人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

文献解題・日本人の起源の本4.『中尊寺と藤原四代』[鈴木(1950)3]

2013年12月19日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

Asahishinbun1950

中尊寺と藤原四代―中尊寺学術調査報告 (1950年)
価格:(税込)
発売日:1950-08-30

 中尊寺に所蔵されている藤原四代のミイラは、昭和25(1950)年に金色堂が補修される際に人類学者で東北帝国大学名誉教授の長谷部言人[1882-1969]を団長として組織された「藤原氏遺体学術調査団」により、昭和25(1950)年3月22日から同年3月31日まで調査されました。この調査団は、人類学・法医学・医学・微生物学・植物館・理化学・保存科学・古代史学等の専門家が結集し、学際的に調査が行われています。この調査結果は、調査が行われた昭和25(1950)年8月30日に資金援助を行った朝日新聞社から『中尊寺と藤原四代』として公表されました。

 初代:藤原清衡[1056(天喜4)-1128(大治3)]

 第2代:藤原基衡[1105(長治2)-1157(保元2)]

 第3代:藤原秀衡[1122(保安3)-1187(文治3)]

 第4代:藤原泰衡[1155(久寿2)・1165(長寛3)-1189(文治5)](*伝聞としては、藤原忠衡のものとされていた)

Mummiesoffujiwara

藤原四代のミイラ[朝日新聞社(1973)『日本人類史展』より改変して引用]

◎鈴木 尚(1950)「遺体の人類学的観察」『中尊寺と藤原四代』、朝日新聞社、pp.23-44

 本稿で、鈴木は5つに章立てして記載していますが、今回は「藤原四代の年齢」を解説します。

3.藤原四代の年齢

(1)藤原清衡

・文献記録:大治三(一一二八)年七月十三日に、七三歳で死亡。

・人類学的観察:歯の咬耗・頭骨縫合・胸骨・脊椎骨の癒合・甲状軟骨の化骨・肋軟骨の一部化骨から、四代中最も老年で死亡したことが推定され、文献上の七三歳は妥当。

(2)藤原基衡

・文献記録:保元二(一一五七)年三月十九日に死亡で、死亡年齢不詳。但し、五四歳という推定がされている。

・人類学的観察:歯の咬耗が弱く、頭骨縫合の内最も遅く始まる乳様後頭縫合の癒合があり、甲状軟骨の後半が化骨している点から五〇歳以上と推定。文献上の五四歳は妥当。

(3)藤原忠衡

・文献記録:文治三(一一八七)年十月二九日に、六六歳で死亡。

・人類学的観察:歯の咬耗・頭骨縫合・脊椎癒合は、清衡に比べると程度が弱く、文献上の六六歳は妥当。

(4)藤原忠衡

・文献記録:文治五(一一八九)年六月二十六日に、二三歳で死亡。

・人類学的観察:ラムダ縫合には全く癒合がない。蝶形骨と後頭骨との軟骨結合は痕跡を残すことなく化骨し、少なくとも二〇歳以上。上下顎の第三大臼歯は完全に萌出。歯の咬耗は、個人差があるため二〇歳から四〇歳まで幅があるので、二五歳か三五歳かの問題は決定を見合わせたい。

(5)藤原泰衡

・文献記録①(吾妻鏡吉川本):文治五(一一八九)年九月三日に、二五歳で死亡。

・文献記録②(国史大系):文治五(一一八九)年九月三日に、三五歳で死亡。

・人類学的観察:ラムダ縫合には全く癒合がない。蝶形骨と後頭骨との軟骨結合は痕跡を残すことなく化骨し、少なくとも二〇歳以上。上下顎の第三大臼歯は完全に萌出。歯の咬耗は、個人差があるため二〇歳から四〇歳まで幅があるので、二五歳か三五歳かの問題は決定を見合わせたい。


最新の画像もっと見る