民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

潔い生き方

2018-05-29 09:26:16 | その他

日曜日にホテルで毎日新聞をもらいました。何気なく家に持ち帰り読んでみますと、神宮寺の高橋和尚を大きく取り上げ(ある紙面全部の特集)られていました。葬儀についてお話を聞き、見学もさせてもらっていました。高橋和尚は以前から息子に跡は継がせないといっていました。家業になって寺は、坊主は堕落したというのです。そして、本当に息子は寺から出し弟子を後継ぎにして、神宮寺を去ったのです。そのことは、人からきいていましたが、寺を去るまでの経過が詳しく書かれていました。去る直前まで葬儀を執行していたとあり、いかにも高橋和尚らしく神宮寺の住職を全うしたものです。これからは、タイに住んでエイズ患者の支援にあたりたいとのことでした。なんと清々しい、有言実行の生き方でしょう。

寺のひどさは目に余る、と私は思いますし、寺の命脈はそう長くはないとも思います。高橋和尚は全力で住職を務め、体力の限界を感じて退いたのではないかと私は思います。神宮寺に永代供養をお願いしようかと思っていましたが、もう少し考えねばなりません。


都市の景観

2018-05-29 09:01:23 | その他

息子が高層ホテルをとってくれたので、東京へ行ってきました。窓の先に広がる、未来都市のような景観です。窓のすぐわきには、あまり立つ気がしません。高層マンションで育った子どもは、高さに恐怖を感じなくなるのか、窓から落下して死んでしまうような事故があります。高層ホテルといっても、外を見なければどこにいるのか感じなくて、何の違和感もありません。ただ、トイレを流すに時には感じます。ものすごい勢いで圧をかけて吸い込んでいるのです。排水が詰まったら大変なことになりますから、吸引しているんだろうと判断しました。いくつもあるホテルのフロントには全て外国人が並んで、英語で話しています。順番を待っていると日本語通ずるかなと、逆に心配になったりしました。

信号機の故障があり、新宿までたどりつくのに、随分苦労しました。そして、彼のセットしてくれた店で夕飯に酒を飲み、翌日は東京駅と東御苑を見学しました。

江戸城の本丸が広い芝生地になっています。歩いてみると、江戸城はとんでもなく広かったことがわかります。そして、徳川氏の支配地に天皇が住んでいることで、明治維新とは権力の簒奪なのだということが、具体的にわかります。そして、天皇さんは京都に帰ってもらって、この地は全て国民に開放したほうがいいとも感じました。


富山の葬儀

2018-05-05 16:40:00 | 民俗学

富山で葬儀に参列しました。4~5年前に葬儀について書いた方の旦那さんが84歳で亡くなりました。前回書いたことにも重なりますが、松本の葬儀と比較して強く印象に残ったことを書きます。宗派は真言宗でしたが、同じ真言宗でも松本の流儀とは異なることがありました。それは、核としてある寺の流儀に葬儀業者(JA系列)のアレンジが入っているようにも感じられました。

まず、喪主からは家族葬で行いたいので新聞には掲載せず、隣近所にも知らせなかったという話で、小さな会場を準備されました。しかし、仕事関係の方たちの口コミで知られてしまい、近所の方も5~10名ほどはみえましたし、喪主である長男と喪主の子どもたちの仕事関係者の参列があり、生花などのお供えもありました。現在は過渡期にあり、なかなか家族葬は徹底できないと喪主は話しました。通夜、もしくは葬儀に会葬される方をお断りするわけにはいかないということです。通夜にお見えになって葬儀には来られないという方も、少数ながらいました。

写真は葬儀の祭壇ですが、正面の遺影を飾る部分はディスプレイになっていて、遺影が写されていました。正面右手の3本の軸がかけられていますが、これはご本尊だといいます。通夜には正面の遺影の場所にかかっていましたが、翌日の葬儀では、正面は遺影にかわりました。おそらく、遺影というものが一般化する以前は、ご本尊が故人をあの世に導くものとして葬儀に際してもかけられていたものが、あの世の存在が薄れて故人の存在が大きくなって遺影にとってかわったのではないでしょうか。ご本尊様は葬儀が終了すると箱に納めて厳重に縄で縛り、寺へ返却されました。こんな流儀は、多分松本地域にはないと思います。

次はお焼香の仕方ですが、松本と大きく異なる点がありました。写真で横倒しになっている竹の中におきが入っていて、そこへ手前にある輪切りにして立ててある竹から粒の線香をとってかけるのですが、注意すべきはもう一つ、黄色く色がなくなった古い竹筒の輪切りがあります。これは何かといえば、お焼香する人が焼香前に賽銭を入れるものなのです。私はうっかりしていて、通夜の際には作法を忘れていて手持ちの小銭がないので入れなかったのですが、葬儀ではポケットに用意しておきました。この風習はどれくらいの範囲に広がっているかわかりませんが、知らないとできません。

最後にお骨の事です。ここでは、葬式の後に火葬をするという形式です。今回気になったのは、お骨をどの程度まで収骨するのかでした。西日本では小さな骨壺に少量を拾い、東日本では大きな骨壺に全部を拾うと聞いています。どっちなのか。結論的に言うと、富山でも骨は全部拾いました。あらかじめプレートの上に集めてくれた骨を、立ち会った人々がはしで拾って骨壺に入れ、残った骨を喪主が手で集めてすくい、骨壺に入れることを求められました。これは初めてでした。施設の担当者がまず素手で扱い、その上で喪主がすくって入れるように指示されたのです。これも初めてでした。