圧力で
   「命の選別」を強いる社会への変質が進むことだ。》
とも、記されていました。
「染色体異常を有する者の生命の否定へとつながりかねない」との指摘もあります。

こうしたことへの懸念を友人に話しましたら、
〈でもねぇ、この問題、育てる側に立てば、傍から眺め、論評するようなきれいごとでは
済まされないのよ〉
との応えが返ってきました。
確かに、そうではありましょうが・・・・・・

でもね でもね でもね。
高齢になって、他人様の世話にならなければ生きて行けなくなってきた私だって、
「障がい者」の部類に属するのではないのでしょうか。
「染色体異常を有する者の生命の否定」は、「いのち」の選別への道筋に当たるのでは
ないでしょうか。

《同調圧力で「命の選別」を強いる社会への変質が進む》
なんか、怖くなってきます。
                         〈ゴマメのばーば〉
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「おーい」 「はーい」の環... | トップ | なんですか これ ?! »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (ささやん)
2018-03-08 09:54:57
出生前診断による「生命の否定」は、社会の同調圧力による場合もあるでしょうが、経済的な要因も大きいのではないでしょうか。難病を持った子が生まれれば、膨大な医療費の出費を覚悟しなければなりません。この他、母親が働かないと暮らして行けないのに、近所に保育所がなく、働ける見込みがないため、出産を諦める、といったケースも多いと聞きます。また、非正規労働者で、収入が安定しないため、結婚を諦める、といったケースも多いようで、こうした事例から考えますと、「子を作らない=生命の否定」の原因には、経済的な要因も大きいように思います。
返信する
こんにちは。 (ゴマメのばーば)
2018-03-08 15:45:16
(ささやん)さま。
確かに経済的要因や、置かれている環境などもありますから、産まない選択をした個人を単に「人道上」として責めるだけで済むものでは無いと思っています。
以前、障がい者の方たちのグループと関わっていたことがありますので、その頃出会った一人一人の顔を思い浮かべてしまうのです。
この問題、いのちの選別の問題は、私たち、そして私が問われているような気がいたします。
コメントありがとうございました。
返信する
冷たい雨の日でした (A.S(たわごと的オピニオンの))
2018-03-08 17:21:11
夕方になり雨足が早くなってきた寒い一日です。
命が生まれ、細胞分裂を繰り返す命は自ら生きたくない訳がないと思うのです。
ただし、今の社会では重たく難しい命題ですね。生命の本質的な部分で他の多数とは異なる遺伝子的要素を持つ者は何%かは必ず生じるのですから、それが優生とか劣勢とか区分されて良いとは思えないですし、種として全体で育む体制で有るならばとも理想としては思いますし、人間という種の中ですら生存競争を求める社会は罪深いと感じます。
そして、少なくとも昔の時代の優性保護法的考えは怖いです。歴史から学ぶことが出来る部分をしっかりと学んで行かないとの思いです。誰でもいつでもそこで言う弱者というか優性でない状況になるのですから。時代が優しさを失ってきている部分が目に付くような気も。
春がもう先にあることを感じ始めるのに今日は寒い雨の一日でした。旨く言えないです。
返信する
こんばんは。 (ゴマメのばーば)
2018-03-08 21:01:47
(A.S(たわごと的オピニオンの))さま
この問題は、確かに重たい問題です。
以前、関わりのあった障がい者のグループの一人一人を思い浮かべますと、切なくなるのです。
「俺たち、生まれてこない方がよかったのかな」
そんなことを口にする方もいましたが、私などは、お付き合いの中から沢山学ばせていただいたのでした。
自分の思い上がりや傲慢さを見つめさせらたことは、大切なことを教えて頂いたのだと・・・。
今日は うすら寒い一日でした。
コメントありがとうございました。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事