民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

インドネシアに出張

2017-05-31 18:11:24 | その他

本日、息子がインドネシアへの1か月の出張に出発しました。会社として渡航禁止措置はとらず、現地での外出禁止措置がとられました。ホテルと会社と空港を専用バスで移動するのだそうです。ホテルから出るなといっておきましたが、外国にいるのに街にも出れないのはつまらないとは思いますが、ラマダンの間は何か起こりそうないやな感じですから仕方ないです。朝3:45にセントレア空港までいくタクシーに迎えに来てもらって出かけたのですが、せめて海外っ出張の前日くらい早く返してくれればいいのに、相変わらず帰ってきたのは夜の10時過ぎでした。最終荷造りしたり風呂に入ったりして寝たので、睡眠時間は3,4時間で出かけて行きました。こんなに働かなくてはならないのでしょうか。これでは家庭をもつこと、ましてや子どもを持つことなど不可能です。働き方改革とか小手先のことを政府はいってますが、これじゃこの国の人口は減少せざるを得ません。根本的なところで理念を変えないと、この国の未来はありませんね。


福島正則と一茶

2017-05-30 17:35:20 | 歴史

今日は高山村の一茶館と福島正則の居館跡を見て帰ってきました。まずは一茶です。一茶は信濃町の柏原で生まれた俳人です。なんで高山村で一茶なのかと思いましたが、高山村の豪農が一茶のパトロンで、離れを一茶のために用意して養い、一茶は1年の半分もそこで門人の指導をしながら暮らしたのだそうです。実は、先週の土曜に信濃史学会の総会があり、記念講演で高橋敏先生が百姓弥太郎としての一茶を取り上げ、ちょっとひねった話を聞かせてくれたので、興味をもって見ることができました。高橋先生の話は、皆一茶は芭蕉と並ぶ俳人として偉がるが、本当にそうか?柏原の地域社会の中で一茶を見たら、10年も江戸へ出て家のことは全く顧みないでおいて、いきなり帰ってきたと思ったら、勤勉に家を守り農地を増やして百姓を継いできた義弟から、何年も訴訟をして財産を奪い取るというひどいことを平気でできた人だ。人としてどこがそんなに偉いのか、といった話でした。句を読めば、いかにも弱弱しくいじめられて育ったかのように思われるが、本当は平気で弟から財産をぶんどれるような人なのだ。ということで、資料をまとうに読めば、一茶の違った姿が見えてくるというのです。一茶が足しげく高山村に通ったのも、生地では相手にされず飯を食うためにパトロンのところに食客として居候していたともいえます。一茶のいた離れを移築して保存してありましたが、なかなかしゃれた数寄屋風の家です。

福島正則屋敷跡は寺になっていました。石垣が残るのみですが、居館とはいえないほどの広さです。広島50万石から川中島2万石、越後魚沼に2万5千石の領地を得てといっても形ばかりの領地を与えられて、体よく流されたのでしょう。館跡は県史跡となり、高井寺(こうせいじ)がたつ。うろうろしているのに気付いた寺のお大黒が、戸を開けて本堂に上げてくれました。「(福島正則が)なくなったあと、一か月も見に来なかったんだそうですよ。はめられたんですね」問わず語りに、今も昔もひどいことをしますねと話してくれました。福島正則は病死ですが、幕府の検視が来る前に荼毘にふしてしまったとお咎めを受け、領地は全て没収されたとか。福島正則の嫡子は若くしてなくなっていますが、それも毒殺じゃないかといいます。寺のお大黒はそんな話もしてくれました。

 


鉢植え議員

2017-05-29 16:22:16 | 歴史


高山村の山田温泉に来ています。途中、福島正則の霊廟に寄ったり、滝を見たりして、緑の中に溶け込みそうな宿にいます。
福島正則は秀吉子飼いの大名ながら、関ヶ原で家康方についたものの、その後はいちゃもんをつけられて、山深い高井の僅かな所領に流され、5年ばかりして亡くなると、その所領すら奪われて廃絶となりました。領国支配していた戦国大名が、ただの大名、それも鉢植え大名に変わる過渡期といえるでしょう。そこで、これは小選挙区制になって、党に一元支配される国会議員と、まるで同じではないかと思ったわけです。自分の地盤から離されて、とんでもない所から立候補させられたり、刺客を立てられたり、江戸時代と同じではありませんか。福島正則を悲劇と思ったら、今の国会議員も、同じようなものです。それで民に対してはふんぞり返って、ストレスを解消することになります。


物忘れ

2017-05-28 19:54:09 | Weblog
すぐ文書が処理できない、どこにしまったか忘れてしまう、なんて事が増えてきました。そのため、人生の大半を物探しで過ごしているのではないかと思うこの頃です。書類をどこにしまったか忘れてしまう、それが常態だと思いこんでいます。今日は今年の年会(民俗学会)の開催通知がきていたのに、まだ処理してないことに気が付きました。それであちこち文書を処理しながら探してみますが、なかなかみつかりません。妻にはどんな物かと聞かれ、封筒に入った学会の開催通知で、民俗学会の封筒に入った物だと説明し、一緒に探してもらいますが、ありません。果たして本当に来ているのか確認し、あればスキャンして送ってもらおうと、友人にメールしました。すると、何という事でしょう、まだ通知は届いていないと。ということはと思い、メールを検索してみると、開催通知が来ていました。私はこれを読んで時間がたつと、郵送できたと思い込み、それをいつものように紛失したと思い込み、右往左往していたのです。あまりの馬鹿さ加減に自分ながらあきれてしまいます。妻には、何でも友人のMさんを頼りにして聞いてみればいいと諭されました。トホホ。

バンドコキウリの定植

2017-05-28 17:52:54 | その他

どんどんポットにまいたバンドコキュウリが大きくなりますので、畑に定植しました。

まいた種はすべて育ち、ポット1つに2本ずつとしましたが、12鉢もありましたので、かなりな量です。もし全部がなり始めたら、食べきれないと思います。とらぬ狸の、とならなければいいのですが、なりすぎたらどうしようかと、今からいらざる心配をしています。畑には、ナス、ピーマン、トマト、普通のキュウリなどを植え、小松菜・春菊・大根・モロヘイヤなどの種をまきました。乾燥のためか、思いのほか芽の出が悪いのですが、自然のなせる業ですから仕方ありません。そして、多くの部分を占めているのはジャガイモです。ジャガイモも芽の出ないやつがあります。同じ時期にまいた妻の実家の畑では、きれいに出そろっているのに、なぜでしょうか。これからは畑は草との戦いです。


事実は小説よりも奇なり

2017-05-26 09:24:19 | 政治

森友学園の籠池前理事長が国会の証人喚問で、「事実は小説よりも奇なりと申します」といいました。芝居じみた発言を好む人だと思いましたが、あまりこの発言についてマスコミはヒットしませんでした。今、「小さな巨人」というドラマが話題になっています。警察組織の本流から外された個人が、巨大組織にあらがうという物語で、組織の理不尽に対して個人が筋を通すという話は、半沢直樹もそうでしたが人々の琴線に触れ話題を集めます。しかし、所詮はドラマだと思っていましたが、実際の話が高級官僚の間であることが、今回の加計学園の認可もんだいでの文科省事務次官の記者会見でわかりました。小説以上の暗闘が霞が関でなされているのです。事務次官の個人攻撃をする読売新聞は、マスコミの使命をどう考えているのでしょう。政権が次官を記者会見しないように脅すために情報をリークして記事を掲載させたとすれば、というか、そうとしか考えられませんが、次官の腹の据わりように感服するとともに、読売の記者たちの腐敗ぶりは際立っています。

怪文書、文書の存在は確認できない、証人喚問はできない、こんな政権のご都合主義を許してよいのでしょうか。選挙で落とす以外に国民の怒りを向ける場所はないのでしょうか。


テロルの時代

2017-05-25 13:18:25 | 政治

イギリスのマンチェスターのコンサート会場をねらったテロで、多くの若者が犠牲になりました。テロを起こしたのも犠牲になったのも若者というのは、やりきれないことです。これでヨーロッパにおけるテロ対策が、一層厳しさを増すことが考えられます。しかし、力で封じ込めるという方法では、芽を摘むことはできませんから、ますますどこでテロが起きるかわからないという恐ろしい時代を迎えてしまいます。実行犯の青年は、将来に何の希望も感じられず自爆テロ以外に道はないと、突き進んでしまったのでしょう。中東からの難民、移民、イスラム教徒にも描ける将来像がなければいけません。

みながヨーロッパに視線を向けている今だから、注意が緩む南アジア・東南アジアでの事件が心配だと思っていたら、やはりインドネシアで起こってしまいました。イスラム教徒が最も多く暮らすのが、実はインドネシアなのです。そのインドネシアに下の息子が月末から1か月出張することになっています。ラマダンと重なり、治安の危ない時期の出張で心配です。今度のテロ事件を受けて、渡航禁止となってくれればいいと思うのですが、ビジネスは止まってくれませんから、そう簡単には禁止措置はとらないだろうし、安全は自己責任だといわれてしまうのでしょうか。


転換期

2017-05-23 13:49:41 | その他

冬から何も食べず、水槽の底でじっと時をやり過ごしていた金魚が、今朝起きたら水面に浮いていました。長く息するだけで頑張っていましたが、ついに息を引き取りました。十年以上前、当時勤務していた学校の校長先生のお宅で生まれた小さな金魚を十数匹いただいたものが、だんだん死んで最後の1尾だったのですが。前に住んでいた家に買い手がつき、今度の金曜に引き渡しとなったのですが、前の家から連れてきた金魚は、それを知ってか知らずかお別れとなりました。

5月に誕生日で高齢者の仲間入りをしたのですが、そんなせいか身近な所でいくつか壊れた物がありました。まず、これも15年も使ってきたフランスベッド製のマッサージ器が壊れて動かなくなりました。重宝に利用し、なくてはならない道具となっていました。数年前に一度修理しましたが、いよいよ動かなくなってしまいましたので、小型家電として廃棄し通販で購入しました。次に電子レンジです。こいつは20年くらい使っていて、まだ壊れてはいなかったのですが、内部を照らすライトが切れてしまっているのが気になっていました。レンジ内部にネジではずせる部分があり、多分その奥に電球があるだろうから、電球さえ新しくしたらよいだろうと簡単に考え、ネジをとってみることにしました。ところが、これが間違いでした。ネジをとると同時にガサっと音がして、何か部品が壁の間に落ちてしまいました。落ち着いてレンジ側面の説明を読むと、高度な技術のある人以外は内部のネジを外さないで下さいとありました。読んだ時は後の祭りです。仕方なく、これも小型家電として廃棄し、ネットで調べて当たりをつけておいて、量販店へ行ってすぐに購入しました。おせっかいなことをしなければまだ使えたのですが、20年近くも使っている家電品ですので、いつ事故がおきるかわからないですから、ちょうど良い機会だった気もします。家電品は壊れ始めると同時期に壊れるようなことがよくありますので、次は古い冷蔵庫かもしれないと少しビクビクしています。冷蔵庫は電子レンジ以上に毎日使っている物ですから、壊れたら待ったなしで買わなければいけません。壊れる前に新しいやつを選んでおかないといけないかと思案しています。

 


飲んで話す

2017-05-22 09:57:44 | 民俗学

できるなら飲まないで話せればいいものを、飲んで話すとなぜか自分はそんなことを考えていたのかと自分でも驚くような言葉が口から出ることがあります。通常の飲み会で話したことは、一晩寝れば忘れてしまうのですが、そんな話をしたときは、いつまでも記憶が残ります。

ゴールデンウィークに仲間と飲みました。その時の話です。まずは、大都市近郊の都市の文化です。院生のS君は、熊谷市の祭りで修論を書きました。その調査を通じた感想が話題になりました。熊谷は何といっても暑いところ、学生時代を熊谷ですごしたというOさんの話も加わり、その暑さの語りに熱を帯びました。駅で列車から降りようとすると、ドアの向こうからドライヤーの風が吹いてくるとのこと。ひとしきり気温の話をしてから、風土の話となりました。熊谷は大東京の近郊都市として、宿場から大きくなった都市です。したがって、都市の中核となるようなモニュメントがなく、駅前に繁華街があってひたすら住宅街が広がるといった、アクセントのない都市どというのです。文化といえば「ヤンキー文化」といったもので、今はどうか知りませんOさんが学生の頃は、洋品店で普通の物を買おうとしてもおいてなく、ラメのはいったものやヒョウ柄が通常の商品として陳列されていたというのです。今も駅前には、何となくそれらしき若者がたむろっているといいます。これは見方によれば、どこにいっても老人ばかりが目に付くこの時代に、勢いのある街だともいえます。こういった町の雰囲気といったものを学問としてどうやってすくいあげるか。社会学の分野といえますが、そこでの祭りとなると民俗学からのアプローチも必要となります。都市民俗は何となく城下町対象のような感じですが、近郊都市の民俗はどうとらえたらいいのかが話題となりました。

もう一つは民俗学の目的についてに話が及びました。ここで、自分の口からこんな言葉がでました。目に見えないけれど人々の心の奥底にあり、本人も気が付かないような思いを表に出して明らかにするのが、民俗学の仕事ではないか。だから、いつの時代になっても民俗学は成立するのだ。目に見えないが心の奥底にあるとは、例えば霊的なものとか天皇制とかです。そんなことを話題にして、ああ自分はそんなことを考えているのだと自覚していると、昨日の朝日新聞の読書欄で、震災にからんだ霊的な聞き書きを集めた本がベストセラーになっているといいます。やっぱり、人々はそうしたものを求めているんだと、納得した次第です。


ウリの芽が出た

2017-05-21 17:42:45 | 民俗学

突然暑くなりました。今朝見ると、ウリの芽がでているではありませんか。種をまいたすべてのポットから芽がでていました。黄緑色のやつがそれです。今日は母親の入所している老人ホームの環境美化作業がありましたので、午前中はそれに参加し、午後は実家で畑の手入れをしました。畑は水分不足で、まいた種が思うようには芽をだしていないのです。それなのに、雑草だけはびっしりと芽をだし、仕方ないから早くも畝間を管理機で土をかきまぜ、草退治をしました。4時ころ家に帰ってみると、今朝目を出したウリは、黄緑から緑にかわっていました。立派な苗に育ちそうですが、いつごろポットに1本にしてしまうか、迷うところです。もう少し待って、2番目の葉が出たら順次切り取ろうかと思います。

共謀罪が委員会採決されました。例によって強行採決です。これじゃ、国会の意味がありません。儀式としての審議がすめば、何があっても採決してしまえば成立です。森友問題では資料は廃棄され、加計学園では総理の意図を示したような文書は見つからない、探す前から答えが決まっていて、もしあったとしたら当事者に隠させるという方針が、手に取るようにわかります。知らしむべからず、よらしむべし、といいますが全く近代以前の権力の考えをそのまま現在に適用に、何ら恥じるところがない現政権です。むかついて言葉になりません。お任せ政治のつけが遠からず必ずやってきます。