福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

盲目の女が、薬師仏への祈願によって開眼した霊験。二談。

2024-06-07 | 頂いた現実の霊験

盲目の女が、薬師仏への祈願によって開眼した霊験。二談。

「二つの目盲ひたる女人の、薬師仏の木像に帰敬して、以て現に眼を

明くこと得し縁」(『日本霊異記』下巻第十一)」

「諾楽(なら)の京の越田の池の南の蓼原の里の中の蓼原堂(平城京の左京九条四坊にあった)に、薬師如来の木像在り。帝姫阿部の天皇(称徳天皇)のみ代に当りて、其の村に二つの目ながら盲ひたる女有りき。此れが生める一の女子、年は七歳なりき。寡にして夫無し。極めて窮れること比無し。食を索むること得ずして、飢ゑて死なむとす。自ら謂へらく、『宿業の招く所ならむ。唯に現報のみには非じ。徒に空しく飢ゑ死なむよりは、善を行ひ念ぜむには如かじ』とおもへり。子をして手を控かしめて、其の堂に迄り、薬師仏の像に向ひて、眼を願ひて

曰さく『我が命一つを惜しむに非ず。我が子の命を惜しむなり。一旦に二人の命を已(お)へむ。願はくは我に眼を賜へ(自分が死ねば二人とも死ぬことになる。眼を開けてください)』とまうす。壇越(居合わせた信者)見矜みて、戸を開きて裏に入れ、像の面に向ひて、以て称礼せしむ。逕ること二日にして、副へる子の見れば、其の像の臆(むね)より、桃の脂の如き物、忽然に出で垂る。子、母に告げ知らす。母、聞きて食はむと欲ふが故に、子に

告げて曰はく、『搏(と)りて吾が口に含めよ』といふ。之を食へば甚だ甜し。便ち二つの目開きぬ。定めて知る、心を至して発願すれば、願として得ずといふこと無きことを。是れ奇異しき事なり。」

 

「今昔物語集・薬師仏従身出薬与盲女語 第十九」にも

「今昔、奈良の京に越田の池と云ふ池有り。其の池の南に蓼原里と云ふ里有り。其の里の中に堂有り。蓼原堂と云ふ。其の堂に薬師仏の木像在ます。阿倍の天皇の御代に、其の村に一人の女有り。二の目共に盲たり。而るに、此の盲女、一人の女子を生ぜり。其の女子、漸く勢長して、年七歳に成ぬ。母の盲女、寡にして夫無し。極て貧事限無し。或る時には、食物無くて食を求むるに得難し。我れ、必ず餓て死なむとす。亦、目盲たるに依て、東西を知らずして、行て求る事あたはず。然れば、歎き悲むで、自ら云く、『身の貧きは此れ宿業の招く所也。徒に餓死なむ事、疑ひ有らじ。只、命の有る時、仏の御前に詣て、礼拝し奉らむには如かじ』と思て、七歳の女子に手を引かしめて、彼の蓼原の堂に詣づ。寺の僧、此れを見て哀むで、戸を開て堂の内に入れて、薬師の像に向はしめて、礼拝せしむ。盲女、仏を□□奉礼拝して白して言さく、『我れ伝へ聞く、薬師は一度び御名を聞く人、諸の病を除く。我れ、其の誓に漏るべきに非ず。譬ひ前世の悪業拙しと云ふとも、仏、慈悲を垂れ給へ。願くは、我れに眼を得しめ給へ』と泣々く申して、仏の御前を去らずして有り。二日を経るに、副たる女子、其の仏を見奉るに、御胸より桃の脂の如くなる物、忽に垂り出たり。女子、此の事を見て、母に告ぐ。母、此れを聞て云く、『我れ、其れを食はむと思ふ。速に汝ぢ彼の仏の御胸より垂り出たる物を取て、持て来て、我れに含めよ』と。子、母が云ふに随て、寄て此れを取て、持て来て、母に含むるに、母、此れを食ふに甘し。

 

其の後、忽に二の目開ぬ。物を見る事明らか也。喜び悲むで、泣々く身を地に投て、薬師の像を礼拝し奉る。此れを見聞く人、此の女の深き信の至れる事を讃め、仏の霊験掲焉に在ます事を貴びけり。此れを思ふに、其の薬師の像、現に御身より薬を出して、病人に授て救ひ給ふ事、此の如し。然れば、『身に病を受くらむ人、専に信を発して、薬師の誓を憑奉べし』となむ語り伝へたるとや。」

 

 

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