ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『リンゴをもつ少年』へ

2013-09-26 08:15:25 | 日記
宮城県美術館の庭に、『リンゴをもつ少年』という像が展示されています。
船越保武さんの作品で、高さ75㎝の優美な少年像です。
近くには、同じ船越保武さんの『原の城』という作品も展示されており、私は、この少年に会いに、美術館を時々訪れます。

私は、生きている一人の少年の前に立った気持ちで、声を出して語りかけたりもします。
「秋が来たのに、暑いねぇ」
「今日の企画展すばらしかったよ」
「じゃぁ、またね」
などと。
美術館を後にする時は、いつも、「少年」に会ってくるのです。

少年のもっている「リンゴ」は何なのか、船越さんが、何故、少年にリンゴを持たせたのか。
いつも、いつも、私は考えます。
そして、それは、新しい『知恵の木の実』『いのちの木の実』のような気がするのです。

旧約聖書の創世記には、こんなことが記されています。
《主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらす、あらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と、善悪の知識の木を生えいでさせた。………………………………………主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。
主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」………………………………》

でも、人(アダムとイブ)は、「知識の木の実」を食べ、エデンの園を追われた。と、旧約聖書には記されています。

私は時々考えます。人間の知識は、「両刃の剣」で、人々を救うことだけではなく、とてつもない悪を及ぼすことも。
知識には、疒(やまいだれ)が付くことも多いのではないかと。

人間の作りだした「核」の脅威に自らがさらされてしまったり、また、戦争の恐怖に逃げ惑ったり、何万年も管理しなければならない「放射性廃棄物」をつくりだしてしまったり……。

私は、願いを込めて考えます。
『リンゴをもつ少年』像の持っているリンゴは、新しい「知恵の木の実」なのではないかと。
新しい「いのちの木の実」なのではないかと。
そうあって欲しいと。

「ねぇ君。その手に持つリンゴで、私に、『知識』とは何か、と考え続けさせてください」
新しい「いのちの木の実」をもった少年に、また、会いにいきます。
                           〈ゴマメのばーば〉

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