馬酔木との出会い
馬酔木との出会いは、最澄(栗田勇著)の本のなかの次の記述でした。
(略)受戒のあと、南都で三ヶ月にわたる夏安居(げあんご)の比丘の戒威儀の研修に入る前のひととき、広野(最澄の幼名)は、時に大安寺から、東大寺や興福寺へ教えを乞いにかよった。その行き帰りに、緑がしだいに深くなってゆく春日山を仰ぎみると、不思議な胸さわぎを覚えた。春日の社の後ろには、人の入らぬ千古の密林が広がっている。その下枝をくぐるようにわずかに鹿たちの獣道(けものみち)が曲りくねっていた。小路の両側に、頭上から白い大きな馬酔木の花の房が空をふさぎ、強い匂いが軀のうちに浸みた。馬酔木の花の香りは、心をかきたて、どこか、渇きを呼びさますように思える。(略)広野は、馬酔木の花の洞窟をくぐりぬけて、ずんずんと細い獣道をつきすすんだ。(略)しばらくゆくと、突然小路が切れた。えぐられたような崖が眼下にひらけ、大きな岩がごろごろしていた。昔の川床なのだろううか、(略)突然視野の隅を大きな猿のようなものが走って岩蔭にかくれた。(略)老婆である(略)
広野は老婆の捨てたものに近づいた。臭いがした。腐爛した若い女の黒髪が、むしろからはみ出している。あたりを見廻すと、腐りかかった骸(むくろ)が岩のあちこちにちらばっていた。
そういえば、山の聖(ひじり)から、春日山の裏は、大昔は骸を捨てるところだったと聞いたことがあった。広野は白い馬酔木の花の群れに誘われるようにして、このひそかな墓場に踏み込んだのも、宿命の導きを感じた。
たしかに、経典では、花の顔(かんばせ)も、夕べには骸となると読んだことはあるが(略)
広野は心眼で月輪をひたに凝視していた。月輪の中に如来がおられる。大日如来さまだと広野は直感した。
馬酔木の花と骸を捨てる墓場とのとり合わせである。広野が最澄となる生い立ちを小説にしたもので、この情景は現実というより広野の修行中の心の風景なのだろう。
いかに馬酔木の花が美しく霊的なものを誘う雰囲気をもった花かが想像できる。
奈良公園の馬酔木は有名である。万葉の旅(犬養孝著)によると、春日野は春日山地西麓一帯の野で、若草山や御蓋山(みかさやま)の裾にかけてこんにち奈良公園となっているところで、その奥には奈良の昔から幹の太い、背丈より大きい馬酔木の森があるらしい。
馬酔木との出会いは、最澄(栗田勇著)の本のなかの次の記述でした。
(略)受戒のあと、南都で三ヶ月にわたる夏安居(げあんご)の比丘の戒威儀の研修に入る前のひととき、広野(最澄の幼名)は、時に大安寺から、東大寺や興福寺へ教えを乞いにかよった。その行き帰りに、緑がしだいに深くなってゆく春日山を仰ぎみると、不思議な胸さわぎを覚えた。春日の社の後ろには、人の入らぬ千古の密林が広がっている。その下枝をくぐるようにわずかに鹿たちの獣道(けものみち)が曲りくねっていた。小路の両側に、頭上から白い大きな馬酔木の花の房が空をふさぎ、強い匂いが軀のうちに浸みた。馬酔木の花の香りは、心をかきたて、どこか、渇きを呼びさますように思える。(略)広野は、馬酔木の花の洞窟をくぐりぬけて、ずんずんと細い獣道をつきすすんだ。(略)しばらくゆくと、突然小路が切れた。えぐられたような崖が眼下にひらけ、大きな岩がごろごろしていた。昔の川床なのだろううか、(略)突然視野の隅を大きな猿のようなものが走って岩蔭にかくれた。(略)老婆である(略)
広野は老婆の捨てたものに近づいた。臭いがした。腐爛した若い女の黒髪が、むしろからはみ出している。あたりを見廻すと、腐りかかった骸(むくろ)が岩のあちこちにちらばっていた。
そういえば、山の聖(ひじり)から、春日山の裏は、大昔は骸を捨てるところだったと聞いたことがあった。広野は白い馬酔木の花の群れに誘われるようにして、このひそかな墓場に踏み込んだのも、宿命の導きを感じた。
たしかに、経典では、花の顔(かんばせ)も、夕べには骸となると読んだことはあるが(略)
広野は心眼で月輪をひたに凝視していた。月輪の中に如来がおられる。大日如来さまだと広野は直感した。
馬酔木の花と骸を捨てる墓場とのとり合わせである。広野が最澄となる生い立ちを小説にしたもので、この情景は現実というより広野の修行中の心の風景なのだろう。
いかに馬酔木の花が美しく霊的なものを誘う雰囲気をもった花かが想像できる。
奈良公園の馬酔木は有名である。万葉の旅(犬養孝著)によると、春日野は春日山地西麓一帯の野で、若草山や御蓋山(みかさやま)の裾にかけてこんにち奈良公園となっているところで、その奥には奈良の昔から幹の太い、背丈より大きい馬酔木の森があるらしい。