民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

北大植物園

2018-07-14 17:43:16 | その他

札幌最後の日に、北大の植物園と園内にある北方民族資料館を見学しました。植物園には既視感がありました。25年も前に子供たちを連れて車で北海道を回った際にも、訪れていました。そのころ見た景色の記憶とほとんど同じなのです。植物は変わらないのですね。ところが大きな違いがありました。

最初の写真は今回撮ったものですが、次のキタキツネの映っているのは、家に帰って探した25年前の写真です。そのころは、植物園にキタキツネがいたのです。札幌という大都会の中に、まだ野生が息づいていたのですから、すごいことです。25年前にはエゾシカも各地で見ました。今回は鉄道でしか歩いていないので、見る機会がなかったのかもしれませんが、大きく自然も変化してきているのではないかと思いました。

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川村カ子トアイヌ記念館

2018-07-11 16:26:50 | 歴史
昨日から旭川にいました。昨日はあの動物園を見学し、今日は旭川市博物館、三浦綾子記念文学館、川村カ子トアイヌ記念館を見学しました。三浦綾子記念文学館はパーキンソン病の作家ということで妻の希望、後はアイヌについてもっと知りたかった私の希望です。博物館では、アイヌの生活を丁寧に説明し、北方文化に占める北海道の位置がよくわかりました。また、アイヌが元と戦っていたことを初めて知りました。
そして、川村カ子トです。何か気になり、交通の便は良くないのですが、訪ねてみました。そしてびっくりしました。川村カ子トという名前に引っ掛かるのは、多分どこかで見ていたのです。それは難所を克服して飯田線の測量をしたアイヌの測量士でした。彼がアイヌ文化が失われることを恐れて、故郷に自費で建設した資料館だったのです。
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小樽にて

2018-07-10 10:04:16 | 歴史

泊まったホテルの窓から、運河の向こうに見えるのは渋沢倉庫。渋沢栄一が小樽で始めた倉庫会社だそうです。小樽では最盛期には沢山の銀行があり、北のウヲール街と呼ばれたとか。それらは今、保存されて土産物屋になっています。昭和前期で時間が止まっているような町並みです。観光客の多いこと。次の写真は旧日銀。
ニシンで栄えた商都の一時の夢か。アイヌの果たした役割は一切説明無しで、街の歴史は語られています。
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北海道に来ました

2018-07-09 06:10:23 | 政治

昨日北海道に来ました、
アイヌ語の山に囲まれて、近代建築の旧北海道庁舎が建っています。北海道で考える明治維新は、また別のものがあります。
アイヌの人々を支配したように朝鮮を支配し、朝鮮のように満洲を支配しようとしたのではないか。だとすれば、全ての原形が北海道支配にあるのかな。山口昌男が北海道に戻って、敗者の歴史を考えるようになったのも、北の大地のなせる技かと思います。
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有形文化財保護とは

2018-06-19 10:17:48 | 民俗学

昨日は大町市の文化財の会議で、旧八坂村大平の庄屋宅を見学しました。善光寺地震後の江戸時代末期に再建されたと想定される建築で、梁間6間、桁行18間もあり、さらに式台を設けて上客の接客のできる取次・座敷・広間を後から付け加えてあります。太い柱を使ってあり、大黒柱に至っては17寸(52cm)もあります。地方の豪農の家としては屈指の大きさです。

この建物は元の住人の手を離れ、荒れていた屋内を片付けたり整備したりしている最中でした。貴重な建物ではあるものの、行政には出すお金はありませんから、住んで管理してくれる人がいるということはありがたいことです。こんな山中の建物を買って利用しようというのですから、私はリタイアした年配者の田舎暮らしにあこがれる人かと思いました。ところが、建物を片付けていたのは20代の若者でした。自分で片付け整備して、カフェを開き地域の人々が集まれる場所にしたいといわれました。内部はかなり荒れていて、アナグマのタメグソが何か所もあったり、ネズミがいたり、キツツキが明けた穴が何か所もあったりだといいます。一度泊まったが夜は怖かったといっていました。一人で整備するにはとんでもない広さがありますし、資材のたくさんいります。もくもくと一人で作業しているかと思うと、頭が下がります。そして、来月にはカフェを開くといいます。

ウーン、本とに文化財保護と活用上からはすばらしいことですが、カフェを仕事にして若い者が生活していけるかと心配になります。アナグマの侵入をどうやって防いだらいいか、同行したみんな心配していました。若者頑張れ。

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事故にあう

2018-06-17 09:59:17 | その他

世の中では思いもしないことが起こります。特に最近は、これまでなら想像もできなかったことが次々に起こります。新幹線の中で殺傷事件があったり、新幹線が人をはねたり、車がショッピングセンターにつっこんだり。自分にもいろんなことが起こります。

おばが亡くなり塩尻の家族葬会館で葬儀がありました。通夜から葬儀会社の会場を使ったものでした。また、家族葬というか親族葬でしたが、近隣の人が来なかっただけで一般葬とかわりないものでした。家族葬で徹底するのはまだむずかしいですね。問題は葬儀翌日です。実家に泊まって松本の自宅に朝車で戻る途中、松本市内で信号待ちをしていて動き始めたと思ったら、後ろから追突されました。当初は何が起こったのかわからなかったのですが、追突に気が付き車を止めて、後ろの車を見ますと若い女性が乗ってます。降りてその車の所へいきますと。運転者は茫然として車に乗ったままです。まだ高校を卒業したばかりみたいで、どうしたらいいかわからずただ座っています。らちがあかないので警察に電話し、その指示で交番に行き、事故処理をしました。こわいのはむち打ちですが、それから三日目の今日ですが大丈夫みたいで安心しました。

事故後妻の実家で梅をもぎ、畑の草を退治のために耕し、昨日は民俗の会の例会で白馬に行ってお札の整理をし、帰りに小谷で牛方宿を見てきました。

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拉致問題の解決

2018-06-07 16:33:59 | 政治

米朝がそれぞれの思惑で接近し、日本だけ置いてきぼりを食わされた状態です。トランプにとっては、大陸間弾道弾さえなくなって、アメリカが攻撃されなくなれば条件は満たされるのでしょう。安部との友情で、あたかも加計氏を表舞台には絶対出さなかったように、友情で日本を守ってくれるとでも考えているのでしょうか。とんでもない考え違いですね。

日本にとって拉致問題が喉に刺さったトゲとなって、北朝鮮との関係は進展しません。いったいどうして北朝鮮は拉致被害者を日本に帰国させないのか、何を考えているのかさっぱりわからん、というのが大方の皆さんの思っていることでしょうし、自分もそう思います。ですが、立場を変えて北朝鮮になって考えてみると、また別の見方もできます。

日本と北朝鮮は国交がありません。ということは、日本の植民地状態が日本の敗戦によって終わった状態が今も続いているということです。北朝鮮にしてみれば、拉致被害者を返せという前に戦争中に強制連行していった多数の朝鮮人で今だ帰国していない人々の消息を示し、謝罪して相応の補償をすることが先ではないか。拉致は戦争状態が今も日本とは続いている以上、あったとしても人権侵害を言われる筋合いはない、という主張ができるのではないでしょうか。第2次世界大戦をどう終わらせるかという問題が先にあると主張されれば、なかなか問題は進展しません。安部の言うような圧力一辺倒の政策では、少しも前に進みません。拉致を認めるわけではありませんが、その前の問題をまず解決しないと、被害者はいつまでたっても取り戻せないと私は思います。

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潔い生き方

2018-05-29 09:26:16 | その他

日曜日にホテルで毎日新聞をもらいました。何気なく家に持ち帰り読んでみますと、神宮寺の高橋和尚を大きく取り上げ(ある紙面全部の特集)られていました。葬儀についてお話を聞き、見学もさせてもらっていました。高橋和尚は以前から息子に跡は継がせないといっていました。家業になって寺は、坊主は堕落したというのです。そして、本当に息子は寺から出し弟子を後継ぎにして、神宮寺を去ったのです。そのことは、人からきいていましたが、寺を去るまでの経過が詳しく書かれていました。去る直前まで葬儀を執行していたとあり、いかにも高橋和尚らしく神宮寺の住職を全うしたものです。これからは、タイに住んでエイズ患者の支援にあたりたいとのことでした。なんと清々しい、有言実行の生き方でしょう。

寺のひどさは目に余る、と私は思いますし、寺の命脈はそう長くはないとも思います。高橋和尚は全力で住職を務め、体力の限界を感じて退いたのではないかと私は思います。神宮寺に永代供養をお願いしようかと思っていましたが、もう少し考えねばなりません。

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都市の景観

2018-05-29 09:01:23 | その他

息子が高層ホテルをとってくれたので、東京へ行ってきました。窓の先に広がる、未来都市のような景観です。窓のすぐわきには、あまり立つ気がしません。高層マンションで育った子どもは、高さに恐怖を感じなくなるのか、窓から落下して死んでしまうような事故があります。高層ホテルといっても、外を見なければどこにいるのか感じなくて、何の違和感もありません。ただ、トイレを流すに時には感じます。ものすごい勢いで圧をかけて吸い込んでいるのです。排水が詰まったら大変なことになりますから、吸引しているんだろうと判断しました。いくつもあるホテルのフロントには全て外国人が並んで、英語で話しています。順番を待っていると日本語通ずるかなと、逆に心配になったりしました。

信号機の故障があり、新宿までたどりつくのに、随分苦労しました。そして、彼のセットしてくれた店で夕飯に酒を飲み、翌日は東京駅と東御苑を見学しました。

江戸城の本丸が広い芝生地になっています。歩いてみると、江戸城はとんでもなく広かったことがわかります。そして、徳川氏の支配地に天皇が住んでいることで、明治維新とは権力の簒奪なのだということが、具体的にわかります。そして、天皇さんは京都に帰ってもらって、この地は全て国民に開放したほうがいいとも感じました。

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富山の葬儀

2018-05-05 16:40:00 | 民俗学

富山で葬儀に参列しました。4~5年前に葬儀について書いた方の旦那さんが84歳で亡くなりました。前回書いたことにも重なりますが、松本の葬儀と比較して強く印象に残ったことを書きます。宗派は真言宗でしたが、同じ真言宗でも松本の流儀とは異なることがありました。それは、核としてある寺の流儀に葬儀業者(JA系列)のアレンジが入っているようにも感じられました。

まず、喪主からは家族葬で行いたいので新聞には掲載せず、隣近所にも知らせなかったという話で、小さな会場を準備されました。しかし、仕事関係の方たちの口コミで知られてしまい、近所の方も5~10名ほどはみえましたし、喪主である長男と喪主の子どもたちの仕事関係者の参列があり、生花などのお供えもありました。現在は過渡期にあり、なかなか家族葬は徹底できないと喪主は話しました。通夜、もしくは葬儀に会葬される方をお断りするわけにはいかないということです。通夜にお見えになって葬儀には来られないという方も、少数ながらいました。

写真は葬儀の祭壇ですが、正面の遺影を飾る部分はディスプレイになっていて、遺影が写されていました。正面右手の3本の軸がかけられていますが、これはご本尊だといいます。通夜には正面の遺影の場所にかかっていましたが、翌日の葬儀では、正面は遺影にかわりました。おそらく、遺影というものが一般化する以前は、ご本尊が故人をあの世に導くものとして葬儀に際してもかけられていたものが、あの世の存在が薄れて故人の存在が大きくなって遺影にとってかわったのではないでしょうか。ご本尊様は葬儀が終了すると箱に納めて厳重に縄で縛り、寺へ返却されました。こんな流儀は、多分松本地域にはないと思います。

次はお焼香の仕方ですが、松本と大きく異なる点がありました。写真で横倒しになっている竹の中におきが入っていて、そこへ手前にある輪切りにして立ててある竹から粒の線香をとってかけるのですが、注意すべきはもう一つ、黄色く色がなくなった古い竹筒の輪切りがあります。これは何かといえば、お焼香する人が焼香前に賽銭を入れるものなのです。私はうっかりしていて、通夜の際には作法を忘れていて手持ちの小銭がないので入れなかったのですが、葬儀ではポケットに用意しておきました。この風習はどれくらいの範囲に広がっているかわかりませんが、知らないとできません。

最後にお骨の事です。ここでは、葬式の後に火葬をするという形式です。今回気になったのは、お骨をどの程度まで収骨するのかでした。西日本では小さな骨壺に少量を拾い、東日本では大きな骨壺に全部を拾うと聞いています。どっちなのか。結論的に言うと、富山でも骨は全部拾いました。あらかじめプレートの上に集めてくれた骨を、立ち会った人々がはしで拾って骨壺に入れ、残った骨を喪主が手で集めてすくい、骨壺に入れることを求められました。これは初めてでした。施設の担当者がまず素手で扱い、その上で喪主がすくって入れるように指示されたのです。これも初めてでした。

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