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岸信介になれなかった安倍晋三(2)

2007-09-18 23:04:48 | 現代日本政治
 60年安保改定を成し遂げた岸を安倍がいかに尊敬し、その継承者たらんと意識しているかは、著書『美しい国へ』(文春新書)から推察できる。
 こんにち、対米追従一辺倒でいいのかといった批判はあれど、日米安保自体を否定する見解は少数派だ。
 60年安保騒動というのは、岸による安保改定に反対したのではなく、安保条約の存続自体に反対したものだった。つまり、反対勢力は、安保条約廃棄を要求していた。
 新安保条約は10年ごとに自動延長される。そのため70年にも安保反対の動きが学生を中心にわき起こった。しかし60年ほどの盛り上がりは見られなかった。そして80年以後は自動延長阻止は争点にならなくなった。95年、村山内閣の発足に伴い、社会党は日米安保容認へと転換した。
 これは結局、岸の築いた路線が国民に容認され、定着しているということだろう。とすれば60年の反対運動は何だったのかということになる。
 あれほど反対した国民は、そしらぬ顔で日米安保を受け入れている。反省の声もない。祖父はひどく攻撃されたが、結局は祖父が正しかったではないか。世論の動向は一時的なものだ。そんなものに左右されずに自分が正しいと信じる道を歩めば、自分の主張はきっと受け入れられる――安倍がこのように考えたとしても不思議ではない。

 しかし、岸はたしかに安保改定を強行したが、それだけの政治家ではない。
 岸は、東條内閣の閣僚であったため、A級戦犯容疑者として収監され、出所後も公職追放を受けていた。だが、53年自由党から当選し、54年には民主党に加わり、55年に保守合同で成立した自民党の初代幹事長となる。56年の鳩山一郎の後継総裁選では石橋湛山に敗れるも、その力を無視できない石橋により副総理兼外相として入閣し、間もなく石橋の病気辞任により後継の首相となった。政界復帰後数年で首相の座についたわけだ。それまでにつちかった政治力と、石橋の病気や緒方竹虎の急死といった幸運によるものだろう。安倍のように、最初からお膳立てされていた2世議員ではない。
 2世、3世議員はひよわ、ボンボンとよく言われるが、今回それがあまりにも露骨に出てしまったように思う。赤城徳彦もそうだ(しかし、小沢一郎みたいな2世議員もいるから、一概には言えないが……)。
 安倍は、岸のある限られた一面だけを見て、理想視していたのではないだろうか。


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2 コメント

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人生いろいろ、世襲議員もいろいろ (猫だぬき)
2007-09-19 01:00:40
小沢さんはボンボンのひ弱さをちっとも感じさせませんね。
「たたきあげ」の雰囲気が漂ってるというか、プロというか。
小泉さんもそうですね。あ、次期総理ほぼ確定の福田さんも…

安倍さんは政治番組や国会の審議で、 「歴史が判断する」「判断は歴史家に任せる」とよく言ってましたね。今は間違っているように見えても時間がたてばきっと評価してくれる、という自信(?)は、あっただろうと思います。その自信が退陣の時期を遅らせ、政治生命を危ぶまれるほどの最悪の事態を招いてしまった…?

私も、今は「お疲れさまでした」という気持ちだけです。
国民投票法の成立や教育基本法の改正、防衛庁の「省」昇格が、後の歴史家に正しかったと判断してもらえれば良いのですが。






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Re:人生いろいろ、世襲議員もいろいろ (深沢明人)
2007-09-20 00:36:56
そうですね、小沢さんや小泉さんは確かにそうですが、福田さんには、私はやや危うさを感じています。例えば阪神大震災のような非常時に、ちゃんと対応してくれるだろうかと……。この人は、どちらかというと黒子的な役割の方が向いているような気がします。
私は夢想家よりはリアリストの方が好きですが、現実と妥協するだけの人には首相になってほしくありません。

安倍内閣は短命とはいえ一応は業績を残しましたので、宇野内閣や羽田内閣とは違い、後世でそれなりの評価を得られるものと思います。しかし、辞任のタイミングの悪さもまた語り継がれるでしょうが……。
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