今日は国学者本居宣長の命日です。宣長は享和元(1801)9月29日 72歳で没しています。
ここで言いたいのは宣長は決して仏教を排斥していなかった、ということです。
宣長の墓は二つあります。いずれもお寺の境内にあります。しかも一方には自身も含めて一族の戒名が刻まれています。
まず亡骸は、宣長の遺言書に従い松阪市山室にある妙楽寺(宣長の菩提寺樹敬寺の隠居寺)の山内に葬られ、墓石には「本居宣長之奥墓」(自筆)と刻まれているといいます。
もう一つは菩提寺樹敬寺に墓があります。樹敬寺の歌会には、44年にわたり参加していたようです。樹敬寺の宣長の墓には戒名「高岳院石上道啓居士」が刻まれています。(ここには妻勝の戒名「円明院清室恵鏡大姉」(宣長筆)。その背後には、長男春庭と妻壱岐の墓もあり長男春庭の戒名は「明章院通言道永居士」、春庭の妻壱岐の戒名は「雅静院淑和慧厚大姉」と刻まれています。またこの墓地には、宣長の祖先の歴代小津家、子孫である本居家の合計26基の墓があります。)