A,
結論は「中国で訳された時の漢訳そのものが何種類もつくられたため般若心経も何種類もの異なったものがある、ということですが、ただ今日本に流通している般若心経は玄奘三蔵訳を基本にすこしだけこれらの他の漢訳を取り入れバリエーションをつけているに過ぎない」ということです。
さらに金岡秀友「般若心経」(講談社学術文庫)、「般若心経の道」(坂東9番慈光寺刊、飯島太千雄等著)をもとに分析すると
一、 原典のサンスクリット版そのものも大きく2種類ある。1つは小本と呼ばれるものでいまの短い形のもの(細かく分けると19種あるとされます)。2つ目は大本と呼ばれるもので、この小本の前に「佛が不思議解脱という三昧にはいっていてそのとき観自在菩薩が説法をはじめた」という文がつき、後に「観自在菩薩が説法を終わった後、佛がこの説法を賛嘆し、聴衆もことごとく歓喜した」という文がつくもの。
二、 漢訳で現存しているものは基本的に7種(先の小本が2種、大本が5種)とされます。最古のは羅什訳「摩訶般若波羅蜜大明呪経」(403年訳)でお大師様の「般若心経秘鍵」はこれに対する註釈です。しかし大師の「般若心経秘鍵」では題を「大明呪経」とはせずに「心経」としています。その他「観自在菩薩」を「観世音」としていることや「菩提薩埵」を「菩薩」としていることなどすこしちがいはありますが基本的には次に述べる玄奘訳とほぼ同じとされます。
その玄奘訳はいまの日本中国の般若心経の原本となっているものですが、唐の貞観23年(649)に訳出されています。このときの原文と近いと推定されるのが高麗大蔵経、王義之「集字聖教序」などです。これらはほとんど現行の心経と変わりません。字等のちがいは後に述べます。あとの5種は大本をもとにしているので省略します。
三、般若心経の題ですが大師の書かれたとする隅寺心経の一部では「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」となっているものがありこれが我々の手本の題にもなっていると思われます。これは飯島氏の推測では義浄訳の「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」からとったとされます。大師の「般若心経秘鍵」では「この経に、数の翻訳あり。第一に、羅什三蔵の訳、今の所説の本、是なり。次に、唐の遍覚三蔵の翻には、題に「仏説摩訶」の四字無し。
「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後に功能無し。次に、大周の義浄三蔵の本には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。また法月、及び般若両三蔵の翻には、並びに序分・流通有り。また、『陀羅尼集経』第三の巻に、この真言法を説けり。経の題、羅什と同じ。」とされているからです。(しかしその他の隅寺心経や「破体心経」ではほとんど「心経」とのみなっています。また同じ大師の書とされる「仁和寺旧蔵心経」では「摩訶般若波羅蜜多心経」とされています。なお高麗大蔵経、王義之「集字聖教序」等では「般若波羅蜜多心経」となっておりさまざまです。)
四、 さきの大師の「般若心経秘鍵」にもでてきましたが「一切」も日本の心経にはあっても中国の碑などにないようです。
五、 尚「蘊」と「薀」、「相と「想」、「無」と「无」、「薩」と「沙」などは写経生の随意とされたとも飯島氏はかいています。
六、 このような諸事情で現行のわれわれのお写経の手本もすこしずつ違っているということです。
以下参考
(「1、大師の作とされる破体心経は以下のようです。
「心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
薀皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死
亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神呪是大明呪是無上呪是無(草冠に寺の等)
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪曰
掲諦掲諦波羅掲諦羯波羅僧掲諦菩提莎婆呵」
2、王義之の聖教序はこうです
「般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見
五薀皆空度一切苦厄舎利子色不異空
空不異色色即是空空即是色受想行識
亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅
不垢不浄不増不減是故空中無色無受想
行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味
觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無
無明尽乃至無老死亦無老死盡無苦集
滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依
般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無
有恐怖遠離顛倒夢想究竟涅槃三世諸
仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐
三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大
明呪是無上呪是無(草冠に寺の等)呪能除一切苦真
實不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰
掲諦掲諦 般羅掲諦
般羅僧掲諦 菩提莎婆呵
般若多心経」
3、この2つだけでも
題が「心経」か「般若波羅蜜多心経」か。終わりの書き方はなにもなしかそれとも「般若多心経」(このとおりです。「波羅蜜」はありません。)か。「波羅」か「般」か。「真実」か「真實」か。など微妙に違います。
4、また現在写経につかわれている題「佛説摩訶般若波羅密多心経」は「般若心経秘鍵」で大師が羅什訳と義浄訳の合成とおっしゃっています。「この経に、数の翻訳あり。第一に、羅什三蔵の訳 今の所説の本、是なり。
次に、唐の遍覚(玄奘)三蔵の翻には、題に「仏説摩訶」の四字無し。
「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。
陀羅尼の後に功能無し。次に、大周の義浄三蔵の本には、
題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。」
5、先に書き漏らした「羯諦羯諦」のところは古いものは皆「掲諦掲諦」となっています。良寛さんのは「羯諦羯諦」でした。これももともとサンスクリットですから写経生が自由に書いていいことになっていたのかもしれません。)
結論は「中国で訳された時の漢訳そのものが何種類もつくられたため般若心経も何種類もの異なったものがある、ということですが、ただ今日本に流通している般若心経は玄奘三蔵訳を基本にすこしだけこれらの他の漢訳を取り入れバリエーションをつけているに過ぎない」ということです。
さらに金岡秀友「般若心経」(講談社学術文庫)、「般若心経の道」(坂東9番慈光寺刊、飯島太千雄等著)をもとに分析すると
一、 原典のサンスクリット版そのものも大きく2種類ある。1つは小本と呼ばれるものでいまの短い形のもの(細かく分けると19種あるとされます)。2つ目は大本と呼ばれるもので、この小本の前に「佛が不思議解脱という三昧にはいっていてそのとき観自在菩薩が説法をはじめた」という文がつき、後に「観自在菩薩が説法を終わった後、佛がこの説法を賛嘆し、聴衆もことごとく歓喜した」という文がつくもの。
二、 漢訳で現存しているものは基本的に7種(先の小本が2種、大本が5種)とされます。最古のは羅什訳「摩訶般若波羅蜜大明呪経」(403年訳)でお大師様の「般若心経秘鍵」はこれに対する註釈です。しかし大師の「般若心経秘鍵」では題を「大明呪経」とはせずに「心経」としています。その他「観自在菩薩」を「観世音」としていることや「菩提薩埵」を「菩薩」としていることなどすこしちがいはありますが基本的には次に述べる玄奘訳とほぼ同じとされます。
その玄奘訳はいまの日本中国の般若心経の原本となっているものですが、唐の貞観23年(649)に訳出されています。このときの原文と近いと推定されるのが高麗大蔵経、王義之「集字聖教序」などです。これらはほとんど現行の心経と変わりません。字等のちがいは後に述べます。あとの5種は大本をもとにしているので省略します。
三、般若心経の題ですが大師の書かれたとする隅寺心経の一部では「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」となっているものがありこれが我々の手本の題にもなっていると思われます。これは飯島氏の推測では義浄訳の「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」からとったとされます。大師の「般若心経秘鍵」では「この経に、数の翻訳あり。第一に、羅什三蔵の訳、今の所説の本、是なり。次に、唐の遍覚三蔵の翻には、題に「仏説摩訶」の四字無し。
「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。陀羅尼の後に功能無し。次に、大周の義浄三蔵の本には、題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。また法月、及び般若両三蔵の翻には、並びに序分・流通有り。また、『陀羅尼集経』第三の巻に、この真言法を説けり。経の題、羅什と同じ。」とされているからです。(しかしその他の隅寺心経や「破体心経」ではほとんど「心経」とのみなっています。また同じ大師の書とされる「仁和寺旧蔵心経」では「摩訶般若波羅蜜多心経」とされています。なお高麗大蔵経、王義之「集字聖教序」等では「般若波羅蜜多心経」となっておりさまざまです。)
四、 さきの大師の「般若心経秘鍵」にもでてきましたが「一切」も日本の心経にはあっても中国の碑などにないようです。
五、 尚「蘊」と「薀」、「相と「想」、「無」と「无」、「薩」と「沙」などは写経生の随意とされたとも飯島氏はかいています。
六、 このような諸事情で現行のわれわれのお写経の手本もすこしずつ違っているということです。
以下参考
(「1、大師の作とされる破体心経は以下のようです。
「心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五
薀皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不
異色色即是空空即是色受想行識亦復如
是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄
不増不減是故空中無色無受想行識無眼
耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至
無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死
亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無
所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無
罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢
想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜
多是大神呪是大明呪是無上呪是無(草冠に寺の等)
呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜
多呪即説呪曰
掲諦掲諦波羅掲諦羯波羅僧掲諦菩提莎婆呵」
2、王義之の聖教序はこうです
「般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見
五薀皆空度一切苦厄舎利子色不異空
空不異色色即是空空即是色受想行識
亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅
不垢不浄不増不減是故空中無色無受想
行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味
觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無
無明尽乃至無老死亦無老死盡無苦集
滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依
般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無
有恐怖遠離顛倒夢想究竟涅槃三世諸
仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐
三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大
明呪是無上呪是無(草冠に寺の等)呪能除一切苦真
實不虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰
掲諦掲諦 般羅掲諦
般羅僧掲諦 菩提莎婆呵
般若多心経」
3、この2つだけでも
題が「心経」か「般若波羅蜜多心経」か。終わりの書き方はなにもなしかそれとも「般若多心経」(このとおりです。「波羅蜜」はありません。)か。「波羅」か「般」か。「真実」か「真實」か。など微妙に違います。
4、また現在写経につかわれている題「佛説摩訶般若波羅密多心経」は「般若心経秘鍵」で大師が羅什訳と義浄訳の合成とおっしゃっています。「この経に、数の翻訳あり。第一に、羅什三蔵の訳 今の所説の本、是なり。
次に、唐の遍覚(玄奘)三蔵の翻には、題に「仏説摩訶」の四字無し。
「五蘊」の下に「等」の字を加え、「遠離」の下に「一切」の字を除く。
陀羅尼の後に功能無し。次に、大周の義浄三蔵の本には、
題に「摩訶」の字を省き、真言の後に功能を加えたり。」
5、先に書き漏らした「羯諦羯諦」のところは古いものは皆「掲諦掲諦」となっています。良寛さんのは「羯諦羯諦」でした。これももともとサンスクリットですから写経生が自由に書いていいことになっていたのかもしれません。)