民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

教育は匿名の仕事

2005-09-05 12:07:41 | 教育
 教員という仕事を何十年もやってきて、勘違いしている教員が多いと思うのは、この仕事は匿名でなければならないということ。よく勘違いして、あの子は自分が育てたとか話す教員がいるが、どうしてそんなことをいうんだろう。よくても悪くても、本人次第だと自分は思う。人には学びたい、知りたいというどうしようもない欲求があるのだから、それを有効に自分の人生に生かすか、無駄に殺してしまうかは本人次第。教員にできることは、少し後ろから押してやるくらいの手助けだ。そして、黒子に徹するべき。後ろから力いっぱい押したとしても、その力は隠して、本人が自分だけの力で進めたと自信をもたせないといけない。だから教育はむなしい仕事。子どもは自分の作品ではない。ここを肝に銘じないと、道具として子どもを操作することになる。
 教員は個を確立しなければならない。それは、仕事をむなしいと感じられるために必要なのだ。つまり、仕事を匿名にして納得するためには、も1つ記名された自分自身の証としての何物かを残さないことには、精神のバランスが保てないのだ。よって、学校しか知らない。いつも子どものことしか考えないという教員は、困ったものだ。

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