民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

後藤田正晴 その2

2005-09-24 09:50:16 | 政治
 自分は戦の経験がなく、にもかかわらず戦死者をやたらと悼みたがる人が、圧倒的多数で首相に再選されたとき、自ら戦争に従事し、首相の靖国参拝を諌め、自衛隊の海外派遣に反対し続けた後藤田正晴がなくなってしまった。この国の政治状況を象徴的にあらわしているように思われる。今では、首相を諌める政治家など一人もいまい。それどころか、政治学者として軍縮を訴えた者が、世界でも数少ないイラク派兵を喜んで行った政党に請われて国会議員となり、初登庁の日に夫婦で政治学をやってきて、今実際の国政に関われるまでなったと、目を潤ませる。あなた、党の方針に反したらすぐにも首をすげかえられる、その代替としての自分がわかっているのですか。党が、海外派兵を決めたら唯々諾々と従うのですか、と問うてみたい。上から下まで、この国は節操がなくなってしまった。そうした政治屋を選択する国民が愚かだということか。後藤田という一人の政治家を失ったことは、一人の死にとどまらずこの国の節度も同時に葬ってしまったように思われる。
とはいえ、ではお前は何ができるかと問われれば、せいぜいこんな場所に泣き言を並べるくらいしか、何もできないのだ。情けない限り。

死後の供養

2005-09-21 10:32:04 | 民俗学
 今年の春、三郷村で死後の供養について「墓石は必要か」と題して話をさせていただいた。そもそも、死者に対して墓石を建立するようになったのは、近世以降の富裕層のことで、夫婦で1基を建立するものだった。通常は、自然石を置いたり木の塔婆を立てたもので、人々の記憶に残る間(通常3代)の供養をへて、忘れられていったのである。それが、明治になって家観念が強化されると、家墓が登場し、戦後の火葬の普及に伴って納骨場所を有する家墓が急速に広まった。ところが、墓石は朽ちることが無いから、現代のように「イエ」が流動化し、人々の居住場所が継続されなくなれば、子孫に供養を強いる結果となるのだ。そこで、墓石を建立するのが伝統だと思うことはやめようと話したのだが、そういった自分が困ったことがあった。
 先日用事があって80を超えた父を車に乗せて外出した帰り、そこの道を曲がれとかいって連れていかれたのはちちの「墓」。草が生えているか見たいといって、私を連れて行ったのだが、自分が作った墓を何度でも息子に見せて、自分の死後墓石を建てる心配はないのだ、お前に出費をさせないために墓を作ったのだ、と認識させたいようなのだ。私は何ともいいようがなく、1度草をむしって除草剤をまけばいいよ、などとあえて実務的な話しに終始してその場を後にした。この世代に、墓石は建立しなくていいんだよといってみても、無理なことかもしれない。実際、遺骨を部屋に置き続けるわけにもいかないから、何らかの処置をとるには、少なくとも墓域は必要となる。田舎から出て行った、都市の多くのサラリーマン層がぼつぼつ死後を考えねばならない時期だが、皆どうするんだろう。

葡萄も人も育てるのは同じ

2005-09-19 10:41:46 | 教育
 妻の実家は巨峰を作る葡萄農家である。40年ほど前、桑を切って葡萄を植えた。以来、巨峰を作り続け、80歳を越えた今も夫婦二人で面積は減らしたが、懸命に栽培している。
 この連休に訪ね、久しぶりにゆっくり葡萄作りの話を聞くことができた。なんであれ、何十年も一筋に打ち込んでくると、含蓄のある言葉が出てくるものである。そうした言葉に触れることが、民俗学をする喜びでもある。
 テレビじゃ、巨峰のあんな赤い房を切って食べてみせて、おいしいおいしいなんていっているが、ありゃ嘘だ。巨峰は、粒が黒くなりゃなるほど甘くなるんで、あんな赤い奴が甘いわけがねえ。今年の葡萄は、暑くて房が大きくなったせいだか、色がなかなかつかなくて困ったもんだ。そこいきゃ、あの畑の東っかわの真中の接木の葡萄は、粒がそろってどれも黒くなってドル箱だ。葡萄の木にゃ、ショウ(性)のいいのと悪いのがある。石垣のそばの2番目の木、あれにゃびっくりした。こんな木は、と思っていたが、こないだ袋開いてみたら、どの葡萄も真っ黒になってるだ。ショウのいい木は、じっと我慢して作り続けていると、いつかコロッとよくなるだ。ソリョ人はちょっと作ってできねえと、すぐ切っちまう。木はショウがよきゃ、いずれよくなるだ。

 ひとしきり、葡萄畑の木の話が続く。聞きながら、私はこの話どこかで聞く話だぞ、と思いをめぐらしてみると、何のことはない職員室でよく教員がしている子どもの話と同じではないか。果樹を育てるのも子どもを教育し育てるのも、根本は同じと納得する。そして、日本の農業の面白さ、奥深さとはこうしたことではないかと思う。企業的経営では、果樹1本1本への思いなど語れないだろう。さしてもうかりはしないが、労働が喜びであり対象との対話でもあるという世界がここにはある。

 人はTさんを役にたたん、使い物にならんなんていうが、ありゃ違うな。Tさんの家の裏にオラッチの畑がちっとばかあって貸してある。そうじゃなきゃ、Tさんはウリやナスを遠くまで車でとりに行かなきゃならん。そのウリやナスのTさんの作り方見りゃ、まあで工夫してきれいに、こんな風にできるかっていうくらい上手に作ってある。そしたらこないだ、酒一升と水羊羹持ってきて、年貢(地代)とってくれっていうんだ。そんなもなあとれるわけがねえ。水羊羹もらや十分だ。来年は、あの続きの柿木も切っちまって、畑作ってもらうよ。草もできなくていいから。あんないい人に作ってもらえりゃ、そりゃいいから。

 見かけでひとは計れない。為したことによってのみ、人は評価されるのだ。

教育は匿名の仕事

2005-09-05 12:07:41 | 教育
 教員という仕事を何十年もやってきて、勘違いしている教員が多いと思うのは、この仕事は匿名でなければならないということ。よく勘違いして、あの子は自分が育てたとか話す教員がいるが、どうしてそんなことをいうんだろう。よくても悪くても、本人次第だと自分は思う。人には学びたい、知りたいというどうしようもない欲求があるのだから、それを有効に自分の人生に生かすか、無駄に殺してしまうかは本人次第。教員にできることは、少し後ろから押してやるくらいの手助けだ。そして、黒子に徹するべき。後ろから力いっぱい押したとしても、その力は隠して、本人が自分だけの力で進めたと自信をもたせないといけない。だから教育はむなしい仕事。子どもは自分の作品ではない。ここを肝に銘じないと、道具として子どもを操作することになる。
 教員は個を確立しなければならない。それは、仕事をむなしいと感じられるために必要なのだ。つまり、仕事を匿名にして納得するためには、も1つ記名された自分自身の証としての何物かを残さないことには、精神のバランスが保てないのだ。よって、学校しか知らない。いつも子どものことしか考えないという教員は、困ったものだ。