福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は高雄山寺が神護国祚真言寺と改称された日

2024-09-27 | お大師様のご足跡寺院
・今日天長元年824九月二十七日は高雄山寺が神護国祚真言寺と改称された日です。この時お大師様51歳。類聚三代格に「太政官符/応以高雄寺為定額并定得度経業等事/右正五位下行河内守和気朝臣真綱等上表偁、昔景雲年中、僧道鏡辱僣法王之号遂懐窺覦之心、遍邪幣於群神、行権橘於侫党、爰八幡大神痛天嗣之傾弱、憂狼奴之将興、神兵交鋒、鬼戦連年、彼衆我寡、邪強正弱、大神歎自威之難当、仰仏力之奇護、乃因御夢請使者、有勅 . . . 本文を読む
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今日は覚行法新王が孔雀経法を修された日

2024-09-27 | 法話
「孔雀経法記」「康和四年1102九月二十七日、近日天変あり。件の変を消さんが為に、鳥羽北殿において勤修御。大阿闍梨御室覚行法新王、伴僧二十口の内、僧綱三口。同十月十三日御結願了。」天皇は堀河天皇。このころ特段の天変地異は記録なし。覚行法親王は、平安時代中期から後期にかけての真言僧。白河天皇の第二皇子。中御室とも称される。真言宗仁和寺の第3世門跡。永保3年(1083年)に仁和寺性信入道親王の下で出家 . . . 本文を読む
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今日は無数の効験を顕された性信法親王遷化の日

2024-09-27 | 頂いた現実の霊験
  後拾遺往生伝「入道二品新王、諱師明は長和天皇第四子、母は大納言左近衛大将濟時の女也。皇后夢みるに胡僧来りて云ふ、『将に皇胎に託すべし云々』。后懐孕の間、口より葷羶(くんせん・なまぐさ)を去り、心精進に住す。寛弘二年1005六月一日託生す。誕生の時、室に神光あり。幼稚の間、仡(いさましき)こと巨人の如し。同八年、天皇受禅す。十月五日、立て新皇となる。生年七歳。長和六年1017、天皇昇 . . . 本文を読む
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地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の3/13

2024-09-27 | 先祖供養
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の3/13 三、甲斐の國稲積地蔵の事 本朝いまだ三十三箇國にして五畿七道も定まることあらざりし當時、行基菩薩甲州の地形を見給ひけるに凢そ四岳八峯立圍ひ瑞雲つねに覆て寶形に似たり。凹(なかくぼ)にして富貴の相あらはれ佛法繁昌の霊地此にあり、國中に一の岡あり、篠原山と号す。高五十餘丈(約160mか)東西七里南北十里峯南北に横たはり篠と云小竹しげりて地のはだへをかくし山 . . . 本文を読む
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今日は天変により覺行法親王が鳥羽離宮で孔雀経法を修せられた日

2024-09-27 | 法話
「孔雀経法記」に(康和四年1102壬午九月二十七日)「近日天變あり。件變を消す為に鳥羽北殿に於いて令勤修御。大阿闍梨御室覺行法親王、伴僧廿口のうち、僧綱三口。同く十月十三日結願了。」天皇は堀河天皇、白河上皇の院政。鳥羽離宮は白河上皇の御所。覺行法親王はウキぺデアによれば「永保3年(1083年)に仁和寺に入り、1085年(応徳2年)性信入道親王の下で出家・受戒。性信の没後に仁和寺寺務に就任する。10 . . . 本文を読む
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今日は侵略の新羅軍二百人余をうち殺した日

2024-09-27 | 法話
  日本紀略・寛平六年894九月「二十七日、大宰府飛驛使言上、新羅賊二百余人打煞、仍って諸国に仰せて軍士警護を停止せしむ」 平安時代も貴族は安逸に流れていたのではなく武備を備えておりしかも強かったのです。   天皇は宇多天皇。是は「寛平の入寇」と呼ばれているものです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E3% . . . 本文を読む
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