法華狼さんの所で、8日付の産経抄が次のような内容であったことを知る。
「日本人なら誰でも知っている」とは、また大きく出たものだ。
戦前・戦後を問わず、当時の天皇が何代目に当たるかなど、国民はいちいち気にしてはいなかったと思うのだが。
「畏くも第124代今上陛下におかれましては……」などという表現が戦前においても用いられていたとは聞かない。
徳川幕府と足利幕府の将軍がともに15代続いたことは常識だろう。
社会科のテストで、家光や吉宗や義満や義政が何代目かと問われることもあるだろう。
鎌倉幕府で源氏の将軍は何代続いたかが問われることもあるだろう。
だが、推古、天智、聖武、桓武、後白河、後鳥羽、後醍醐、孝明といった著名な天皇が何代目に当たるかなど、問われることはまずないだろう(あれば難問奇問の類だろう)。
「歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである」
そう、簡単に調べられることである。
簡単に調べられることだからといって、それを常に記憶していなければならないとは言えまい。
産経抄子はわが国の政治にも当然関心が深いだろうが、菅直人が第何代目の首相に当たるのか即答できるのだろうか。
産経抄の記述は、次の産経の記事に拠っているようだが、
記事中でわざわざ「天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。」と断っていること自体が、必ずしも「日本人なら誰でも知っている」わけではないことの証左ではないのか。
「南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごと」
これを私は最初理解に苦しみ、いわゆる皇紀で数えてのことかと思ったのだが、読み直してみて、どうも単に後小松天皇が第100代だから、第125代の現代から見て「5分の4程度」と言いたいのだと気付いた。
いやはやすさまじい歴史感覚だ。
それで、
「日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる」
となるわけか。
「○○天皇のころ」というのなら、著名な天皇であれば、わかりやすいということもあるだろう。
しかし、それぞれ在位期間も大幅に異なる歴代天皇中の「第何代」のころだからといって、それで何がわかるというのだろうか。
弘文天皇(大友皇子)のように、天皇として数えるかどうか時代によって変わるケースもあるというのに。
「外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかも」
現実に「何代続いていますか」と聞かれることなどあるのだろうか。
私は英国女王エリザベス2世やスペイン国王のファン・カルロス1世、オランダのベアトリックス女王、タイのプミポン国王、サウジアラビアのアブドラ国王らが何代目に当たるかなど全く関心はないのだが。
産経抄子は外国人から聞かれたことがあるのだろうか。
聞かれるとすれば、むしろ「何年続いていますか」ではないだろうか。
仮にそう聞かれたら、産経抄子は果たしてどう答えるのだろうか。
神武天皇を「有史」の起点と見る産経抄子のことだ、誇らしく「2671年です!」と答えるのだろう。
かつて檀君紀元を公式に採用した韓国と同じレベルではないか。
「国として恥をさらすことにな」らなければよいが。
天皇陛下は初代の神武天皇から数えて第125代の天皇である。それでは区切りとなる50代目の天皇はといえば、西暦794年に平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇だ。さらに第100代は南北両朝の合一がなった後小松(ごこまつ)天皇ということになる。
▼平安遷都といえばずいぶん古いことのように感じられる。だが日本の歴史の始まりからすると、天皇の代数で50代もたっている。南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごとで、「ついこの間」のような気がしてくる。
▼日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる。しかしそんな日本の歴史も、枝野幸男官房長官にはあまり関心事ではなさそうだ。一昨日の参院決算委員会での「答弁」でそう感じた。
▼山谷えり子議員が、天皇、皇后両陛下の被災地ご訪問にからみ「天皇陛下は何代目の天皇かご存じか」と尋ねた。これに対し枝野氏は「存じません」と答えたそうだ。日本人なら誰でも知っていると思っていただけに、このニュースは衝撃的だった。
▼確かに戦後の歴史教育は神武天皇についてすら教えてこなかった。昭和39年生まれの枝野氏だから無理はないとの見方もあろう。だが歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである。しかも枝野氏は菅直人首相の後継候補に名前があがり、政府の中枢にいる。
▼もし首相となれば、外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかもしれない。答えられなければ国として恥をさらすことになる。政治家は国の将来だけでなく、その歴史も背負っているのである。
「日本人なら誰でも知っている」とは、また大きく出たものだ。
戦前・戦後を問わず、当時の天皇が何代目に当たるかなど、国民はいちいち気にしてはいなかったと思うのだが。
「畏くも第124代今上陛下におかれましては……」などという表現が戦前においても用いられていたとは聞かない。
徳川幕府と足利幕府の将軍がともに15代続いたことは常識だろう。
社会科のテストで、家光や吉宗や義満や義政が何代目かと問われることもあるだろう。
鎌倉幕府で源氏の将軍は何代続いたかが問われることもあるだろう。
だが、推古、天智、聖武、桓武、後白河、後鳥羽、後醍醐、孝明といった著名な天皇が何代目に当たるかなど、問われることはまずないだろう(あれば難問奇問の類だろう)。
「歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである」
そう、簡単に調べられることである。
簡単に調べられることだからといって、それを常に記憶していなければならないとは言えまい。
産経抄子はわが国の政治にも当然関心が深いだろうが、菅直人が第何代目の首相に当たるのか即答できるのだろうか。
産経抄の記述は、次の産経の記事に拠っているようだが、
枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」2011.6.6 16:14
枝野幸男官房長官は6日の参院決算委員会で、現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べた。天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。枝野氏は今年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられなかった。山谷えり子氏(自民)に対する答弁。
記事中でわざわざ「天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。」と断っていること自体が、必ずしも「日本人なら誰でも知っている」わけではないことの証左ではないのか。
「南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごと」
これを私は最初理解に苦しみ、いわゆる皇紀で数えてのことかと思ったのだが、読み直してみて、どうも単に後小松天皇が第100代だから、第125代の現代から見て「5分の4程度」と言いたいのだと気付いた。
いやはやすさまじい歴史感覚だ。
それで、
「日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる」
となるわけか。
「○○天皇のころ」というのなら、著名な天皇であれば、わかりやすいということもあるだろう。
しかし、それぞれ在位期間も大幅に異なる歴代天皇中の「第何代」のころだからといって、それで何がわかるというのだろうか。
弘文天皇(大友皇子)のように、天皇として数えるかどうか時代によって変わるケースもあるというのに。
「外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかも」
現実に「何代続いていますか」と聞かれることなどあるのだろうか。
私は英国女王エリザベス2世やスペイン国王のファン・カルロス1世、オランダのベアトリックス女王、タイのプミポン国王、サウジアラビアのアブドラ国王らが何代目に当たるかなど全く関心はないのだが。
産経抄子は外国人から聞かれたことがあるのだろうか。
聞かれるとすれば、むしろ「何年続いていますか」ではないだろうか。
仮にそう聞かれたら、産経抄子は果たしてどう答えるのだろうか。
神武天皇を「有史」の起点と見る産経抄子のことだ、誇らしく「2671年です!」と答えるのだろう。
かつて檀君紀元を公式に採用した韓国と同じレベルではないか。
「国として恥をさらすことにな」らなければよいが。