福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の22/22

2024-09-03 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の22/22

二十二、齋(とき)布施の論の事

中古出羽國羽黒と云所に秦の源三太夫伊之と云人あり。生質横逆にして終に佛法の名字だも聞くことなし。平生殺生をこのみ虚妄を宗とし慳貪を業と思ふ。誠にかぎりなき邪人なり。かくして星霜を送りてげるに石木ならぬ身躰無常の殺鬼に責められて病苦既に事逼り臨終に及ぶ時に其の言誠によく南無地蔵と一遍口唱してつひにはかなくなりぬ。男子二人ありしが此のありさまを見て本意とき事に思ひ亡父の菩提の為に思ひ思ひに修善をなしけるが、嫡子太郎惟親(これちか)次男は真行と号すが一所に寄り合ひてあるが中にも父上の地蔵の名号を唱て臨終したまへば、地蔵の聖像を造立して供佛施僧の営をなしけるに太郎は斎僧とて法師を集め飯をすすめ布施なんどつやつやと止(とど)めけり。次郎は佛事には福門こそ先として斎食等の供養は常の事ざまなりとて、兄弟引き分れて善根をなしけるこそ誠に悪人のあと寸善尺魔ともなるらんとぞ覚ゆ。兄の惟親は佛僧を供養し奉る事は飯善調味とて百の菜味をあつめ一人の僧を請じては飲食を責飽こそ供養とも云べきとて手をとり胸ををさへて強ひのませければ中々をかしき供養にてぞありける。次男眞行は斎は供養門の最初、布施は菩提の種、四證菩薩の加行には第三果也。超八の法華すなわち法華超八・超八醍醐であるというは頭目髄悩及妻子の施とこそ説き玉へり(妙法蓮華經提婆達多品第十二「爾時佛告諸菩薩及天人四衆。吾於過去無量劫中。求法華經無有懈惓。於多劫中常作國王。發願求於無上菩提。心不退轉。爲欲滿足六波羅蜜。勤行布施。心無悋惜象馬七珍國城妻子奴婢僕從。頭目髓腦身肉手足不惜躯命」)いかんぞ法師を食責にせよとの教やあると云ふ。太郎の云く、若し一搏の食をもて僧衆に奉施せば未来世にをいて決定して飢饉の災にあはずと龍樹大士の論にも見ゆ(阿毘達磨大毘婆沙論卷第一百三十四大種蘊第五中縁納息第二之四「若有能以一摶之食起殷淨心奉施僧衆。於當來世決定不逢飢饉災起」。阿毘達磨倶舍論・阿毘達磨順正理論にも同じ記述有)。況や飽くまで進めんになどか亡父魂靈の益にならざらんやと物知りだてに自用を好んでぞ申しける。次男云く、斎と云ひ施と云ひしひて勝劣を思ふものにあらず。されども施と云も時に應じて施すが故に福を得るばかりなし。飢餓の時に施せば福をうること益々多し等とも金言をきく。飽くまで食ひ暖に衣(きせ)しめたりとて志の至らざるは結句は飢餓せしむるに等しかるべし。されば如来四智以て観察して漸頓種々の説法し玉へども畢竟して無位安楽の月をながめさせんとて實の為に権を施し玉ふ。宗門已に分かれて彼と云ひ此れと云ひ是非邪正を立て各々教を示すと雖も此の方の心に毫釐も不信の志をいだきなさば一日の中万僧をあかしむるとも益なきこと海中に鹽を投て功の見へざる如くならん。されば貴方は兎も角あれかしと忌日になれば僧を請じて麁菜の飯を施し布施なんど随分にたしなみけり。爰に夏の比(ころ)太郎越中國立山の御岳に参詣して亡父の相を見奉らん事を祈る。山中深くわけいりて彼方此方と迷行くに小篠の道も幽にて心細くありながら南無地蔵と念誦して足に任せて往くほどに二日已に暮れていかがせんと思所に蛍の如く光る物あり。如是の山中にも人の住むにや但し怪ものにてやあらんなんどと虚懼しく思処に彼の火の光の如くのもの近付来るを見れば若僧のけだかく貌相美しきが杖をつき火をともして来り玉ふにぞありける。暫くありて彼の者に向かって申し玉ひけるは、汝が父の住所を見すべしとて、手を引いて行玉ふ。偶ま一善をなすとも我相執着すれば只妄想轉倒の邪善となり、輪廻生死の迷い、修行人かへって出離の道を失ふなり、とつぶやき玉ひて、あれこそ汝が父の栖よと指して忽然として失せ玉ふ。太郎あまり喜(うれしく)て立ち入りて見ればまばらなる草の庵にてさすがに人の住所ともをぼへねどもしばらくありて銀盤に玉の盃、金の提子(ちょうし)を持ちたる美男来て酒をすすむる躰なりし。今まで目に然と我が父よとさへぎるものなきに忽ち亡父現在の躰にて着座す。此の酒を見て憂る色あり。美男色を変じて忽ちに大鬼王の形となる。彼の提子の中の酒とをぼしきものいかにのまぬぞとせめて飲することかぎりなし。少しの間には父涙をながして申しけるは、汝我がためとて追福するは即ちこれなりと怨顔にのびあがりてのみをはれば猛火となりて其の身をも家に焼け失ける。見るにもあさましき次第なれば急ぎて本国に皈り眞行にかたりつつ、日ごろの所為我があやまりなりと涙をながし事のさまをいかがして亡父の離苦得樂の縁になるべきぞと云へば、眞行思ふ諸法は機によりて教を設くとみへたり。舎兄はあやまりて諸事を心に任せてはからひ玉へば天魔に犯されて此の相をみたまふらん。されば教にも未得謂得(未だに悟りを得ていないのに、得たと思い込むこと)とて嫌ひ玉ふ唯千聞も一見には如かずとなれば、彼の所に下向して見奉んと思立ち、六月上旬に件の御岳に参して下痢。彼の山の麓に岩倉と申す所に着きて沐浴斎戒して一心に敬白して申さく。南無帰命頂礼立山大権現幷三劫三千諸佛菩薩真如實際常住三宝塵中劫外の佛達同じく哀愍を垂れて共に鍳知し玉へ、伏して願くは三宝の弟子秦次郎真行拙も悪業の家に生れて無道の種をつぐといへども幸いに佛教に値遇し奉りて頗る四恩の道を知る。宿善のもよほす処累徳の然らしむる者ならば諸尊の靈験を施し天衆も憐れみを垂れ玉ひてかたじけなくも地蔵薩埵の因位の御時祈りて聖母の御皃(顔)を拝し奉り玉ひし如く、某(それがし)が亡父の在所幷に追善の報はこたふるや否や明らかに知らしめ玉へ。伏以て眞行が如きんば谷に應びきのごとし。何ぞ誤らん。佛智は鏡に似たり。何れの願か成就せざらん。縦(たとひ)亡父宿業にひかれて闇穴の中に落ちるとも大智に闇なし。何ぞ其の影を見せしめ玉はざらんと丹誠を盡して祈請し奉る。さて御岳へのぼりてをがみければ瑞相不思議の事ども多くありて、耳に聞くひびき目に見る気色すさまじく身の毛もやだつばかりなり。爰に僧一人来り玉ひて汝が先達して得させん。此方へ来れ、とに玉ひて谷ごしに大なる家の見えけるを指してあれこそ汝が父の栖との玉ふ。喜びて行き向って見れば兄の言に似ずいみじきありさまなり。近習の人、三十餘人往来市をなす。四面の大床金の高欄玉の階美膳の供御(くご)各々美を尽くし亦善を尽くせり。まことに佛を供養するにことならず、遊戯歓楽して見へしが俄かに山鳴り谷應へて草木震動し青天俄然として曇り猛風枝を折るかとすれば、忽焉として火の雨降りをそろしき事言語道断せり。されども父の居所には天華を雨(あめふらし)幢幡覆ひかけたれば火炎のをそれ更になし。地より火焔起これば法水そこより涌き出て波は般若を唱へ五色の蓮華さき出て枝上に衆鳥楽しみ遊ぶ。各々微妙の音声をもて檀波羅蜜具足圓満大慈大悲一切衆生(九条錫杖經の一節)とぞさへずりけり。角して轉より錫杖ふりて光明を放ち十方世界を照らす。化力の鬼神来たれば宮殿も夢の如くに消え失せて終に小笹の野中に父一人残り留りて罪の軽重を論ずるに父は理を失ひ鬼神は理を得て悪道に落とさんとしければ父の口より長さ六寸(約18cm)の地蔵尊を出現して言はく、彼は我が宮殿なり。何の罪障かあらん。非有非無と説きて天に飛び上り玉へり。或は又威神の身を現し玉へば彼の鬼神も鐵杖をすてて合掌しけり。父の身も變じて金銀の舎となる。紫雲たなびき虚空に飛行し地蔵薩埵もろともに妙音を出して檀波羅蜜具足圓満大慈大悲一切衆生と誦して安々として虚空に坐し玉ふかと思へば見るに便を失す。然れば悪鬼は隠れて唯清嵐のみなり。其の後草村(ママ)のかげより亡父杖にすがりて歩行し来る。まじかくなりて父の云く、汝等我がためになす善根に邪正の二つあり。是に依りて苦楽の報を並べ受たり。太郎が報恩は邪善となる。汝が追善は正善なり。虚假の作善はかへって苦を添ふ。汝我が臨命終のとき地蔵の名号一唱す。其の力によりて菩薩の宮殿となって鬼神の呵責をのがれて日々三度都史多天にのぼりき。太郎が修善は糞泥となりて身を苦むと涙をながして消如くになりぬ。此の如き体を見て急ぎ下向して太郎に具に語れば惟親大にをどろき前非を悔て遁世して父の獄苦を弔ふ。地蔵の尊像を頸にかけ高声に地蔵の名号を口唱して修善の行者となりぬ。眞行は元来佛法僧に心ざし厚ければ父の廟に参りて心静に合掌して一花開け万國の春を知り(江州能仁禪寺語録「上堂云。一塵起大地收。一花開天下春」)、一子出家すれば七世の父母成佛すと見へぬ。過去遠々の靈、成等成覚と廻向して髻切て西になげ入道して羽黒山の麓に一宇を営み地蔵菩薩を安置して堅固に朝念暮誦す。所願真に通じ霊験無双にして貴賤尊ぶ。後に立山の聖と号す是也。されば後の人此の文を見て心中に鑒がみずば孝養却って敵となり、追善をなすと思ふ自身も悪業を造作するならん。恐るべし信ずべし。

引証。本願經に云、一毛一塵一沙一一渧、如是の善事但し能く法界に迴向せば、是人功徳百千生中に上妙の樂を受けん云々(地藏菩薩本願經校量布施功徳縁品第十「未來世中若有善男子善女人。於佛法中所種善根。或布施供養或修補塔寺或裝理經典。乃至一毛一塵一沙一渧。如是善事但能迴向法界。是人功徳百千生中受上妙樂。如但迴向自家眷屬。或自身利益。如是之果即三生受樂捨一得萬報。是故地藏布施因縁其事如是」)

 地蔵菩薩霊験記巻六終

 

 

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