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世界の人類学者69.チャールズ・ベネディクト・ダヴェンポート(Charles Benedict DA

2013年08月18日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Charlesbenedictdavenport

チャールズ・ベネディクト・ダヴェンポート(Charles Benedict DAVENPORT)[1866-1944]

 チャールズ・ベネディクト・ダヴェンポートは、1866年6月1日に、アメリカのコネチカット州スタンフォードで生まれました。やがて、1886年にブルックリン工科大学で土木工学を専攻して卒業します。その後、ハーヴァード大学に入学して動物学を専攻し、1889年に学士号・1892年に博士号を取得しました。修了後、ダヴェンポートは母校に残り、動物学の助手として1899年まで務めました。この間、1897年にはイギリスを訪問し、フランシス・ガルトン(Francis GALTON)[1822-1911]やカール・ピアソン(Karl PEARSON)[1857-1936]に教えを受けています。

 1899年、ダヴェンポートはシカゴ大学の助教授に就任し、1901年には準教授に昇任しました。しかし、1904年にはその職を辞し、カーネギー研究所がニューヨークのロングアイランドに新設したコールド・スプリング・ハーバーの実験進化学部門(1921年に遺伝学部門と改称)の所長に就任しました。ダヴェンポートは、ここで、優生学の研究を開始します。

 当時のダヴェンポートによる優生学研究は、人種差別につながると世界中から批判を受けました。しかし、ナチス・ドイツが台頭した当時のドイツからは受け入れられ、多くの学会や学会誌の編集に携わっています。1934年、ダヴェンポートは引退しましたが、研究室は与えられており生体計測の研究を行いました。1943年にダヴェンポートは、アメリカ自然人類学会の第8代会長に就任します。

 1944年1月、1頭のシャチがロングアイランドに打ち上げられます。コールド・スプリング・ハーバーのクジラ博物館の館長兼学芸員だったダヴェンポートは、そのシャチの頭蓋骨をコレクションに加えたいと希望しました。やがて、シャチの頭部はダヴェンポートの自宅に持ち込まれ、周囲の人間の制止を振り切って、土に埋めるのではなく煮て頭蓋骨標本を作成する作業に没頭しました。しかし、冬の野外での作業は寒く、ダヴェンポートは風邪をひき、やがて肺炎に罹り、1944年2月18日に死去しました。ダヴェンポートは、生物統計学や優生学の分野で、約400編の論文と本を残しています。

*ダヴェンポートに関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • Oscar Riddle(1947)'Charles Benedict Davenport 1866-1944',"Biographical Memoirs of National Academy of Sciences", 25: 75-110.
  • Frank Spencer(1997)'Davenport, Charles Benedict(1866-1944)',"History of Physical Anthropology: An Encyclopedia"(Frank Spencer ed.), Vol2, pp.320-321.
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