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少年調書流出事件の本質

2007-09-22 23:12:44 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昨年6月に奈良県で起きた、少年による母子3人放火殺人事件を題材とした、草薙厚子『僕はパパを殺すことを決めた』(講談社)が、少年やその父親の供述調書を引用していたことが問題となっている。
 少年と父親から告訴を受けた奈良地検は、秘密漏示容疑で、今月14日、草薙の事務所や、草薙に調書を洩らした疑いがもたれている鑑定医の自宅や勤務先を家宅捜索するなど強制捜査に乗り出した。
 一部マスコミはこれを言論の自由を脅かすものとして批判している。

 今月18日付『朝日新聞』社説「少年調書 刑事罰にはなじまない」(ウェブ魚拓)は、次のように述べている。


《罪を犯した少年の更生とプライバシーの保護。その事件を報道する自由と国民の知る権利。二つの価値がぶつかって、判断に悩まされる問題が起きた。》


《問題の本質は、本がどこまで長男や父親のプライバシーを侵害し、長男の更生を妨げるか、ということだ。

 確かに、成育歴や親子関係でプライバシーに踏み込みすぎている印象はある。「事件の真実を伝えることは社会的な意義があり、再発防止につながる」という筆者の言い分もわかるが、表現にもっと配慮すべきだったのではないか。

 こうした微妙なプライバシーの問題について、捜査当局が介入し、刑事罰を科すことは妥当なのか。やはり民事訴訟などに委ねるべきだろう。

 強制捜査の背景には、政治家の動きがある。出版直後に国家公安委員長が「人権への影響を考えると問題」と発言し、法相は「司法制度や少年法の趣旨に対する挑戦的な態度だ」と流出経路の調査を指示した。

 こうした動きには、メディアを萎縮(いしゅく)させ、報道の自由を脅かしかねない危うさを感じる。》


 今月15日付『毎日新聞』の社説「少年調書引用 強制捜査まで必要なのか」(ウェブ魚拓)も同趣旨だが、少年法との関連で、事件に関する情報が十分公開されていない点を強調している。



《少年法は、非行少年の更生の観点から、本人が特定されるような記事や写真の掲載を禁じるなどの保護規定を設けている。このため審判は非公開で行われ、事件の経緯や背景となった家庭環境などが十分に明らかになっているとは言えない。

 こうした制約に対し、できるだけ情報を公開して社会で共有し、同種事件の再発防止に生かすべきだという意見が強まっている。被害者の家族に対しては、長崎県佐世保市の小学生が校内で同級生に殺害された事件などで、情報公開がされるようになった。》


 少年法の制約により、事件に関する情報が十分社会に共有されないため、再発防止に寄与しないという主張は、一応もっともなものだと私も思う。
 だが、だからといって供述調書の流出という事態が許されるのか。

 朝日は、
「問題の本質は、本がどこまで長男や父親のプライバシーを侵害し、長男の更生を妨げるか、ということだ。」
という。ならば、プライバシーを侵害せず、長男の更生を妨げなければ、供述調書を一ジャーナリストが自らの著作物として公刊することが許されるのか。
 この本がもし、草薙自身の取材により明らかにした事実を記載しただけのものなら、長男や父親は秘密漏示罪で告訴することもなかっただろうから、地検が強制捜査に踏み切ることも当然なかっただろう。
 問題の本質は、供述調書が流出したということそれ自体にある。

 朝日社説によると、この草薙の著書は「ほとんどが長男や父親らの供述調書の引用だ」という。
 当然のことながら、供述者は、それが公刊されることを前提に供述しているのではない。関係者以外の目には触れないことを前提に供述しているのだ。
 仮に調書の公刊が社会的に許されるとするなら、供述者こそが萎縮することになるだろう。それにより関係機関に情報が十分に提供されなくなるおそれがある。そのことは、事件の真相解明をかえって妨げるのではないか。再発防止のための情報提供よりもまずそちらが優先するのではないか。
 また、供述調書を作成するのは捜査官であるから、供述調書を著作物と考えれば、その著作権は捜査官にある、あるいは国にあると言えるだろう。
 それを自らの著作物として公刊するというのは、ジャーナリストのモラルとしてどうなのか。

 それと、供述調書は、事件の真相を明らかにするものとして、それほど信頼していいものだろうか。
 今月21日付『東京新聞』社説「少年調書出版 情報を封じ込めるな」(ウェブ魚拓)は、やはりこの強制捜査を批判するものだが、草薙の著書の問題点を次のように指摘している。



《確かに問題の多い本ではある。少年や父親は匿名でも、成績、学校名や家庭環境などが詳細に書かれ、名誉、プライバシーを守ろうと著者が苦慮したようには見えない。

 ほとんどが調書の引用であるこの本には、調書が捜査官による作文であることへの警戒感もない。

 調書からは「父親の勉強強要、暴力が少年の性格をゆがめ犯行の引き金になった」という事件の構図が浮かぶが、捜査官は構図を強調する形で調書を作成したように読める。

 その点を批判的に読み取れていないとして、著者のジャーナリストとしての姿勢に疑問も出ている。》


 そう、調書とは、捜査官の作文である。
 素材は供述者の言葉であるが、何を書き、何を書かないか、どのように表現するか、調書全体としてどのような印象を読む者に与えるか、全て捜査官の思うがままである。
 それを無批判に引用するのは、ジャーナリストとして正しい姿勢だと言えるだろうか。

 草薙は、自身のブログに載せている、日本文藝家協会に寄稿した文「議論なく勧告を既成事実化していいのか」で、次のように述べている。


《マスコミ報道が過熱することには是非があると思うが、少なくとも成人事件の場合は、判決が確定するまで各社は取材を続ける。そうした中で、初期報道の誤りが訂正される機会もあるし、何より公判廷においてある程度事件の全貌が明らかになる。そこが少年事件と異なる。初期報道で喧伝された「普通の頭の良い子が突然、事件を起こした」という言葉だけが残されては、国民は不安に陥るばかりだ。私はこうした不安を解消する一つの方法が、「正しい情報」を公開し、検証することだと判断し、出版することを決めた。
 これまでの著作で当局の内部資料を参考にする場合は、今回のようにそのまま引用することはなかった。そうすれば抗議や勧告を受けることもなく、穏便に出版することができる。実際、法務省からは「なぜ地の文に溶け込ませて書けなかったのか」との質問があった。もちろん、調書の内容を地の文で書くこともできた。しかし、そうすることによって「これはどこまでが真実なのか」と疑う人が出てくる。この事件の真相を知るためには、少年がいかに追い詰められていたか、その心情を伝えることが不可欠である。そのためには、生の声を聞いてもらうのが最も良い方法だと判断した。》


 「正しい情報」「生の声」というが、そうである保証はどこにもないのだ。
 長男やその父親それぞれに、自分の思いのたけを述べてみよと文章を書かせたら、供述調書とは全く異なるストーリーが現れることも考えられる。

 さて、草薙や鑑定医が容疑をかけられた、刑法上の秘密漏示罪とは、次のようなものだ。


《(秘密漏示)
第百三十四条  医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。》


 公務員には法律で守秘義務が定められており、罰則もあるが、民間人にはそのようなものはない。
 ただ、ここで挙げられている医師や弁護士といった特定の職業については、その性質上このように守秘義務が定められているわけだ。
 東京新聞は「流通していい情報と悪い情報を国家機関が強権的に選別すべきではない」というが、ならばこの秘密漏示罪自体の廃止を主張すべきだろう。

 その後の報道によると、当初否認していた鑑定医は、草薙に調書を見せたことを認めるに至ったと聞く。
 つまり鑑定医は嘘をついていたわけだ。それは強制捜査がなければ明らかにならなかった。
 鑑定医や草薙が刑事責任を問われるのは当然のことだと私は思う。



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1 コメント

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出版とWEBとは違う (大甘の甘太郎@携帯)
2007-09-23 00:59:38
草薙と講談社、マスコミに失望を禁じ得ない。

マスコミも、草薙の著作の悪質性は認めているわけである。

かつ、草薙と講談社は確信犯であることは疑いようもない。ジャーナリストとしてのプライドがあるなら彼らは最初から、強制捜査や刑事罰を受けることを覚悟すべきであり、モラルを喪失しているとしか言いようがない。

朝日新聞は民事訴訟でというが、日本の場合慰謝料や賠償の金額が低く、草薙のような功名心にはしる冒険主義者の抑止になるとは言いがたい。

書籍を刊行するということは、そこには編集者というプロのレフリーが介在しており、書きっぱなしで済むWEBやブログとは本質的に異なる。

権力の介在を招いた草薙や講談社のモラルの喪失にジャーナリストとして、もっと厳しい批判が必要ではないか?

刊行物を世に送り出すのは、ある種の特権的地位にあると言ってよい。

その特権的地位を守ろうとして、新聞メディアは汲々としているように思えてならない。

特権を享受するには、高い倫理性を持たないと、規制の網が張られてしまい、自業自得となる。
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