人類学のススメ

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私の仕事:発掘調査・エリザベスマウンド1(ノースウェスタン大学とコスター遺跡)

2010年05月30日 | D2.私の仕事:発掘調査・エリザベスマウ

 エリザベスマウンドは、アメリカのイリノイ州パイク郡に所在します。私は、このエリザベスマウンド7号の発掘調査に参加する機会に恵まれました。それは、1985年にノースウェスタン大学第18回サマー・フィールド・スクール(夏期野外実習)に登録して参加したからです。

 アメリカの大学では、夏期に、ほとんどの大学で様々な分野のサマー・スクールを開講しており、単位を取得することが可能です。大学卒業の条件は、卒業に必要な単位を取得することなので、夏期にも単位を取得すれば、それだけ早く卒業することも可能になります。また、基本的に大学間の単位は相互認定されるので、他流試合として、別の大学のサマースクールに参加することが多いようです。

 ノースウェスタン大学(Northwestern University)は、1851年に創立されており、イリノイ州シカゴ郊外の北部にあるエヴァンストン(Evanston)に所在する私立の名門校です。日本でも有名なシカゴ大学は、1890年に創立されているので、それよりも古い大学ということになります。実際、ノースウェスタン大学の学生は、アメリカ中西部のハーヴァード大学だと呼んでいました。

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エリザベスマウンド1.ミシシッピー川遠景

 サマー・フィールド・スクールは、イリノイ州南西部のカフーン郡(Calhoun County)キャンプスヴィル(Kampsville)にある、アメリカ考古学センター(Center for American Archeology)で行われました。このセンターは、1953年に創立されています。近くには、ミシシッピー川やイリノイ川が流れており、遺跡の密度は濃く、キャンプスヴィルから車で1時間以内の同心円部には約2,500の遺跡があるそうです。この地域にはマウンド(古墳)が多く、エジプトのナイル川にかけて、北アメリカのナイルと呼ばれています。

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エリザベスマウンド2.イリノイ川遠景

 このキャンプスヴィルは、当時の人口は約400人で、2000年の人口統計では350人だそうです。この村は、蒸気船がイリノイ川を走っていた時代には、渡船場として栄えたそうです。今でも、イリノイ州交通局により、イリノイ川の渡しを行っています。ありがたいことに、この渡船場は、年中無休でかつ24時間開いており、しかも無料です。私も、何度も使わせていただきました。

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エリザベスマウンド3.イリノイ川の渡船場。対岸がキャンプスヴィル。

 センターは、コスター遺跡の発掘調査で大変、有名になりました。ちなみに、遺跡の名前は土地の持ち主のセオドア・コスター(Theodore KOSTER)さんにちなんでいるそうです。このコスター遺跡は、1968年から1979年に、ノースウェスタン大学が発掘調査を行い、26の文化層が発見されました。その中でも、約6,600年前・約5,000年前・約3,300年前の3期に、集落が形成されています。また、約5,000年前のイヌの骨も発見されており、これは、北米でも最古級だそうです。

 遺跡は、調査終了後、埋め戻されており、遺跡自体を見学することはできませんが、出土遺物は博物館で見ることができます。

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エリザベスマウンド4.コスター遺跡発掘風景(『KOSTER』より)

 ちなみに、私は、渡米する前にこのコスター遺跡についてある程度の知識を得ていました。それは、このコスター遺跡の発掘調査を指揮したノースウェスタン大学の考古学者、スチュアート・ストリューヴァー(Stuart STRUEVER)教授とフリー・ジャーナリストのフェリシア・アントネッリ・ホルトン(Felicia  Antonelli HOLTON)さんが書いた、『KOSTER』という本を読んでいたからです。この本は、1979年に、Anchor Pressから出版されています。今、手元にある本を見ると、1982年4月16日に、お茶の水の丸善で購入と書いています。かすかな記憶を辿ると、安売りのワゴンにあったものの中から、表紙に人骨があったので選んで購入したようです。

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エリザベスマウンド5.『KOSTER』表紙

 ストリューヴァー教授は、1931年に生まれ、ダートマス大学卒業後、シカゴ大学大学院で有名な民族考古学者のルイス・ビンフォードさん(Lewin BINFORD)[1930-]の指導を受けています。指導教官は、わずか1歳年上です。1950年代から1960年代の当時、シカゴ大学では、「ニュー・アーケオロジー(新しい考古学)」という考えに基づいて、科学を考古学に積極的に応用する動きが盛んでした。これは、スプートニク・ショックに伴うそうです。ビンフォードさんは、1962年に「人類学としての考古学」という論文を書いており、事実のみを追求するのではなく説明をすべきであると説きました。興味深いことに、ビンフォードさんは、元々は生物学者だったそうで、民族考古学を創始したきっかけは、沖縄に6年間滞在したことだそうです。

 実際、このセンターでは、村にある39の建物を買い取り、石器・土器・植物・地質・自然人類学・コンピューター・博物館等に使用しています。私は、当時、オレゴン大学に留学していましたが、恐らく約30の大学に手紙を送り、人骨が発掘できるフィールド・スクールを探しました。その結果、このノースウェスタン大学に行き着いたわけです。実際、多くの人類学者からは、このノースウェスタン大学のサマー・フィールド・スクールが全米一であると推薦してくれました。

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エリザベスマウンド6.ストリューヴァー教授(『KOSTER』より)

 私は、まだ本でしか知らないストリューヴァー教授に会えることを楽しみに、オレゴンからイリノイ州に向けて車で出発しました。 


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