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日本人類学会の歴史3.第3回じんるいがくのとも・明治17(1884)年10月26日

2013年10月12日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

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 日本人類学会の歴史は、明治17(1884)年に遡ります。学会の機関誌は、明治19(1886)年に『人類学会報告』として出版されますが、その出版前に、明治17(1884)年から明治18(1885)年にかけて、「じんるいがくのともよりあひ(人類学の友寄り合い)」あるいは「じんるいがくくゎいよりあひ(人類学会寄り合い)」が全7回行われています。この記録は、坪井正五郎[1863-1913]により、『じんるいがくのともよりあひのかきとめ(人類学の友寄り合いの書き留め)』として残されており、1940年に東京人類学会(当時)から出版されています。

 第3回の寄り合いは、「じんるいがくのとも(人類学の友)」という名称で、明治17(1884)年10月26日(日)の午後1時から、神田一ッ橋にあった東京大学理学部植物学教場で開催されました。この会合には、以下のように10名が参加しています。出席者名は、以下の順で記載され、最後に記録者の坪井正五郎の名前が書かれています。

  • 岡田信利
  • 澤井 廉
  • 白井光太郎
  • 宮沢作次郎
  • 有坂鉊蔵
  • 平山 順
  • 神保小虎
  • 松島鉦四郎
  • 加藤知藤
  • 坪井正五郎

 発表は、以下の1つが行われました。

  • 坪井正五郎「下石神井村石神」

 その他、詳細な記録は残されていませんが、白井光太郎が「渋谷白金にて古きもの得たること」を発表し、宮沢作次郎が「あつたやまにて得たる石斧土器」を発表したとあります。また、会の終了後、岡田信利を除く9人で、神田孝平宅を訪ねて「ふるきいしうつわ」を見たとあります。

1940


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