人類学のススメ

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世界の人類学者13.ハリス・ホーソーン・ワイルダー(Harris Hawthorne WILDER)[1864-1928]

2011年12月21日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Harrishawthornewilder

ハリス・ホーソーン・ワイルダー(Harris Hawthorne WILDER)[1864-1928][Stewart(1979)より引用]

 ハリス・ホーソーン・ワイルダー(Harris Hawthorne WILDER)は、1864年4月7日に、アメリカのメイン州バンゴールにて生まれました。ワイルダーは、音楽家の父親、ソロン・ワイルダーとサラ・ワイルダーとの間に生まれた一人っ子でした。母親のサラの家系には医者が多く、後にワイルダーはその母方の職業の影響を受けたと語っています。実際、ワイルダーが6歳の時には家族の友人から約6ヶ月の胎児の骨格をプレゼントされたり、母親の伯母からは頭蓋骨をプレゼントされたりしています。また、ワイルダー自身も、動物の死体を収集し、骨格だけの小さな博物館を作ったようです。ただ、彼が10歳の時には、父親が結核で亡くなるという悲劇も経験しました。

 1882年には、アメリカ東部の名門校、アマースト・カレッジに入学して、動物学を専攻し1886年に卒業しました。卒業後は、イリノイ州のシカゴにある高校で生物学を教えていましたが、1889年には、ドイツのフライブルク大学の大学院に進学し、1891年に動物学の分野で博士号を取得しています。当時のアメリカでは、ドイツに留学することがはやっていました。翌年の1892年には、アメリカ東部の名門女子大学のスミス・カレッジで教職を得ます。ワイルダーは、1928年に亡くなるまでこのスミス・カレッジで36年間を過ごしました。ワイルダーは、動物学の教授で特に両生類の研究で著名でしたが、当時としては珍しい野外実習を取り入れたり、人類学や進化についても教鞭をとっています。また、アメリカにおける法医人類学のパイオニアとしても、近年、見直されつつあるようです。

 ワイルダーは、以下のように、5冊の有名な本を書いています。

  • 1910『The History of the Human Body』
  • 1918『Personal Identification』
  • 1920『A Laboratory Manual of Anthropometry』(このブログで紹介済み)
  • 1923『Man's Prehistoric Past』
  • 1926『The Pedigree of the Human Race』(このブログで紹介済み)

 このブログでも、1920年に出版された『A Laboratory Manual of Anthropology』と1926年に出版された『The Pedigree of the Human Race』の2冊をご紹介しました。

Wilder

スミス・カレッジで動物学を講義中のワイルダー(中央奥)[ワイルダーが教鞭をとっていた、スミス・カレッジのアーカイヴより引用]

私生活では、6年間動物学教室に講師として勤務していた、イネス・ホイップル(Inez WHIPPLE)[1871-1929]と、1906年7月26日に結婚します。ハリス・ワイルダー42歳、イネス・ホイップル35歳の時でした。結婚後、二人は、夫唱婦随で動物学の研究に邁進します。しかし、悲劇が訪れました。ハリス・ワイルダーは、脳出血におそわれ、1928年2月27日に突然この世を去りました。享年64歳でした。この頃、ワイルダーは自叙伝を執筆していましたが完成させることなくこの世を去ったため、妻のイネスが初期の部分を完成させましたが翌年、イネスもこの世を去ってしまい、自叙伝が完結することはありませんでした。しかし、ワイルダーは、アメリカにおける初期の人類学に大きな貢献をしたことは間違いありません。

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Wilder(1920)『A Laboratory Manual of Anthropometry』の表紙(*画像をクリックすると、拡大します。)

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 Wilder(1926)『The Pedigree of the Human Race』の中表紙(*画像をクリックすると、拡大します。) 


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