トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

欧州マスコミの日本観

2007-09-25 00:29:25 | マスコミ
 フランスの有力紙フィガロが、福田康夫を紹介する記事に、誤って麻生太郎の写真を載せてしまったという(gooニュースの読売新聞記事のウェブ魚拓。なお、読売新聞のサイト自体には、現在何故かこの記事は見当たらない)。

 読売は、

《欧州では、安倍首相の退陣表明直後から、「後継は麻生氏が有力」との主要通信社の報道が相次ぎ、同紙の編集者の脳裏に麻生氏の顔が刷り込まれ、手違いが生じた可能性もある。》

と、ややフィガロを弁護気味だが、朝日新聞(ウェブ魚拓)によると、

《写真説明では福田氏を「元首相」と紹介。》

というから、どっちにしろいいかげんなことをやっているということだろう。

 朝日は、

《仏紙に2人の違いはほとんど認識されていないようだ。》

と、暗に2人の知名度の低さに原因があるかのように揶揄しているが、欧州マスコミの日本に対する感覚とは、こんなものではないのだろうか。
 最近、『ニューズウィーク日本版』9月19日号で、英紙『デイリー・テレグラフ』東京支局長を務めたコリン・ジョイスという人物の「東京特派員の告白」という記事を読んだばかりなので、特にそんな印象が強い。
 ジョイスの記事は、日本特派員としての反省の記である。本当に伝えたかったことを十分に伝えられず、日本に対するステレオタイプなイメージを助長することに加担してしまっていたという。

《テレグラフが喜ぶ記事にはパターンがあった。ステレオタイプに即しているか(働きバチの日本人)、それを覆すもの(日本人の92%が会社嫌いだという調査結果)。笑えるか(女性の集団に取り囲まれ、警察に引っ立てられる痴漢の話)、楽しい写真が添えられているか(浴衣姿の女の子)だ。
 好まれるネタも決まっていた。第二次大戦の話か、日本で有名になったか犯罪に巻き込まれたイギリス人の話、相撲取りや芸者、人型ロボットに最新型トイレ……。
 日本の危機や問題を書く機会はほとんどなかった。日本の民主主義が自民党の一党支配体制から脱け出せる見込みはあるのか。アジアで進む勢力バランスの変化にどう対応するのか。日本人であるとはどういうことなのか。人々の間に納得のいく共通認識が生まれる日は来るのか。
 重いニュースは敬遠された。踊るロボットは特大扱いなのに長崎市長射殺事件は片隅に追いやられた。テロと戦争と災害がひしめく国際面で、もっぱら日本は明るい話題を提供してくれる場所と見なされていた。》

 また、こんなエピソードも記されているから、今回の事例が何ら特別なものではないこともわかる。

《本社の不手際には悩まされ続けた。大相撲の元横綱、曙の記事に貴乃花の写真が使われたり、ある人の発言が紙面で別人の発言にすり替わったり……。》

 そういえば、今年のサミットで、ドイツ紙が安倍首相を紹介する記事に赤城徳彦農相の写真を添えたこともあったなあ。

 しかし、われわれ日本人とて、欧州諸国の政治について、どれほどの知識があるだろうか。
 せいぜい英国やドイツの首相、フランスの大統領の名前は把握していても、イタリアやスペインの首相ともなると、即答できない人が多いのではないだろうか(私はできない)。
 同じ西側先進国とはいえ、それだけ遠い国だということだろう。

 それにしても、

《いまでかつて、イギリスのジャーナリズムがとびきり高邁だったことはない。記者は自分の仕事を「知的職業」ではなく「商売」と考えている。民主主義の番人や啓蒙者を自任するものは、いないといっていい。
 イギリスの新聞は日本の新聞と比べて紙面がカラフルで印象的な写真が多く、読みごたえのある記事や魅力的なコラムニストも多いので、紙面に活気があると評価する人もいる。確かに有名人のゴシップ記事も堂々と掲載するし、テレグラフは一面をモデルや女優の写真で飾ることで有名だ(03年には、バランスをとるためにハンサムな男性の写真を増やすと宣言した)。》

と語られる英国紙のイメージは、わが国の新聞のそれとはかなり異なる。
 英国の新聞は高級紙と大衆紙に明確に区別されていて、その読者層も明確に区別されていると聞く。
 その高級紙にしてこのありさまなら……わが国は、もっと自国のジャーナリズムに自信を持っていいのではないだろうか。