四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

巨星墜つ

2011年11月29日 | 哀悼

 午後、京都に行き、夜は帰ってきて、そのまま横山巌先生のお通夜に参列した。

 横山先生には、綾部谷垣会の会長自民党綾部支部顧問をしていただいており、大変お世話になった。

 父が最初に市長選に出た際に後援会長をしていただき、その後も終始お支えいただいた。

 横山医院の院長先生として子どもの頃からお世話になり、病気の時には横山先生に「大丈夫でしょ。一応、薬出しとくね」と言ってもらったら、大丈夫になった気がした。

 横山先生は綾部小学校の校医をしておられて、学校に予防注射に来られていた。小学1年のとき、注射が怖くて泣いたら、「大丈夫だよ」と一瞬で針を刺して抜くという神業でやっていただいた。
 以後、校医の先生が二人おられたので、横山先生に当たるようにと毎回、念じていた。

 4年前の落選の後、自民党綾部支部の役員懇親会を開催したら、日頃は参加されない横山先生が僕のことを心配して来て下さった。

 役員さん方が皆さん「4年後はぜひ!」と力強くおっしゃるのを聞いて安心され、「源太郎くんのお父さんが負けたときは、ボクらはもう二度と綾部では再起できないのではと思った。しかし、キミはまだ若いし、こういう皆さんがついていれば安心だ。大丈夫!」と励ましていただいた。

 横山先生に「大丈夫!」と言われて、本当に大丈夫な気がして、気持ちが楽になった。

 2年前の衆院選の際、携帯電話からご連絡いただき、「僕の番号はこれだから。何でも連絡して。ボクは病気でほとんど出られないけど、最後の演説会だけはどんなことをしても行くから!谷垣さんの選挙を手伝えるのもボクはこれが最後だと思うから、頑張る!」とおっしゃっていただいた。

 お言葉通り、闘病中の身でありながら、市民センターでの大集会では力を振り絞って、お願いしていただき、見事、厳しい選挙を勝ち抜かせていただいた。

 “巨星墜つ” 大きな功績を残された先生の偉業と明るい人柄のご遺徳を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 ご長男・容尚先生が素晴らしい喪主挨拶をされた。まるで、横山先生が息子さんの口を通して語っておられるような気がした。


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