トラッシュボックス

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柳沢発言について思ったこと

2007-02-03 23:11:30 | 現代日本政治
 もあいさんのブログ「おやじの独り言」で、柳沢厚労相の「産む機械」発言を『朝日新聞』1月31日の社説が以下のように評していることに気付く(私は朝日の購読者だが、気付かなかった)。

《問題の発言は先週末、松江市で開かれた講演会で飛び出した。厚労相は少子化問題に触れ、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」と語ったという。
 さすがに、これはまずいとすぐに気づき、「機械と言ってごめんなさいね」と述べたうえ、「産む役割の人」と言い直したという。》 

そうだっけ? 最初の報道では、「機械と言ってごめんなさいね」といった言葉をはさみながら、「がんばってもらうしかない」と述べたという話だったと思うが。
 
 gooに転載された朝日の最初の記事↓(魚拓

《柳沢厚生労働相が27日、松江市で開かれた自民県議の後援会の集会で、女性を子どもを産む機械や装置に例えた発言をしていたことが分かった。
 集会に出席した複数の関係者によると、柳沢厚労相は年金や福祉、医療の展望について約30分間講演。その中で少子化問題についてふれた際、「機械と言って申し訳ないけど」「機械と言ってごめんなさいね」などの言葉を入れながら、「15~50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと述べたという。
 会場では発言について異論はなく、主催者からの訂正などもなかったという。》

 もう少し詳細な発言内容が報じられていたように思うのだが、古新聞をめくっても見つからなかった。
 ネットで探すと、『スポーツ報知』の記事に載っている発言要旨が一番詳しそうだが、これとて要旨でしかない(魚拓)。

《なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15~50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。》

 これからすると、朝日の社説が冒頭で

《「女性は産む機械」。この柳沢伯夫厚生労働相の発言が批判にさらされている。》

と述べているのはおかしい。柳沢は「女性は産む機械」とは言っていないのだから。

 それにしても、「申し訳ないが」「ごめんなさいね」と断りを入れても、これほど批判されるのか。
 謝罪もしているのだし、辞任すべきほどの問題とは思えないが。
 朝日もその辺はわかっているので、

《女性たちの思いに耳を傾け、地に足のついた少子化対策を進める。それができないなら、退場してもらうしかない。》

と、今すぐの辞任を要求しているわけではないのだろう。

 とはいえ柳沢の発言についても、疑問はある。単にたとえがまずかったというだけでは済まされないように思う。
「なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。」
「産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。」
といった上記の要旨の言葉からは、要するに女性が身勝手で子供を産まないから少子化が進むのだといった思想がかいま見える。朝日社説が

《子どもの数が増えないことを女性だけの問題ととらえているのではないか。女性ががんばれば、子どもは増える。そんな考え方が発言ににじむ。
 しかし、ことはそれほど単純ではない。》

と述べるのはしごくもっともだ。
 女性だけで子供を作れるはずもないのだし、結局、社会全体で子育てを支援していく仕組みを作っていかざるを得ないだろう。
 年齢的な限界ということも考えると、晩婚化の傾向にも歯止めをかけなければならないだろう。
 しかし、最低2人の子供を作ることが国民の義務、などとするわけにもいかないだろう。結婚や出産などは個人的なことなのだから、国民一人一人の自由意志に任されるべきだし。
 難しい問題ですね。

(柳沢発言批判として、「worldNote」というブログのこちらの記事が参考になりました。)