民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

会報刊行

2017-11-20 08:39:46 | 民俗学

18日に民俗の会総会が終わました。昨日は二日酔いと疲れでグダグダしていて、本日の報告になった次第です。今回の記念講演では関西学院大学の島村恭則先生に、「民俗学とは何か」という直球勝負の話をしてもらいました。そして何といってもうれしかったのは、間に合わないといわれていた『会報』40号を印刷所が頑張って刊行してくれ、総会参加の皆さんに手渡しできたことです。全205ページという大部な1冊になりました。論文9本に会活動の記録がついています。多分1000円で会員外にも販売されますから、興味のある方は長野県民俗の会HPをのぞいてみてください。

島村先生とは昨年の学会の談話会後の懇親会で一緒になり、酔った勢いで講演をお願いするという運びになりました。その時は知らなかったのですが、今年の佛教大の年会シンポジウムの基調講演を島村さんがやり、仕掛人となっていました。その時と重なる話を今回してくれたという訳です。詳しくは来年の会報に文字化して掲載する予定ですから、また読んでもらえればいいと思います。一部では、現代民俗学あるいは国際化に動く学会に異を唱える長野県民俗の会と、学会理事をある面代表している島村さんが、バトルをくりひろげると期待されていたみたいですが、互いに大人、私も年をとりましたし、そうはなりませんでした。というより、島村さんが戦略的にそう唱えていますといった本音を吐露されてしまいますので、ご苦労様です、頑張って。などと応援する側に回らざるを得ないはめとなりました。

講演後は、自分にとっての民俗学とはなにかを、参加者全員(大学教授・元大学教授・会社員・公務員・元公務員・自営業・大学院生)で発表しシェアするという、長野県民俗の会ならではの、学問を語る会になりました。学ぶことはこういう事だよと、取材にもこなかったマスコミに教えてやりたいです。


子育て伝承今昔

2017-11-11 14:54:20 | 民俗学

今回の娘の出産後サポート行脚は、本来なら里帰り出産でゆっくり産後ケアができるのに、母の病気のことを考えてそうしなかったと思われる娘への、罪滅ぼしとでもいえるものと考えていました。初産でとまどいも多いだろうから母の経験知(伝承)を伝え、不安定な産後を支える。そんな感じです。おそらく、これまで何千年も人類はそのようにして、子育てを伝承し命をつないできたのだろうと思います。妻がいうには、実家で出産し、正確には実家近くの産院で出産し、産後一か月ばかりを実家で暮らした経験では、そばに母がいてくれて心強かったといいます。里帰り出産が妻訪い婚の流れをひくものかどうかはわかりませんが、若い母親の精神を安定させるものであったことは間違いありません。

そんなつもりで、娘の健康を気遣い妻が自分の経験から、「乳房炎にならないように気を付けて」のような助言をしたところ、娘からは思わぬリアクションがありました。「そんなことは産前に研修を受けて言われなくてもわかっている。そういう指示的なことは一切言わないで」という、経験知を伝えることを拒否する反応でした。そうなんだ。母の言うことは古く、現在の子育ての考え方は、本やPCの中にあり、それを選択するのは自分だということです。ああ、同じようなことを自分も自分の親たちに感じたと思いました。指示されたくない。自分が思ったのと同じことを娘が思っているのは当然としても、昔はそれでも世代間の伝承的な知識に頼らなくてはならない場面もありました。

現代の子育ての伝承は何でしょう。困ったら親にきく、例えば便の色の変化とか、抱き癖とか、ことは、世代間での経験知ではなく、SNSなどの同世代間の情報にとってかわっているようです。こどもの状態を写真にとってアップすると、すぐ誰かから回答が得られ、そのことによる恩義やしがらみは生じない。ネット上のつながりだけで不安は解消されていく。確かにこの方が手軽だし、面倒な人間関係も生じません。そうやって育てられた世代には、ますます人間関係は希薄なものとなっていくでしょう。そうなると、人間関係を意図的に作り確認するための人生儀礼はどうなっていくのでしょうか。


私の履歴書を読む

2017-11-10 10:48:12 | 読書
日経新聞に石毛直道氏が私の履歴書を連載している。石毛氏は、料理の人類学で知られている。数日前、京大でやっていた人類学の学習会、「近衛ロンド」のことが載っていました。京大に属していなくても誰もが参加オープンというので、2回程、学生だった私ものぞいて見たことがありました。大学ではなく、日仏会館といったか、別の施設で開催していたように思います。いったいどんな議論がなされたのか、全く覚えていないのですが、夕方から夜にかけての研究会を趣のある建物でやっていると、研究者になったような錯覚を覚えました。半世紀近く昔、人類学も民俗学も勢いのあった頃の話です。

都市のごみ事情

2017-11-09 10:47:55 | 民俗学

大都市に限らず現代の生活では、ゴミをどうやって処理するかは大きな問題です。地方都市になるほどゴミ焼却場の能力が低かったり、容量が小さかったりだと思いますが、弁別が細かくわかれ、純然たる燃焼ごみを少なくしようとしている傾向があります。ごみ処理にお金がかかるというのも、小さな自治体の頭を悩ませる問題なのでしょう。妻の実家は東御市なのですが、ここの弁別は厳しいです。プラごみをプラとして出すのにきれいに洗わないといけません。納豆の入ったプラスチックケースなどを水道水で洗って乾かしているのを見ると、水道代を考えれば本末転倒の気がします。可燃ごみとして汚れたプラスチックを出すのを認めないのです。つまり、混じっているとゴミ収集車が置いて行ってしまうのです。だから、ここではゴミを捨てる時によほど考え慣れないと捨てられません。

さて今いる東京です。何でも一緒くたでよく、そもそもプらと可燃を弁別するという発想がありません。息子たちが大学生で東京に住んでいたころはもっとひどく、何でも一緒でよかったです。さすがに今は、金属とペットボトルとビンと燃やすごみには分けますが、入れる袋は何でもいいようです。とはいえ、スーパーではレジ袋を3円ないし5円で買わなくてはいけないため、マイバッグの人が多いため、レジ袋にゴミを入れて出す人は少ないみたいです。埋め立てゴミ・大型ごみ・家電などは都市住民はどうしているのか気になります。収集したとしても莫大な量になります。自治体ではどうやって処理しているのでしょうか。


産小屋考

2017-11-08 15:03:54 | 民俗学

板橋春夫氏は男性ながら精力的に産小屋の調査に取り組んでいる。産小屋とは、今は亡くなってしまったが産婦が一定期間家族とは別の小屋で、別れて生活するための施設でした。その理由が「血のけがれ」と説明されていたので、女性差別の施設のようにみられ、存在そのもにが否定されたりしました。しかし板橋氏のつぶさな調査によって、母体を保護する機能が明らかになりました。それは、産婦が別火で調理しなければならないとされたことで、日常の家事から解放され、赤子と一緒にのびのびと過ごせたということです。

私は今まで、この説明は男にとって都合の良い論理を男性研究者が構築したのであって、出産を穢れとして女性を隔離するのは変だと思っていました。おそらく他にも男性研究者の視点から構築された、男性にとって心地よい論理もあるはずだということを含めて。ところが今回、娘の産後のサポートにきてみて、産小屋は産婦保護のためのシステムかもしれないと思うようになりました。何しろ産婦はナーバスで、落ち着いた会話が成立しません。赤子以外の人間は全て敵みたいで、動物もそうですよね、母親の動物は危ない、ということなのです。まるでオサンドンをする下部のような扱いです。周囲と隔離され食事のことを考えないで赤子と過ごし、赤子のことだけ考える場が、「産小屋」ではないか。そのために、皆が納得する論理として、「ケガレ」をもちだした、どうもそんな気がするのです。


都市のスーパー

2017-11-07 10:43:28 | その他

東京に来てから毎日スーパー通いをしています。松本では考えられなかったことです。それで、都市のスーパーについて幾つか気が付くことがありました。まず、大都市のスーパーはどこのも小さいです。市街地で大きな敷地をとれないから、当たり前といえば当たり前です。もちろん駐車場などはありません。買い物客はみんな歩いていき、買ったものは手にもって帰ります。だから一度に沢山の買い物はできません。ビールやジュースを箱ごと販売するなんてことはありません。誰もが毎日買い物に出るのです。だとすれば、おそらく家庭の冷蔵庫も小さ目な物だと思われます。次に商品ですが、素材としての野菜や肉は、陳列されている数が少ないです。むしろ田舎の店の方が新鮮で、陳列方法も洗練されているように思います。それに対して多いのは、お総菜や弁当など調理済の食品類です。すぐに食べられる物、しかも少量がパックされた物が多く陳列してあるように思いました。つまり、単身者が多く調理済みの食品が求められるということです。

松本の街の中にも以前は小規模のスーパーがありました。でも、それはみんな潰れあるいは閉店して郊外の大型店となりました。街の中の単身者はコンビニで買い物をしています。それでコンビニのミニスーパー化がみられます。大都市も老齢化が進めば同じことが起こるでしょう。面白いことに、都市化が地方に及ぶものと思うのですが、社会の変化はむしろ地方の方が早くて、地方から大都市へと生活の変化は及んでいるのです。


ジジになる

2017-11-05 09:58:05 | 民俗学
孫が産まれ、東京にいます。これで本当にジジとなりました。私の行なう習俗をこの孫が行なえば、民俗といえます。娘が私のクセのようなものを、どれだけ受け継いでいるかはわかりませんが。これまでは、集団で行なう行為を民俗としてきましたが、これからは個人もしくは家族で受け継がれる行為をみていかなくてはならない気がします。これから会いに行きます。1日に産まれた孫が、どんな顔をしているか楽しみです。