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死刑執行を自動的に? 鳩山法相

2007-09-28 22:24:21 | 事件・犯罪・裁判・司法
 鳩山邦夫法相は福田康夫内閣でも留任したが、安倍内閣の法相としての最後の記者会見で、現在の死刑執行の仕組みについて見直しを提言したという(朝日新聞記事のウェブ魚拓)。
 
《死刑執行命令書に法相が署名する現在の死刑執行の仕組みについて、鳩山法相は25日午前の記者会見で「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」と述べ、見直しを「提言」した。

 現在は法務省が起案した命令書に法相が署名。5日以内に執行される仕組みになっている。

 鳩山法相は「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば(執行される死刑確定者が)次は誰かという議論にはならない」と発言。「誰だって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執行されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。》

 しかし、刑事訴訟法では、再審請求がある場合などを除き、死刑の執行は、「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」と定められている(拙記事「死刑執行は法務大臣の職務」参照)。
 したがって、同法を条文どおりに遵守すれば、大臣に責任が負わせられるはずもない。大臣は法に忠実に従っているだけなのだから、死刑廃止論者が死刑執行を問題視するのなら、この条文を改正するよう要求すべきなのだ。
 問題は、この条文を無視し、大臣があたかも死刑執行の裁量権を握っているかのような現在の運用にあるのではないか。
 だから、鳩山が言わんとするところが今ひとつ理解できなかったが、読売新聞の記事(ウェブ魚拓)を読んで、ようやくその意図がつかめた。法務大臣が命令するという形式自体を不要にすべきだというのか。

《鳩山法相は25日、内閣総辞職後の記者会見で、死刑執行の現状について「法相によっては、自らの気持ちや信条、宗教的な理由で執行をしないという人も存在する。法改正が必要かもしれないが、法相が絡まなくても自動的に執行が進むような方法があればと思うことがある」と述べ、法相が死刑執行命令書にサインする現行制度の見直しを提案した。

 鳩山法相はさらに、「死刑判決の確定から6か月以内に執行しなければならない」という刑事訴訟法の規定について、「法律通り守られるべきだ」との見解を示し、執行の順番の決め方についても、「ベルトコンベヤーと言ってはいけないが、(死刑確定の)順番通りにするか、乱数表にするか、そうした客観性がある何か(が必要)」と述べた。

 そのうえで、誰を執行するのかを法相が最終的に決めるやり方では、「(法相が)精神的苦痛を感じないでもない」と言及。冤罪(えんざい)などを防ぐための慎重な執行が求められるという指摘については、「我が国は非常に近代的な司法制度を備え、三審制をとり、絶対的な信頼を置いているわけだから、(法相が執行対象者を)選ぶという行為はあってはならない」と語った。》

 「そのうえで」以下の箇所は全く正しいと思う。
 しかし、死刑執行命令のような重大事に、省のトップである法務大臣の決裁が不要というわけにはいかないだろう。
 官僚ではなく、国会が指名した内閣総理大臣が任命する閣僚に、死刑執行命令の権限が与えられているということは、わが国の民主制の上で、意義があるのではないだろうか。
 死刑執行の現状に問題があるという点には同意するが、大臣の責任さえ免れればそれでいいかのような、いささか軽率な印象を受ける。
 要は、運用を、法が想定している形に修正すれば済むことではないだろうか。

 この鳩山発言に、死刑廃止議員連盟会長である亀井静香がかみついたという(ウェブ魚拓)。
 亀井は鳩山を、

《「人間の命を機械みたいにボタンを入れておけば次から次に殺されていくようなイメージで扱っていいのか。法相の資格もなければ、人間の資格もない」と批判》

したという。さらに鳩山との面会を要請したが、鳩山は「そこまで言われてお会いする必要はないでしょう」と拒否したという。

 繰り返すが、「判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。」のだから、それが法が定めた本来の死刑執行の姿だ。つまり、ベルトコンベア方式だ。亀井は、鳩山に抗議するより、法改正を志向すべきではないのか。
 亀井は、死刑執行を「殺されていく」と表現する。
 死刑は、国家権力による殺人なのか。
 ならば、懲役刑は国家による監禁と強制労働か。
 罰金刑は国家による強盗か。
 国家には刑罰権というものが認められている。死刑であれ、懲役刑であれ罰金刑であれ、その正当性に変わりはない。警察官僚出身の亀井が、それを知らぬはずもない。
 死刑廃止論者が国民の、あるいは国会議員の多数を占めるようになれば、廃止を実現することもできるだろう。亀井はそれに向けて粛々と運動を進めていけばいい。
 しかし、死刑廃止論というのは、人権擁護運動の一つだと私は受け取っていた。
 鳩山を「人間の資格もない」と断じる亀井の人権感覚とはどういうものなのか、私は疑わしく思う。