トラッシュボックス

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産経抄は日本人的か

2011-06-19 16:34:41 | マスコミ
 一週間ほど前の記事を書きながら、産経抄子って、もしかして「日本人なら誰でも」という言い回しが好きなんだろうかとふと思った。
 検索してみたら、こちらのブログによると、2008年2月28日付けの産経抄にはこんな文章があったそうだ。

「新世界より」第2楽章の旋律を耳にすれば、日本人なら誰でも、「遠き山に日は落ちて…」で始まる「家路」の歌を思いだす。


 また、こちらのブログによると、2007年2月15日付けではこんなことを述べていたという。

 とかく日本人は、何事も横並びでないと心が落ち着かない。会議といえば「全会一致」が原則で、わが国会には「異議なし採決」というのもある。米国の心理学者ジャニスは、集団の結束を乱したくないというこの心理を「全会一致の幻想」と呼んだ。

 ▼ところが、イエスと同時代の裁判所には「全会一致は無効とする」という規定があったという。人の意見は割れるのが当然で、一致は偏見や興奮に基づくから顔を洗って出直せとの教えだ。だから、6カ国協議で日本が拉致問題で進展がない以上、重油の提供には参加しないと突っぱねたのは正しい。


 まあ、私も以前書いたように、人は往々にして自分を基準にして他人の行動を想定してしまいがちである。
 にしても、「日本人なら誰でも」という言い回しは、よほど自分を典型的日本人であると認識していないと出てこないだろう。

 しかし、「新聞は皆同じではありません」「群れない、逃げない。」をキャッチコピーとしていた産経新聞は、他紙と横並びではないのだから、日本人の新聞らしくないとは言えないか。

 いや、だからこそ「心が落ち着かない」ように見えるのかも。

「人の意見は割れるのが当然で、一致は偏見や興奮に基づく」のなら、今上天皇が第何代目かを知らなくても問題ではないし、日の丸・君が代を否定してもかまわないということになるのではないのかな。