福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お蔭を受けられないで苦しんでいる方へ(以前松田さんから頂いた原稿です)しんでいる方へ(以前松田さんから頂いた原稿です)

2024-09-02 | 頂いた現実の霊験

 

 

 

 
1、お蔭をすぐには受けられないことがあります。

福聚講の松田京子さんが以前「お蔭の出方について」という投稿をしてくれています。松田さんがお蔭を受けた秘訣です
「1、祈り続ける。
2、苦しいことが続くことを恨まない。
3、自分自身が変わる。」
この三つの考えを理解しようとしない人がいましたが、その人の場合、事態はより悪化しました。
松田さんの記事を紹介します。
「人それぞれにお蔭の出方は違うとおもいます。私の場合は『祈っていてもちっとも変わらない、進んでいない』と感じることもしばしばでした。
毎週護摩に行き他の人はすぐにお蔭が出るのに私の場合満願の28回を過ぎてその倍以上拝んでもお蔭は出ませんでした。
少しずつ変わって出てくることもありましたが、今回大きなお蔭が出るのには五~六年はかかったかなと思います。いや七~八年かもしれません。
それも祈っていても、さらに最悪のひどい状態が何度となく私に押し寄せました。
ではどうしたか?というと泣いて泣いて、仏様の前で文句を言い、『もう拝むのをやめます』と怒ってみたり・・。しかしまた仏様の前に戻ると云う繰り返しでした。

ではなぜ何度も仏様のまえに戻り、最終的にお蔭を頂けたのか?と思われるでしょうが
やはりどんなことがおきても仏様を信じているのです。反抗したり、泣いても仏様を信じていて拝むのをやめなかったのだと思います。じゃあどうして信じられるのかと云いますとどうしても幸せになりたいからです。私の人生は八方塞がりでどこにも出口が見えなかったのです。そしてそのころ高原和尚様に出会いました。二~三年それもお願いしたと思います。一人でずっと苦しくて助けてほしいといのり続けていましたが和尚様に出会い一緒に祈っていただけました。私が悩んでいるといつも言葉をかけてくださいました。まるで仏様が話しかけて下さっているように・・・。
そのうちまた苦しいことが起こりました。『本当に拝むのをやめる』とこんどは泣いて仏様に言いました。本気でした。そうするとそのうち職場にチベットで密教修行していたという外人が現れました。彼女に『もう願いは叶わないので祈ることはやめるつもりです』というと彼女は『祈るのはやめないでほしい』と云いました。それでやめないで続けられました。

仏様は常に私をご覧になっています。しかし現実がつらすぎてうけいれることが大変なことがあるのです。わたしも苦しむだけ苦しんで泣いて立ち止まりまた仏様の前に戻っていきました。祈りをやめてしまうと本当に出口はみつからないと私は知っていたのだと思います。

『何年もいのり続けて何が変わったのか』と聞かれると『私自身が変わった』といいます。毎日一歩ずつです。仏様へ祈っているとすぐには分かりませんが漢方薬を飲んでいるようにすこしずつおさまってきます。そして元気になっていきます。
私はいつもお不動様を拝んでいますが最悪の状態を経ていつも思った通りの結果にかなえていただいています。お不動様は迷える衆生を助けて下さる仏様であることが今までの経験でよくわかりました。親がこの子のためにならないと思うとすべてに手をかしてあまやかすということはないようにあえて厳しくすることがあるでしょう。だからこそ親の愛といえるのです。このようにして仏様も見守ってくださっています。

仏様は衆生を助けるためにいらっしゃる以上必ずお蔭は出ます。
高原和尚様に初めてお会いしたとき『もう大丈夫です。大船に乗ったつもりでいなさい。仏様がついていますから・・』とおっしゃって下さいました。私が迷ってもまた仏様の所に戻っていけるのはこのお言葉があったからではないかと思います。

今回高原和尚様に原稿を書くように頼まれて書きましたがこうして読んで頂いている方々に感謝しております。あなたの船には仏様が一緒に乗っています。私もつい信じられなくなって船から降りて一人で泳ごうとしてすぐに苦しくなって溺れてしまいます。そんな私を仏様は何度も船に連れ戻してくださいました。

いのり続けてください。途中で嵐に遇い、雨が降り、暑さにくるしい日もあると思います。でも仏様に今出会えているのなら一緒に舟にのってくださってるのです。一人ではありません。自分が思い描いている幸に必ずたどり着けるように導いて下さいます。

私なりに体験した三つのお蔭の出るポイントです。
1、祈り続ける。
2、問題(苦しいこと)を恨まない
3、自分自身が変わる
この3つが大切と思います。

お蔭の出る期間や出方は本人や事柄によってまちまちです。先祖代々、両親など仏様に祈り続けてきた家の方は貯金があるのと同じですぐに願いが叶うかもしれませんが、そうでない方は時間がかかることもあるでしょう。
要は継続して祈り続け、感謝を忘れないことだと思います。(松田)」

2、四国6番安楽寺でのべた。水谷しずさんのケースも夫が数回徒歩遍路を重ねた後の霊験でした。

 ・新義真言宗の開祖興教大師覚鑁上人はなかなか効現のあらわれないのは
「仏様がその人の信心を試されている場合、本人の宿業が重い場合、かすかに成就しているが本人が分かってない場合、しばらく魔が隠している場合などがあるが深い信心をもって修行を続ければ必ずお蔭がある。」
(「経にいはく(大日経のこと)いかなる心をおこすもの必ず悉地を成ずるや、いはく深信あるもの能く悉地を得、何なるをば深信という、いはく久々に修行して法験を得ずといえども疑慮を生ぜず退心を生ぜざるなり、このごとくの人必ず定んで悉地を成就す、あるは本尊、行者を試さんが為の故に、あるは諸天等その信心の浅深を試さんがために暫く以って之を抑うるがゆえに、あるは宿障重深なるがゆえに暫く不成に似たりといへども、冥(かすか)に能く成就すれども自ら知らざるがゆえに、あるいは魔旬妨げをして暫く覆蔽(ふくへい)するがゆえに、このごとく等の種種の因縁あるが故に疑怠すべからず」 -末代真言行者用心))とあります。
・「救う救わぬは如来の分限、救われる救われぬは衆生の分限」(救われるかどうかは衆生が自分で決めているにすぎない・・曽我量深)

・「For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.」(ヨハネ 3:16)




・「祈ることそれ自体がもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうちまかせるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地にめぐまれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」(那須政隆『加地感応の原理』)

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