『週刊文春』5月5日・12日ゴールデンウィーク特大号に掲載された椎名誠の連載エッセイ「風まかせ赤マント」第1033回の後半部分。
あまりにひどいと思ったので、一言述べておきたい。
この『地球がもし100cmの球だったら』という本は、インターネットで広まり、書籍化もされてベストセラーになったという「世界がもし100人の村だったら」の2番煎じなのだろう(「100人の村」の書籍版の刊行が2001年、『100㎝の球』は2002年)。
なるほど「大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなる」ということはあるだろう。
だがそれが問題の解決に資するとは限らない。
100人中の数人に富が偏在し、大多数は貧困に苦しんでいると聞けば、富の移転により解決できるのではないかと考えるのは自然だ。
だが、数十人なら救えそうに思えても、実際の数十億人を救うことは容易ではないし、単に富を移転するだけでは問題の解決にはならない。
それでも、比率を簡単に理解できるという効用はあるだろう。
この椎名の主張には、それすらない。
地球全体からすれば、水の量などごくわずかなものだ。
地球は水の惑星と言われるが、それはごく表層部だけのことで、ほとんどはマントルと核で占められてているのだから、それは正しい。
だが、それが何だというのか。
問題なのは、今回どれぐらいの量の汚染水が流され、それは地球全体の水に対してどの程度の量を占め、生態系に、そして我々人類にどのような影響を与えるのかということではないのか。
汚染水中に含まれる放射性物質は無害な程度に希釈されるのか、されないのか。
一定の海域に滞留するとすれば、それはその海域の生物にどのような影響を与えるのか。
また、では海に流さないとすればどのような処置が考えられたのか、仮にそうすることによりどのようなリスクが生じ、それは海へ流したことと比べてどう評価すべきなのか。
肝心なのは、そういったことではないのか。
椎名の主張には、そういった考察は何もない。
ただ勝手に地球を小さくして,水がこれだけしかない、大変だ、わが国の所業は非文明的だと騒ぎ立てているだけだ。
だったら、もし地球が直径10cmの球だったら、もっと水は少なくなる。
直径1cmの球だったら、もっともっと。
そんな数字に何の意味があるだろうか。
それに、
「海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。」
の一文は何だろうか。
水蒸気に放射性物質が含まれ,雨となって世界各地に降り注ぐと考えているとしか読めないのだが。
椎名こそ、「空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか」、と私は疑問に思った。
椎名のこうした態度は疑似科学的ではないだろうか。
そんな椎名が中学校などで水問題を講演しているという。
私は、椎名の言う科学者や為政者や企業よりも、そちらの方が心配だ。
福島原発が核の汚染水を海に流した、というニュースのときも驚いた。当事者(東電)は勿論だろうが、わからないのはそれを報道するNHKなどのもっとも影響力のあるメディアが「低濃度の汚染」などと、いかにも「どうということのない表現」をすることだった。ぼくはここ四年ほど世界の水問題を取材してきたので少し知識があり、これは錯覚を利用している狡い報道だな、と思った。
海はそんなに広くはなく海の水はそんなに潤沢ではないのである。海というより地球全体の氷は驚くほど少ない。このごろ中学生などに水の問題についての話(課外授業のようなもの)をよくやるが、テキストに子供むけの『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉=世界文化社)という本を使う。大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなることが多いのだが、この1メートルの地球の大気層は1ミリしかない。エベレストは0.7ミリとニキビぐらいのもの。海の深さは平均して0.3ミリ(!)しかない。一番深い海溝でも0.9ミリ。深さ平均0.3ミリの海の水は全部集めても660㏄しかない。ビール瓶一本の量だ。私達の飲み水の淡水は17ccだがそのうち12ccは南極や氷河などで凍結していて飲めない。海から海水が蒸発して雲になり山にぶつかり雨になり川に流れてそれを溜めて飲んでいるわたしたちの飲料水はわずか5ccしかない。スプーンー杯にも満たない量なのである。地球に水はそれだけしかない。よその天体のどこからも地球に水はやってこない。買い占めしたってそのもとは5ccしかないのである。
その浅くてかぎりある海に放射能汚染された水をいとも簡単に流してしまう国、というのは文明国なのだろうか、と考えてしまう。
海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。汚染は海の生き物を食物連鎖によって確実に有害化させていく。だから原発関係者やNHKの解説者などが「海は広いから希釈されてすぐには人体に影響はない」などと言っているのを聞くと、この子供むけに書かれた本を持っていって広げて見せてあげたい思いにかられる。
今度の件で原子力の科学者などという人がいっぱい出てきたが、この人たちは難しい計算や理屈は述べられるかもしれないが、空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか、という本質的な疑問をもつ。
数式だけいじくりまわしている科学者の一群と、その人たちの言っていることを正確に理解する能力のない為政者と、金儲けだけを目的にした企業に、わたしたちもやっぱり無知識なために「核」というどえらく危険なものをそっくり渡してしまったという悔恨が残る。地球の破滅はSFではなく、福島からもう現実化しているのでなければよいが。
あまりにひどいと思ったので、一言述べておきたい。
この『地球がもし100cmの球だったら』という本は、インターネットで広まり、書籍化もされてベストセラーになったという「世界がもし100人の村だったら」の2番煎じなのだろう(「100人の村」の書籍版の刊行が2001年、『100㎝の球』は2002年)。
なるほど「大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなる」ということはあるだろう。
だがそれが問題の解決に資するとは限らない。
100人中の数人に富が偏在し、大多数は貧困に苦しんでいると聞けば、富の移転により解決できるのではないかと考えるのは自然だ。
だが、数十人なら救えそうに思えても、実際の数十億人を救うことは容易ではないし、単に富を移転するだけでは問題の解決にはならない。
それでも、比率を簡単に理解できるという効用はあるだろう。
この椎名の主張には、それすらない。
地球全体からすれば、水の量などごくわずかなものだ。
地球は水の惑星と言われるが、それはごく表層部だけのことで、ほとんどはマントルと核で占められてているのだから、それは正しい。
だが、それが何だというのか。
問題なのは、今回どれぐらいの量の汚染水が流され、それは地球全体の水に対してどの程度の量を占め、生態系に、そして我々人類にどのような影響を与えるのかということではないのか。
汚染水中に含まれる放射性物質は無害な程度に希釈されるのか、されないのか。
一定の海域に滞留するとすれば、それはその海域の生物にどのような影響を与えるのか。
また、では海に流さないとすればどのような処置が考えられたのか、仮にそうすることによりどのようなリスクが生じ、それは海へ流したことと比べてどう評価すべきなのか。
肝心なのは、そういったことではないのか。
椎名の主張には、そういった考察は何もない。
ただ勝手に地球を小さくして,水がこれだけしかない、大変だ、わが国の所業は非文明的だと騒ぎ立てているだけだ。
だったら、もし地球が直径10cmの球だったら、もっと水は少なくなる。
直径1cmの球だったら、もっともっと。
そんな数字に何の意味があるだろうか。
それに、
「海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。」
の一文は何だろうか。
水蒸気に放射性物質が含まれ,雨となって世界各地に降り注ぐと考えているとしか読めないのだが。
椎名こそ、「空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか」、と私は疑問に思った。
椎名のこうした態度は疑似科学的ではないだろうか。
そんな椎名が中学校などで水問題を講演しているという。
私は、椎名の言う科学者や為政者や企業よりも、そちらの方が心配だ。
本人については知識云々よりも性格に問題があると感じます。
問題すり替えも甚だしい。つかカンチガイしてないか?
椎名誠は、平和ボケで思考力の無い連中を対象に、
「解りやすい、危機感を持つための入り口」 としてこの文を書いているのだろうがよ。
アゲアシ取りばかりで何の意味も無い記事だな。
読む気も無いが・・・他の記事もこんなんばっかなのか?
だったら活動やめちまえ。
死んでも誰も惜しまねーよ。
タイトルからいきなり「ばか」はないでしょう。
現在、「椎名誠」で検索するとこの記事は結構上位に表示されます。
そんな所でこんなコメントをしては、「ああ、この椎名の記述を支持するような奴は所詮この程度なんだな」と読者に思われてしまいますよ。
Unknown なあなたは痛くもかゆくもないでしょうが、椎名氏が気の毒です。
放射能汚染された水を海洋投棄するのが問題なのは、何らかの実害が発生する恐れがあるからでしょう。ではその恐れはどれくらいあるのか、そしてそれは投棄しないことによるリスクと比較してどうなのか、それこそが問題の本質でしょう。
ところが椎名氏が述べているのは、地球全体から見て水の量はそれほど多くない、「だから」投棄するのは「野蛮」である、ただそれだけです。具体的な危険性を全く考慮していません。
「問題すり替えも甚だしい」のは椎名氏の方です。
>平和ボケで思考力の無い連中
さしずめ、あなたのような方ですか?
>「解りやすい、危機感を持つための入り口」 としてこの文を書いている
それはそうなのでしょう。そうやって根拠もなく危機感を煽って、何がどうなるんでしょうね。
「思考力のない連中」に危機感を持たせてもパニックになるだけではないですかね。
>だったら活動やめちまえ。
「活動」?
先の方は確かにマナーがない方ですね。
しかし、この記事を書かれたご本人さんも
決して本名(あるいは社会的日常の中で通用する名前)を使われて記事を書かれていらっしゃる訳ではないのですから、
人様にマナーの有り方を論じられるならば、椎名誠さんを「椎名」と敬称なしの呼び捨てにされるのは、甚だ筋道が通っていないのではないでしょうか。
記事についてですが、いわんとされる事はわかりますが、当時、韓国政府が一連の汚水問題について、「日本政府はアジアの国々に許可を得ずに無断で海に放出した」
といって激怒していましたが、
韓国という一国がそれ程に無知極まりない低脳な国だという事に繋がります。
ご自身の主張も、もう少し専門的理論を展開されてから、記事を書かれる事が、ネット上における真のマナーだと思います。
ちなみに、私は科学者でもなく知識者でもありませんから、ご両者の意見の賛否は出来ませんね。
では、失礼。
以前どこかでお目にかかりましたでしょうか。
>決して本名(あるいは社会的日常の中で通用する名前)を使われて記事を書かれていらっしゃる訳ではないのですから、
仮に私が本名を用いていれば、椎名氏を呼び捨てにしても「筋道が通ってい」るということになるのでしょうか??
私が本記事で椎名氏を呼び捨てにしているのは、別に私が椎名氏に対して敬意を表するに値しない人物であると考えているからではありません。
当ブログでは、著名人については敬称を付けないことを原則としています。それは、私がその人物の言動を支持するかどうかとは全く関係ありません。
詳しくは、「敬称についての当ブログの考え」という記事↓
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/a5d36aa0a9f5d0be2ddcdfb0b517edb1
で説明しております。
韓国政府の話を持ち出されていますが、何をおっしゃりたいのか今ひとつわかりません。
私の論理を敷衍すると、「韓国という一国がそれ程に無知極まりない低脳な国だという事に繋が」る。
だがそんなはずはないから、韓国の抗議、ひいては椎名氏の見解にもそれなりの根拠があるということでしょうか?
私もあなた同様、「科学者でもなく知識者でもありませんから」、「専門的理論を展開」することはできません。
しかし、
「地球がもし100cmの球だったら」
「海の水は全部集めても660㏄しかない」
「わたしたちの飲料水はわずか5ccしかない」
から、
「その浅くてかぎりある海に放射能汚染された水をいとも簡単に流してしまう国、というのは文明国なのだろうか、と考えてしまう」
という椎名氏の論法に疑問を持つことはできます。
地球は100㎝の球ではありませんし、海水が放射能汚染されても飲料水が放射能汚染されることはありません。
そして、汚染水を流したことの是非は、何よりも汚染水を海洋に流さなければどうなっていたかという想定との対比から論じられるべきなのではないですか。
「もう少し専門的理論を展開」すべきなのは、まずは椎名氏の方ではないかと思います。
椎名さんのいいたいことは政治家やマスコミや評論家のあり方についてじゃないの?
そこが本質で、そこについてはまるで同意だし同じく憂いている
小さい地球の話は、俺も ん? ってなったけど、縮尺がどうこうだとかそんなの話は揚げ足とりでしかなくてつまらない人間のやることだ
本質以外のところのいらない言い争いだね
正直くだらない
書き逃げ宣言ですね。
オレはオマエの記事を好き勝手に論評するけど、オマエがそれに反論することは認めないからな。ざまあみろ!
ということですね。わかりました。
「めんどいんで全部読んでない」のならおわかりにならないかもしれませんが、他の方へのコメントと同じような話になりますが――
>椎名さんのいいたいことは政治家やマスコミや評論家のあり方についてじゃないの?
>そこが本質で、そこについてはまるで同意だし同じく憂いている
その「本質」とは何を指すのですか?
汚染水を海洋投棄したことが「どうということのない」ことなのか、それともそうでないのか、ではないのですか?
椎名氏はそうではないのではないかと考えているのでしょう。だがそれを自分では科学的に説明できない。それで苦し紛れに地球の水は地球全体と対比するとそんなに潤沢ではないという話を持ち出し、科学者やマスコミはそれすら理解していないだろうと勝手に決めつけて馬鹿にして、溜飲を下げているだけです。
地球の水が潤沢であろうがなかろうが、水が海と大気を循環しようがしまいが、問題の本質とは関係ありません。「本質以外のところのいらない言い争い」をして「くだらない」のは椎名氏の言説です。
そして、
《数式だけいじくりまわしている科学者の一群と、その人たちの言っていることを正確に理解する能力のない為政者と、金儲けだけを目的にした企業に、わたしたちもやっぱり無知識なために「核」というどえらく危険なものをそっくり渡してしまったという悔恨が残る》
という椎名氏の一節からは、科学者や為政者や企業といったものは視野狭窄で無能でエゴイストの馬鹿ばっかりで、「わたしたち」大衆は清廉潔白だが無知であったがために彼らのせいでひどい目に遭っている被害者だという、彼の社会観が強く窺えます。
実に大衆に都合のいい物の見方で、さすが長年人気作家の地位を確保しているだけのことはあります。
あなたや、前にコメントをいただいたUnknownさんのような方は、そうした椎名氏にまんまと乗せられているだけではないかという気がします。
コラムというのは字数制限もあり、また椎名氏は専門家でもありません。
それを一般の人と少し違った視点からコラムを書いている点で私は評価できると思います。
それを問題の本質はこうだからと、そんなことを書くお前は間違っているというのはそれこそ間違いでしょう。
>汚染水を海洋投棄したことが「どうということのない」ことなのか、それともそうでないのか、
あなたの考えなんて誰でも思うことです。
椎名氏への批判を書かなければ通り一遍の文章にしかならないことをあなた自身が分かっているのでこういった文章を書かれたのではないのですか?
物事の本質を見極めることは大切です。
でも、あなたの言う本質を知りたい人という人は椎名氏のコラムから知識を得たいなんて思いませんよ。
専門家の意見を聞きます。
あなたの意見は無差別な批判に聞こえます。
あなたの意見からすると汚染水の海洋投棄に関する言論はそれが「「どうということのない「ことなのか、それともそうでないのか。」というものしか許されないことになります。
しかし、あなたの意見はあなただけのものです。
あなたのいう、本質以外の言論は間違っているという言論はそもそも矛盾していることを自覚したほうがいいでしょう。
goo辞書(デジタル大辞泉)によると、
《人の言いまちがいや言葉じりをとらえて非難したり、からかったりする。》
とあります。
椎名氏が『地球がもし100cmの球だったら』の話を持ち出して科学者や為政者や企業を批判しているのは、言い間違いでも言葉尻でもなく、このコラム後半のキモですから、私の記事が「揚げ足取り」に当たるとは思いません。
>問題の本質はこうだからと、そんなことを書くお前は間違っている
>あなたのいう、本質以外の言論は間違っているという言論
そんなことは言っていません。
私は、椎名氏が間違っているとは一言も書いていません。
私は、「あまりにひどいと思った」と書いたのです。
この「ひどい」とは、『地球がもし100cmの球だったら』という仮定を持ち出すだけでは、この汚染水の海洋投棄について原発関係者やマスコミを批判するには全く不十分で、説得力を覚えないという意味です。
その理由については記事本文で述べたとおりです。
その私の記事に対して、私の批判は本質的でないという「ばか?」さんと「あ」さんのコメントが付いたので、私は彼らに、いや話の本質は海洋投棄の是非であって、椎名氏はそれからズレた批判をしているだけだと説いたのです。
それに対してあなたは、椎名氏は専門家ではないから本質的な話はできないし、本質的な話しか許されないとはおかしいとおっしゃる。
そんな話は「ばか?」さんと「あ」さんにしてくださいよ。私はそんなことは言っていません。
>椎名氏への批判を書かなければ通り一遍の文章にしかならないことをあなた自身が分かっているのでこういった文章を書かれたのではないのですか?
おっしゃる意味がわかりません。
椎名氏の文章を読んで思ったことを書いただけですが?
>あなたの言う本質を知りたい人という人は椎名氏のコラムから知識を得たいなんて思いませんよ。
>専門家の意見を聞きます。
そりゃあそうでしょう。椎名氏は専門家ではないのですから。
だからといって、専門家でない椎名氏が、的外れな『地球がもし100cmの球だったら』の話を持ち出して、原発関係者やマスコミや政府をこき下ろしても、それを批判すべきではないということにはなりません。
>あなたの意見からすると汚染水の海洋投棄に関する言論はそれが「「どうということのない「ことなのか、それともそうでないのか。」というものしか許されないことになります。
違います。
海洋投棄について、人々がどのように語ろうとそれはその人の自由です。
そして、椎名氏は、マスコミが「どうということのない表現」で報道するのを批判しています。
しかし、その根拠としては、『地球がもし100cmの球だったら』に基づく、地球の水は潤沢ではないという主張を挙げるだけです。
地球を縮めれば、地球の水は当然少なくなります。問題は、地球全体と比較しての水の量ではなく、我々生物の生存にこの海洋投棄がどのような影響を及ぼすかであるはずです。
そして、では当時、海洋投棄以外にどんな選択肢があったのかも検証されるべきです。
そうしたものを抜きにした、単なる感情論に任せた海洋投棄批判は馬鹿げていると私は言っているのです。
馬鹿げているからといって、そんな発言は許されないなどとは言っていません。
馬鹿げた発言をするのは椎名氏の自由です。馬鹿げた発言を読んで、これは馬鹿げていると表明するのは読者である私の自由です。
あなたは名前も晒さず言う。名前出す必要ないと私も思うしショウガナイ。
椎名さんは仕事だから名前を晒す、これもショウガナイ。
椎名さんは知識や見識が狭いのかもしれないが卑怯じゃない。
あなたは知識や見識が深く、良識があるかもしれないが卑怯だ。
言うなら名前出して責任を持って意見を言えばいい。
責任を持てないなら、名前出して世間に物言う人に意見を言うべき立場にないと思う。
この文章は私的なもので、インターネット上に公開するようなものじゃないと感じた。