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 「人生に計画をたててはなりません」ヘッセの手紙残像となる

いろは歌の死の世界

2008-10-13 20:18:08 | つぶやき
     


 「テルちゃん」に続いてこんどは上の写真の本を読みました。
玄侑さんの本は文章が読みやすく、それでいて
とっても深い心のひだが書いてあるのが、つぎの本を
読んでみようと思うのです。


本の中に「いろは歌の死の世界」というのがありました。

色は匂へと散りぬるを 我か世たれそ常ならむ
有為(うゐ)の奥山けふ越えて 浅き夢見し酔(ゑ)ひもせす

 

良く口ずさんだ歌ですが、死の世界を歌ったとは全然知りませんでした。
文章をそのまま書いてみます。

 「いろは歌」これは「夜叉説半偈(やしゃせつはんげ)」という
お経を翻訳したものだ。

四言絶句(しごんぜっく)という極めて古い形式の短い漢文のお経で、テーマは
死そのもの
お釈迦様が前世で雪山童子(せつせんどうじ)と呼ばれていたころ
夜叉が口ずさんでいた歌の翻訳なのだ。

前半はこちら側から見た死。
花の色が衰えていつしか散るように
あんなに元気だった人もやがて死ぬ。
そのことを、じつに綺麗に表現している。

そして後半がじつは本人にとっての死の描写なのである。
「有為の奥山」などという表現は原文にはない。
これは「無為自然」という「ありのまま」の生き方を理想と
考えたうえで、現実にはそんなことは無理で、人は
自分勝手な価値観を正しいと信じその有為なる道を
山に登るように進んでいくのだ。
という考え方が示されている。

そしてその有為の奥山を今越えた、というのだから、
つまり今日死んだということだ。しかも死んだ直後の、
あるいは死につつある過程での、
本人の気持ちが次に述べられているのである。

死んでみると、なんだか全てがはっきりすっきり見える。
そこから振り返ってこれまでの人生を見ると
まるで浅い夢、あるいは酔っぱらっていたといさえ思える。

だからこれからは、
「浅い夢は見るまい。酔っらいもするまい」と
宣言されているのである。

前半で「諸行無常」を悲しみながらも、一方で
本人にとっての死亡はマンザラでもなく描かれている。

もしかすると有為の奥山の向こうには、ようやく到達する
「無為自然」の世界が想定されているのかもしれない。


この本を読みながら、20年前に玄関の前で意識がなくなって
地面へ倒れたことを思いだしました。

その一週間くらい前、故母の夢を見たのです
一本の松の下に母が立っていたのです。
私は母が天から私を迎えに来たと思いました
母とは何も話しませんでした。

そこへ、天女のような人が5~6人降りてきて
まだ早いからと母を連れて行きました。

それからずっと、私は家族の誰にもそのことを言えずに
「母が私を迎えに来た」とずっと悩んでいました。
そして眠れない日が続きました。
そしてあるとき、外出しようと玄関へ出たのです

6月の梅雨でした
玄関の脇にブロック塀があり
そこえ捕まって「雨がやんだなあー」と空を仰いだのです

そこまでは、覚えているのですが
気が付いたときには地面にひっくえり返っていたのです。

めまいがしたわけでも無く、頭痛がしたわけでも、苦しくなったわけでもなく
なんの症状も無かったのです。

そこは、小砂利が敷いてありました
膝から下は内出血で真っ赤になりました
膝は痛みで曲らなくなりました。

病院へ行ったけれどなんの検査も、治療もありませんでした
ずつとこのことは謎でしたが

今本を読んで、私は「死」の体験をしたのだろうか?
と思いました。そんなことがあってから
「母が迎えに来た」と不安な思いがなくなりました。

後にも先にも変な体験でした。
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2 コメント

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不思議な体験ですね (aki)
2008-10-16 13:35:13
この歌、節をつけてよく歌っていましたがそういう意味合いの歌なんて思ってもみませんでした。
解釈して下さったのを読むと成る程と思いますが死の描写とは奥の深い歌だったんですね。
う~ん!私には難しいです。

貴重な体験されたんですね。
私も両親の夢を2度見ましたが2度とも口をききませんでした。
お母様が迎えに来られたと言うより転んでしまうから気をつけるように知らせに来られたのかなと・・・勝手な解釈ですが・・
でも無事何事もなくてよかったですね。


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akiさんへ (atuko)
2008-10-16 19:26:41
母の夢を見てもいつもは
姿を見ないのです、私の名前を呼ぶ声
だけなのです。

母が亡くなる半年前におばあさんの
夢を見たからお墓参りに行く
といって、入院していた病院から
お墓参りに行ったことを
覚えていました。

そんなことがあって、何となく
こんな風に思ったのです
本当に何でもなくて良かったです。
返信する

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