人類学のススメ

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文献解題・日本人の起源の本1.『中尊寺と藤原四代』[長谷部言人(1950)]

2013年12月16日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Asahishinbun1950

中尊寺と藤原四代―中尊寺学術調査報告 (1950年)
価格:(税込)
発売日:1950-08-30

 中尊寺に所蔵されている藤原四代のミイラは、昭和25(1950)年に金色堂が補修される際に人類学者で東北帝国大学名誉教授の長谷部言人[1882-1969]を団長として組織された「藤原氏遺体学術調査団」により、昭和25(1950)年3月22日から同年3月31日まで調査されました。この調査団は、人類学・法医学・医学・微生物学・植物館・理化学・保存科学・古代史学等の専門家が結集し、学際的に調査が行われています。この調査結果は、調査が行われた昭和25(1950)年8月30日に資金援助を行った朝日新聞社から『中尊寺と藤原四代』として公表されました。

 初代:藤原清衡[1056(天喜4)-1128(大治3)]

 第2代:藤原基衡[1105(長治2)-1157(保元2)]

 第3代:藤原秀衡[1122(保安3)-1187(文治3)]

 第4代:藤原泰衡[1155(久寿2)・1165(長寛3)-1189(文治5)](*伝聞としては、藤原忠衡のものとされていた)

Mummiesoffujiwara

藤原四代のミイラ[朝日新聞社(1973)『日本人類史展』より改変して引用]

◎長谷部言人(1950)「遺体に関する諸問題」『中尊寺と藤原四代』、朝日新聞社、pp.7-22

本稿では、長谷部は以下のように3つに章立てして記載しています。

1.四氏遺体のミイラ化は特に人工の加えられた結果でない

 遺体の皮膚は多くが欠損しているが、切創はなかった。藤原秀衡の皮膚が横に切れていたが、ひだになって乾いたところが裂けたもの。遺体の内蔵はほとんどが失われているが、ウジや鼠によるものであろう。

2.忠衡の首と称せられるは泰衡のである。また基衡、秀衡両者遺体の呼び名はいつの頃からか反対になった疑がある

 首だけが残存しているものは、藤原忠衡[1167(仁安2)-1189(文治5)]ではなく、藤原泰衡のものであろう。骨の状態も、忠衡よりも年上の泰衡のものに合致する。この首は、秀衡の棺の側に置かれていたが、かつては、基衡の棺の中に置かれていたと推定される。それは、上顎切歯の1個が基衡の棺の中に落ちていた。また、基衡と秀衡の遺体の呼び名が反対になっていた可能性がある。

3.清衡はじめ藤原氏四代の当主にはアイノらしい面影がない

・身長:清衡と秀衡の身長は160cm前後。基衡はこれより数cm高い。これは、アイノよりも身長が高く、1910頃の日本人男子身長平均159cmよりも高い。

・脳頭骨:清衡が最も小さく、泰衡が次ぎ、秀衡と基衡は大きい。アイノに比べると長さは大差ないが幅はどれお遙かに大きい。

・長幅示数:アイノは、平均76.5で中頭。秀衡は78.1・基衡81.3で大きい。

・上顔高:泰衡の上顔高は短いが、その他はアイノより高く面長である。

・鼻根部:アイノは、鼻根部がつよく陥入し眉間隆起が強く出ている。しかし、藤原氏の4つの頭骨にはこのような特徴は認められない。

・脳頭骨の縫合線:アイノは簡単な曲がり方が多いが、藤原氏の4つの頭骨は複雑な形である。

・ムシ歯:アイノは歯が丈夫でムシ歯がない。藤原氏の4つの頭骨には、ムシ歯が多い。

註:長谷部(1950)で指摘しているアイノ(アイヌ)という用語は、当時まだその概念が無かった在来系(縄文系)では無いという意味で用いています。藤原氏四代は、渡来系(弥生系)の要素が強いという意味になります。 


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