16日付『朝日新聞』の社説(ウェブ魚拓)は、次のように述べている。
《●民意の審判をいつ受ける
この総裁選の勝者はほぼ自動的に次の首相になる。だが、その地位が民意の信任を得ていないという点では安倍首相と変わらない。衆院を解散し、総選挙で国民の信を問わない限り、自信をもって政治を運営することはできないのではないか。それとも政権交代を恐れて解散をずっと先へ延ばすのか。
●「3分の2」を使うのか
法案が参院で否決されても、衆院で3分の2以上の賛成で再可決する手がないではない。政権として何としても実現したい政策がある場合、この奥の手を使うつもりがあるのかどうか。
インド洋での海上自衛隊の給油活動に民主党は反対だ。あくまで突破をめざすのか。解散までの間に最も重視する政策は何なのか、優先順位を示すべきだ。
この議席は小泉政権時代の郵政総選挙で得たものだ。2代もあとの首相が、民意の信任もないままにこの奥の手を使うことが許されるのか。》
麻生、福田、どちらが勝とうが、その政権は衆院選を経ていないから、民意の信任を受けていないという。
だから、参院で法案が否決された際、衆院で3分の2以上の賛成を得て再可決して成立させる手も使うべきではないという。
あたかも、内閣が交代すれば、衆院選により国民の信を問うのが当然だと言わんばかりである。
そうなのだろうか。
この社説は、わが国の議院内閣制、そして間接民主制の意義を理解していない、非常に問題があるものだと思う。
衆院には、たしかに解散もあるが、任期が4年と定められている。
解散は内閣の専権事項とされている。衆院で内閣不信任案が可決された場合には、内閣は衆院を解散するか、総辞職しなければならない。それ以外の場合にも、憲法7条を根拠に、内閣は随意に衆院を解散できるとされている。
内閣と国会が対立した場合に、内閣は衆院を解散して国民の信を問うことができる。解散はあくまで内閣の権利でしかない。例えば、衆院が、そろそろメンバーを変えるべきだと考えて、自主的に解散して総選挙に持ち込むようなことはできない。内閣が解散権を行使しなければ、衆院議員はその任期を全うしなければならない。
内閣が変わったから国民の信を問うべきだというのは、衆院の任期、そして解散権の本質を無視した暴論だ。
前回の衆院選は郵政民営化が争点だったが、現在は既に争点ではなくなっているから、現在の衆院の構成は現時点での民意を反映するものとは言えないという考え方もあるだろう。
しかし、2年前の衆院選の結果が民意でないというなら、前々回の3年前の参院選の当選者は、より現在の民意とかけ離れているということになる。
次の首相指名選挙で、参院では第1党である民主党の小沢一郎党首がおそらく指名されることになるだろう。しかし参院議員の半数は3年前の当選者だから、小沢の指名もまた民意を十分反映していないということになるのではないか。
そうなのだろうか。民意というのはそのように考えるべきものなのだろうか。
ならば、重要法案の採決や首相指名に際しては、常に選挙で民意を確認しなければならないということになってしまう。
議員の選挙というのは、何よりもまず、個々の議員を国民の投票で選ぶということに意義がある。政策への賛否の表明はあくまでそれに付随するものでしかない。ましてや、首相を国民が間接選挙するのではない。
議員は、自分に票を投じてくれた人を代表するのではない。また自分の選挙区の住民を代表するのでもない。1人1人の議員それぞれが、国民全体を代表するのである。
いったん議員を選出してしまえば、個々の国民は、議員の行動を規制することはできない。議員は、自分の信念だけに基づいて、議会で行動することができる。つまり、国民は、議員に国政を信託しているわけである。
間接民主制の意義は、そのように国民の信託を受けた議員が国政を動かしていく点にある。その時その時の民意に基づいて政治を行うのなら、全てを国民投票で決めればいい。技術的にはそれが可能なのにそうなっていないのは、そうすることによるデメリットの方が大きいと考えられているからだろう。ならば、もう少し、選良たる議員を尊重してはどうだろうか。
朝日の言うように、内閣が変わるたびに民意を問うべきなら、大統領制にすればいいのである。あるいは首相公選制にすればいいのである。朝日は憲法改正を主張すべきなのだ。
議院内閣制である以上、内閣が総辞職すれば、議院には次の首相を指名する権限があり、それは尊重されるべきだ。言わば、任期中の議院の構成こそが、間接民主制の下での「民意」である。世論調査の数字だけが民意ではない。
朝日は、早期に衆院選に持ち込むことにより、衆院でも民主党に勝たせて、小沢民主党内閣を成立させたいだけではないのか。
かつて、細川内閣(1993.8-1994.4)の下で、政治改革のシンボルとして小選挙区比例代表並立制が導入された。しかし、同制度による衆院選が実施されたのは、羽田内閣、村山内閣を経て、橋本内閣の下での1996年10月に至ってからだった。朝日はこの間、民意の信任を得ていないとして、一刻も早く衆院選を実施せよと要求してきただろうか。むしろ自社さ政権の存続に好意的だったのではないか。
《●民意の審判をいつ受ける
この総裁選の勝者はほぼ自動的に次の首相になる。だが、その地位が民意の信任を得ていないという点では安倍首相と変わらない。衆院を解散し、総選挙で国民の信を問わない限り、自信をもって政治を運営することはできないのではないか。それとも政権交代を恐れて解散をずっと先へ延ばすのか。
●「3分の2」を使うのか
法案が参院で否決されても、衆院で3分の2以上の賛成で再可決する手がないではない。政権として何としても実現したい政策がある場合、この奥の手を使うつもりがあるのかどうか。
インド洋での海上自衛隊の給油活動に民主党は反対だ。あくまで突破をめざすのか。解散までの間に最も重視する政策は何なのか、優先順位を示すべきだ。
この議席は小泉政権時代の郵政総選挙で得たものだ。2代もあとの首相が、民意の信任もないままにこの奥の手を使うことが許されるのか。》
麻生、福田、どちらが勝とうが、その政権は衆院選を経ていないから、民意の信任を受けていないという。
だから、参院で法案が否決された際、衆院で3分の2以上の賛成を得て再可決して成立させる手も使うべきではないという。
あたかも、内閣が交代すれば、衆院選により国民の信を問うのが当然だと言わんばかりである。
そうなのだろうか。
この社説は、わが国の議院内閣制、そして間接民主制の意義を理解していない、非常に問題があるものだと思う。
衆院には、たしかに解散もあるが、任期が4年と定められている。
解散は内閣の専権事項とされている。衆院で内閣不信任案が可決された場合には、内閣は衆院を解散するか、総辞職しなければならない。それ以外の場合にも、憲法7条を根拠に、内閣は随意に衆院を解散できるとされている。
内閣と国会が対立した場合に、内閣は衆院を解散して国民の信を問うことができる。解散はあくまで内閣の権利でしかない。例えば、衆院が、そろそろメンバーを変えるべきだと考えて、自主的に解散して総選挙に持ち込むようなことはできない。内閣が解散権を行使しなければ、衆院議員はその任期を全うしなければならない。
内閣が変わったから国民の信を問うべきだというのは、衆院の任期、そして解散権の本質を無視した暴論だ。
前回の衆院選は郵政民営化が争点だったが、現在は既に争点ではなくなっているから、現在の衆院の構成は現時点での民意を反映するものとは言えないという考え方もあるだろう。
しかし、2年前の衆院選の結果が民意でないというなら、前々回の3年前の参院選の当選者は、より現在の民意とかけ離れているということになる。
次の首相指名選挙で、参院では第1党である民主党の小沢一郎党首がおそらく指名されることになるだろう。しかし参院議員の半数は3年前の当選者だから、小沢の指名もまた民意を十分反映していないということになるのではないか。
そうなのだろうか。民意というのはそのように考えるべきものなのだろうか。
ならば、重要法案の採決や首相指名に際しては、常に選挙で民意を確認しなければならないということになってしまう。
議員の選挙というのは、何よりもまず、個々の議員を国民の投票で選ぶということに意義がある。政策への賛否の表明はあくまでそれに付随するものでしかない。ましてや、首相を国民が間接選挙するのではない。
議員は、自分に票を投じてくれた人を代表するのではない。また自分の選挙区の住民を代表するのでもない。1人1人の議員それぞれが、国民全体を代表するのである。
いったん議員を選出してしまえば、個々の国民は、議員の行動を規制することはできない。議員は、自分の信念だけに基づいて、議会で行動することができる。つまり、国民は、議員に国政を信託しているわけである。
間接民主制の意義は、そのように国民の信託を受けた議員が国政を動かしていく点にある。その時その時の民意に基づいて政治を行うのなら、全てを国民投票で決めればいい。技術的にはそれが可能なのにそうなっていないのは、そうすることによるデメリットの方が大きいと考えられているからだろう。ならば、もう少し、選良たる議員を尊重してはどうだろうか。
朝日の言うように、内閣が変わるたびに民意を問うべきなら、大統領制にすればいいのである。あるいは首相公選制にすればいいのである。朝日は憲法改正を主張すべきなのだ。
議院内閣制である以上、内閣が総辞職すれば、議院には次の首相を指名する権限があり、それは尊重されるべきだ。言わば、任期中の議院の構成こそが、間接民主制の下での「民意」である。世論調査の数字だけが民意ではない。
朝日は、早期に衆院選に持ち込むことにより、衆院でも民主党に勝たせて、小沢民主党内閣を成立させたいだけではないのか。
かつて、細川内閣(1993.8-1994.4)の下で、政治改革のシンボルとして小選挙区比例代表並立制が導入された。しかし、同制度による衆院選が実施されたのは、羽田内閣、村山内閣を経て、橋本内閣の下での1996年10月に至ってからだった。朝日はこの間、民意の信任を得ていないとして、一刻も早く衆院選を実施せよと要求してきただろうか。むしろ自社さ政権の存続に好意的だったのではないか。