福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の6/13

2024-09-30 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の6/13

六、病苦に易給ふ事

筑後國天来と云処に有徳の女房一人侍りしが心ざまほのめきよしなごころをさきとしければ心にかなふ夫もなし。常に独りすみけるが漸く年もかたぶきければ心ならずも髪をそり尼の皃(姿)にぞ成ける。元より真実棄恩の入道にあらざれば或僧に向かってなまぬれたる後世をぞ問ける。僧いはく有罪無罪おしなべてすくひ玉ふは諸の佛菩薩に超へ地蔵尊こそめでたく御在(をはします)なりとぞ訓じけるほどに、心ならず信じ初めたてまつり、いつはり多き信者とぞなりし。常の事に執心深きものなれば、後には真底にとほりたる信者となりしが月の廿四日に天来の地蔵へ参らんとて精進潔斎して夜に入れてこそ参んと人目をつつみ忍びけるが、日比音信ありし方よりさそひまいらする文してぞ窺来たる。見るや心の散乱して地蔵の御事はすきと忘れて彼人の方へぞ行きける。暁還るとて道なればとて地蔵へこそ参りけるが、雑念しきりにをこりて假寝して衣引きかずき伏してありしが其の中に不思議の瑞夢をぞ蒙りけるが行相端正の僧の尼に向かって宣たまふは、いかにや尼、汝至誠の心を以て来ず。彼の色欲に溺ることは未来の悪因なにごとかこれよりさきなるべきとあららかに言たまひて一首の歌を示玉ふ

「我が宿は 忘れはてつつ 空頼みいずくの方へあまきなるらん」

 と詠じ玉ひてこれほどに志のうすからんに、のろのろしくこれまではみへ玉はずともありなんとの玉ひすてさせ玉ふと思へば夢さめぬ。恥ずかしながら忍びて下向しつつ暫くつつみ居けれども月日の去るにしたがひて、人なつかしくあじきなかりけるが、幾程なく悪瘡を煩ひて醫術の功も及びがたく今をかぎりとをぼへて病苦にせめられ平生の氣力も衰へて心ぼそく自の因果の理を思知りて泣きくらして一心に地蔵菩薩をぞ頼り奉る。少しまどろむ夢に、けだかき僧の来らせ給ひて、尼公に向かっての玉ふは、汝が病苦は心安かれ。我かわるべし。此の悪瘡は清浄の僧を犯したる罪によりて四十劫の間地獄に墜つべきなり。吾は天来の地蔵なり。汝が病苦にかはるべし、汝見よ、彼の木像のうしろに瘡を受け其の跡四十劫あるべしとの玉ふかと思へばさめにける。即身に痛みなかりけるほどに、人して見せけるが、いへてさらにあともなし。尼公あまりのうれしさに天来へ参り像を見奉れば夢中にすこしも違ふことなし。尼公いたましくも亦をそろしくも思ひけるほどに、藥をつけまひらせ佛師に頼みつくろひ「けれども、膠漆もはなれをちて終になほり玉はず。弥よくちいり玉ひぬ。尼公あまりのかなしさに毎日灸を一火つ゛つして自身に痛みを受けて地蔵の御苦を訪ひ奉りけり。されば信心そことほりなば、佛の御利生などかなからん。鏡と影に喩たとひ明鏡を手にとるとも向はずんば其の影をみるべからず。志を勧めてをろかなるこころをすて玉ふべし。

引証。本願經に云、能く十齋日に於いて毎に一遍を轉ぜば、現世に此の居家、諸の横病無く衣食豐溢ならん云々(地藏菩薩本願經如來讃歎品第六「能於十齋日毎轉一遍。現世令此居家無諸横病衣食豐溢。是故普廣當知。地藏菩薩有如是等不可説百千萬億大威神力利益之事。閻浮衆生於此大士有大因縁。是諸衆生聞菩薩名見菩薩像。乃至聞是經三字五字或一偈一句者。現在殊妙安樂。未來之世百千萬生。常得端正生尊貴家」)。

 

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