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椎名誠による原発批判の珍妙

2011-06-12 22:47:27 | 珍妙な人々
 『週刊文春』5月5日・12日ゴールデンウィーク特大号に掲載された椎名誠の連載エッセイ「風まかせ赤マント」第1033回の後半部分。


 福島原発が核の汚染水を海に流した、というニュースのときも驚いた。当事者(東電)は勿論だろうが、わからないのはそれを報道するNHKなどのもっとも影響力のあるメディアが「低濃度の汚染」などと、いかにも「どうということのない表現」をすることだった。ぼくはここ四年ほど世界の水問題を取材してきたので少し知識があり、これは錯覚を利用している狡い報道だな、と思った。
 海はそんなに広くはなく海の水はそんなに潤沢ではないのである。海というより地球全体の氷は驚くほど少ない。このごろ中学生などに水の問題についての話(課外授業のようなもの)をよくやるが、テキストに子供むけの『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉=世界文化社)という本を使う。大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなることが多いのだが、この1メートルの地球の大気層は1ミリしかない。エベレストは0.7ミリとニキビぐらいのもの。海の深さは平均して0.3ミリ(!)しかない。一番深い海溝でも0.9ミリ。深さ平均0.3ミリの海の水は全部集めても660㏄しかない。ビール瓶一本の量だ。私達の飲み水の淡水は17ccだがそのうち12ccは南極や氷河などで凍結していて飲めない。海から海水が蒸発して雲になり山にぶつかり雨になり川に流れてそれを溜めて飲んでいるわたしたちの飲料水はわずか5ccしかない。スプーンー杯にも満たない量なのである。地球に水はそれだけしかない。よその天体のどこからも地球に水はやってこない。買い占めしたってそのもとは5ccしかないのである。
 その浅くてかぎりある海に放射能汚染された水をいとも簡単に流してしまう国、というのは文明国なのだろうか、と考えてしまう。
 海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。汚染は海の生き物を食物連鎖によって確実に有害化させていく。だから原発関係者やNHKの解説者などが「海は広いから希釈されてすぐには人体に影響はない」などと言っているのを聞くと、この子供むけに書かれた本を持っていって広げて見せてあげたい思いにかられる。
 今度の件で原子力の科学者などという人がいっぱい出てきたが、この人たちは難しい計算や理屈は述べられるかもしれないが、空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか、という本質的な疑問をもつ。
 数式だけいじくりまわしている科学者の一群と、その人たちの言っていることを正確に理解する能力のない為政者と、金儲けだけを目的にした企業に、わたしたちもやっぱり無知識なために「核」というどえらく危険なものをそっくり渡してしまったという悔恨が残る。地球の破滅はSFではなく、福島からもう現実化しているのでなければよいが。



 あまりにひどいと思ったので、一言述べておきたい。

 この『地球がもし100cmの球だったら』という本は、インターネットで広まり、書籍化もされてベストセラーになったという「世界がもし100人の村だったら」の2番煎じなのだろう(「100人の村」の書籍版の刊行が2001年、『100㎝の球』は2002年)。
 なるほど「大きなものは縮尺するとその実態がわかりやすくなる」ということはあるだろう。
 だがそれが問題の解決に資するとは限らない。
 100人中の数人に富が偏在し、大多数は貧困に苦しんでいると聞けば、富の移転により解決できるのではないかと考えるのは自然だ。
 だが、数十人なら救えそうに思えても、実際の数十億人を救うことは容易ではないし、単に富を移転するだけでは問題の解決にはならない。
 それでも、比率を簡単に理解できるという効用はあるだろう。
 この椎名の主張には、それすらない。

 地球全体からすれば、水の量などごくわずかなものだ。
 地球は水の惑星と言われるが、それはごく表層部だけのことで、ほとんどはマントルと核で占められてているのだから、それは正しい。
 だが、それが何だというのか。

 問題なのは、今回どれぐらいの量の汚染水が流され、それは地球全体の水に対してどの程度の量を占め、生態系に、そして我々人類にどのような影響を与えるのかということではないのか。
 汚染水中に含まれる放射性物質は無害な程度に希釈されるのか、されないのか。
 一定の海域に滞留するとすれば、それはその海域の生物にどのような影響を与えるのか。
 また、では海に流さないとすればどのような処置が考えられたのか、仮にそうすることによりどのようなリスクが生じ、それは海へ流したことと比べてどう評価すべきなのか。
 肝心なのは、そういったことではないのか。

 椎名の主張には、そういった考察は何もない。
 ただ勝手に地球を小さくして,水がこれだけしかない、大変だ、わが国の所業は非文明的だと騒ぎ立てているだけだ。
 だったら、もし地球が直径10cmの球だったら、もっと水は少なくなる。
 直径1cmの球だったら、もっともっと。
 そんな数字に何の意味があるだろうか。

 それに、
「海から蒸発する水蒸気によって大地は水分を回収しそれを人間が飲む。」
の一文は何だろうか。
 水蒸気に放射性物質が含まれ,雨となって世界各地に降り注ぐと考えているとしか読めないのだが。
 椎名こそ、「空気とか水とか土などといった、いま我々のまわりを取り囲んでいる一番大切なものについて、どれほどの知識があるのだろうか」、と私は疑問に思った。

 椎名のこうした態度は疑似科学的ではないだろうか。
 そんな椎名が中学校などで水問題を講演しているという。
 私は、椎名の言う科学者や為政者や企業よりも、そちらの方が心配だ。