民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

『1Q84』読了

2015-08-30 17:09:23 | 読書

今更『1Q84』でもあるまいと、村上春樹ファンなら思われるでしょうが、『ノルウェイの森』しか読んだことがない私としては、かなりな冒険でした。Book1~3 それぞれ上・下巻ある全6冊の小説です。読み終わるまでに結構時間がかかりますから、時間の無駄で終わることもあります。たまたま発見してしまった息子の文庫本(しかも、2冊あるやつもあったから彼は多分読んでいないと私はみる)です。ぱらぱら批評も見ると、様々です。あたりまえです。自分も、文章の軽さが鼻について積極的に読む気がしなかったのが、村上作品です。

長い作品をようやくにして読み終えてどうかといえば、まず頭に浮かんできたのは皇后論なのです。中天皇としての皇后です。オーム事件が物語の大きな骨格を作っているように思うのですが、宗教を村上春樹がどう考えているかが問題となります。私の読み取りでは、神を感ずる者とそれを伝える者、つまり姫と彦、それはどちらが男でも女でもいいと思うのですが、その対で構成されるものだと考えています。今は、安藤礼二や原武史によって折口が再評価されて注目されるようになったのですが、この小説が書かれる頃はそんなに問題とはされていなかったと思います。小説家のイマジネーションとはすごいものだと思います。ただ、対としての主人公2人(青豆と天吾)が、神に対してどういう位置づけになるのか私には読み取れませんでした。Book3は純愛物語となって終末を迎えましたが、1・2のおどろおどろしさからすれば、読者にカタルシスを与えるためのサービスなのかと思わされました。また、殺された男の口から出てきたリトルピープルが、空気さなぎを作っているという描写で終わっているのは(読んでいない人にこのことを説明するのは難しい)、続編への布石なのかと思いました。

もう一つは、小説は多かれ少なかれ男と女について書かれるものですが、セックスというものが人間の行動にとって大きな意味を持つものだとの考えももちました。当たり前と言えばあたりまえですが。そのセックス描写が、純文学?としては露骨すぎるとの批評もあるようです。確かに、読者サービスが過ぎるではないかと思う部分もあります。しかし、世の中は男と女で成り立っていて、情欲が人々を行動に駆り立てることは事実ですので、見方によってですがセックス描写も必要だと思います。

で読んでみてどうだったのだといわれますと、時間の無駄ではなかった。しかし、有益だったかといわれれば、それほどでも。小説は楽しめばいいんでしょうか。


夏休みの終わりに

2015-08-29 21:29:48 | 教育

都市では夏休みの最終日が明日でしょう。長野県では10ばかり早く2学期が始まりますが、始まりがいやなことは同じです。前にも書いたような気がしますが、計画性のなかった私は、盆が終わると死にたくなりました。宿題がほとんど終わっていないのです。2日か3日青い顔をしてやっつけ仕事で宿題を終わらせました。今でもいやな思い出です。そんな私が教員になり、若いころはかなり厳しく休み明けには宿題を取り立てました。黒板に名前を書いておいて、提出したら消すようなこともしました。皆の前で未提出者の名前を読み上げたりしました。ところが、不登校が問題となり、とりわけ夏休み明けに増加するというようなことが話題になるようになりました。以前は厳しく宿題の提出を図ることが、生徒指導上長い目で見ればよいことだと思っていたのですが、本当にそうだろうかと思うようになり、終いにはあまり厳しく宿題を要求しないでくださいと先生方にお願いするようになりました。そして今は、学校がそんなにいやで死んでしまいたいくらいなら、図書館に避難してください、などというツイートがなされるようになりました。死んでしまうより、学校へ行かない方がはるかにましです。その通りなのですが、だとするなら、夏休みの宿題など日本中でやめてしまえばどうでしょう。休み中も勉強したい者は、自主学習するか別途お金を払って熟で学習する。基本的に、学校から課す宿題はなしとしたらどうでしょうか。そうしたら個人差が広がるといわれるでしょうが、一斉での厳しい指導ができないとすれば、それが一番すっきりしています。それに、夏休み中の宿題がどれほどの学習効果あるのか、正直言って疑問です。

 宿題を出して未提出でも請求はするなという指導は、大変やりにくいものです。教員に楽をさせるためみたいに思われても困りますが、休み明けに死ぬほど登校がいやだと思わせないためには、日本中宿題はなしとすることを私は提案します。


夏休みの悲劇

2015-08-22 19:15:47 | 教育

予想できる最悪の事態でした。行方のわからない二人の中学生の死です。夏休み明けは間近です。いったいどうしたことでしょう。

女子中学生が死体で発見されたとき、該当中学の校長は明るくまじめな子でしたとテレビでいっていました。いつも思いますし、そういわざるを得ないし、つまらん質問をマスコミがするのだとも思いますが、全くまじめな子がこうした事件にまきこまれるのはまれです。夜間徘徊しているような子が、まじめとはいえないでしょう。ここでまちがえてはいけないのは、夜間徘徊している子はひどいめにあっても仕方がないというのではありません。そうしたリスクを負っているということです。夏休み中、あるいは明けに問題行動を起こす子は多くいます。夜中に遊んでいて戻ってこないのです。多くの場合、保護者はことの重大さをさほどには認識していません。夜中に補導されたりすると、まずは学校に連絡があります。担任が迎えに行きます。もしくは、保護者に連絡され保護者が迎えに行きます。何で担任(学校が)と思いますが、この場合は子どもの問題行動を学校が把握できるだけまだよいともいえます。ところが、保護者が引き取りに行った場合、学校へは何も連絡されないことが大部分です。個人情報ということがあり、警察からは学校に連絡ははいりません。そうすると、結構長引きます。

子どもは大人の干渉をきらい、夜中に勝手に出歩くことをもって大人になった、自立したと誤った認識をもったりします。その危ない季節が夏です。親は自立したがる子どもを鬱陶しく思い、勝手に行動することを安易に許してしまうことがあります。こいつが後になって、大きなリスクを生んでしまうのです。夏は性腺刺激ホルモンが活性化し、自我への欲求が急激に強まるのです。そして、刺激のつよい都市では尚更です。

亡くなった生徒たちは明るくはあっても、学校的な意味でまじめな生徒ではありませんでした。もっと世の中のひどさを教えておくべきでしたし、保護者は強く出るべきだったと思います。このことが、また学校の生徒指導の不備だとの批判に向かうことを恐れます。亡くなった子どもたちはもちろん可哀そうで理不尽なことでしたが、自らリスクを引き寄せてしまったというのも否めない事実です。中学生がオールなどといって夜間徘徊すること、それを許す家庭と地域社会を何とかしないと、おかしな大人はいっぱいいますから、同じような事件はまた起こります。


この国の「歴史」の終わり

2015-08-20 15:45:33 | 歴史

町を歩き、路地に入ってみて最近感ずるのは、空き家が多いということ。今年の夏は例年に増して暑いせいか、雑草の伸びもよい。屋敷の周りの雑草は、ちょっと知らないでいると、すぐに根をはやし丈をのばしています。私の実家も空き家にしているが、数年前からは除草剤を噴霧している。それでも1ヶ月に1度くらいは噴霧しないと、また伸びてきてしまいます。できるだけ薄めて草以外へのダメージが少ないようにしているせいもあるかもしれません。で、街中の家で屋敷周りに雑草が繁茂していると、空き家だとすぐにまかってしまうので、空き家が多いことが目についてしまうのです。と同時に、何軒もの空き家を更地に戻して、プチ開発をして街中の景観がかわった所もあります。しゃれた戸建住宅が建ってしまうと、以前に何があったかさっぱり思い出せません。何があったかわからないといっても、古い家があったことは間違いないのです。そして、壊された家が古ければ古いほど、その家にあった歴史つまり文書だとか伝承と言ったものの集積が詰まっていたと思うのですが、プチ開発された地域をみますと、更地を作って分譲地にしていますから、前に住んでいた家族が歴史を引き継いで同じ地面の上に住んでいるということは、まずありません。文書や民具があったとしても家を壊した時に同時に処分されてしまうでしょう。現実にそうした話を聞いたことがあります。

昨日、若山牧水の長野県における高弟の一人の方のお宅へ行って、牧水関連の書簡を展示のために借用してきました。その方はおそらく90歳前後になられると思うのですが、牧水の高弟に当たる方の一人息子がシベリヤに抑留されて亡くなってしまったので、親戚から養子に入ったのだと話してくださいました。今は広い家に一人暮らしで、ヘルパーさんや訪問看護の方などに頼って生活しています。牧水や妻の喜志子の書簡を整理して保存されていますが、一人暮らしのこの方の亡き後は、そうした史料はどうなるのでしょうか。同じように、古い家々にはその家や地域の歴史を物語る文書が、まだまだ数多く眠っているはずです。ところが、人口減少社会です。古い家は次々と取り壊されていきます。災害レスキューとかいって、文書を救わなければいけないと活動されている人もいますが、もっと大きな流れの中でこの国の歴史は失われつつあると感じます。これまでは、人が定住し何代もにわたって同じ家に住み続けるのは当たり前と思われていた社会から、もっと流動的な世の中に変わりつつあります。そのこと自体をいいとも、悪いともいってみても仕方のないことですが、世の中が変わりつつあるということはもっと人々が認識しなくてはならないと思います。新しい世の中のグランドデザインを政治家は示して、地域社会や国全体を誘導しなくてはならないのに、国の形を守るとか、国際情勢の変化だとか、打ち上げ花火のような話題に国民の目を向け、本当に見なくてはならない物を見ようとしていません。

これからは、この国の人々は過去とのつながりが切れた現実社会という中だけで暮らしていくようになるのでしょうか。


安倍首相談話

2015-08-16 18:29:49 | 政治

すったもんだと、かなり前から話題となっていた戦後70年の安倍首相談話が出ました。一言でいうなら、長すぎて論旨が明快ではありません。もしかしたら、文言を薄めることでわざと内容をわかりにくくしたのかもしれません。私が気になったのは主語です。首相がどう思っているかを内外に示すのが目的のはずなのに、主語の多くは、われわれ(we)か、我が国(japan)となっており、Iとなっているのは極一部なのです。私は思う、考えるとはいいたくなかったのでしょう。戦争責任、原発事故、国立競技場の再建等、どれも責任の所在があいまいで突き詰めていくと、悪い人は誰もいないみたいです。数か月前でしょうか、ドイツでアウシュビッツ収容所の事務かなんかしていた90歳くらいのおじいさんが裁かれて、有罪判決がでました。収監されるのですね。この件で、かわいそうにただ歯車として働いただけで、ある面本人も被害者なのに裁かれるとは、といった投書を読みました。そうです。この感じ方が、日本とドイツでは大きく違うのです。日本人は、歴史の大きな流れの中に身を置かざるを得なかったのであって、個人としての責任を問われる筋合いはない、と思います。この談話にもそうした考えが底流となっていることを感じます。植民地獲得競争から談話を説き起こし、ブロック経済からはじき出された日本は孤立し、「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいきました」。あたかも仕方がなかったといわんばかりです。そして、「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。」、私は痛切に反省しお詫びを申し上げます、とはいわず「歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです」とくる。歴史という非常なものが主体となって、あたかも日本を動かしているかのような冷めた見方、もしくは仕方なくあげた謝罪っぽい文言でしょうか。いやいや取り上げているという気持ちが表れています。

談話の中の、「私たちは」という文言には、この私も含まれているのでしょうか、それとも内閣に属している人たち?自民党の人たち?国会議員?。この私たちという表現は、いやですね。少なくとも積極的平和主義の旗を掲げる「私たち」には、私は含まれていませんし、含まれたくないという日本国民は多数いるはずです。

何するかわからない駄々っ子が、いいかい今度人前に出たら普通の人みたいに振る舞うんだよと何度も教えられ、説諭されて人並みにできたから身内の者は喜んでも、周囲の者にしてみれば当たり前のことが当たり前にできただけのことですから、ほめるような事柄ではありません。周辺諸国に波風を立てなかったといってほっとされるようなものを、何でわざわざ発表する必要があったのでしょうか。


無形民俗文化財とは

2015-08-14 15:33:39 | 民俗学

日曜日の民俗の会の例会で、今田人形浄瑠璃について勉強し、飯田人形劇フェスタの一環としての公演を見てきました。そこでまた感じたことですが、無形民俗文化財を指定することの意味です。今田人形は、国・県選択無形民俗文化財に指定されています。指定を受けたのは昭和50年で、三隅治雄氏が調査に入ったのは、昭和28年からのようです。このままでは滅んでしまうというおそれから指定されたのでしょう。指定されることで、今日まで続いてきたといえるかもしれません。下伊那の諸行事は多くがそうかもしれません。今の時期なら、新野の盆踊りも多くの研究者が入って、これが正式な新野の盆踊りだと定めたことで、今に至るも続いているのかもしれません。しかし、正式な形とは何なのでしょうか。研究者の考える系譜とか理論に合致したものを正式と定めて、それ以外はまがい物だといえるのでしょうか。生活のある断面の総体を民俗というならば、民俗芸能も同様です。生活の中で変化するなら、変化した形が正しいものではないでしょうか。

今田人形は伝承にこだわった「型」はないようです。それどころか、淡路人形を手本としてそれに似せることを目指しているようです。また、今田人形座からは文楽のプロとなった人もいます。そうしますと、伝承とはなにかと考えてしまいます。伝統芸能の始まりを考えてみれば、必ずどこかからの伝播があり、それを受け継ぎ守っていこうとする意志が働いたはずです。そうすると、現在においてもプロの人形浄瑠璃を見てまねて、自分たちの座の演目としてもおかしくはありません。ただ、文化財指定とは何かという問題は生じますが。

 

中国に赴任した息子の部屋を片付けていて、村上春樹の『1Q84』の文庫版全6冊があることに気づいてしまいました。まずいものを発見してしまったものです。遅まきながら読み始めて、離れられません。


家族とは何か

2015-08-14 08:21:15 | その他

盆になりました。先祖供養のときですが、今はむしろ先祖は遠いものとなり家族関係の再確認の時だといっていいでしょう。それで、家族のことを書きます。

母は特別養護老人ホームに入れていただくことができまして、そこで暮らしています。申し込みをしてから何年も待つという話ですが、1年ばかりで入所できました。いろいろな好条件が重なったとは思いますが、自分と母の関係がよくないことが好条件の大きな一つになっていただろうと思います。可能な限り週に1回は様子を見に行き、昨日は盆なので1日帰宅させて面倒をみました。これは産んでもらったことに対する義務だと思っています。できれば顔を合わせたくないというのが本当の気持ちです。若い時から、帰宅するたびに不快な思いとなり、2度と会いたくないと思っては家を後にしました。親離れができないことの裏返しの気持ちなのかと思っていましたが、だんだんそうではないことが、年をとるにしたがってわかってきました。わかってきたのは自分の側だけで、母はわかっていないと思います。原因は、母のアスペルガーないしはアスペルガー的傾向性にあり、それは少なからず自分にも受け継がれてきているものと思われます。

自分が幼いころから、母の口癖は父と結婚して大家族とくらして(わずか1年余りにすぎないのに)、いかに自分がいじめられて苦労したか。そして、一切の財産、茶碗一つ分けてもらえず分家したこと。まわりの人々がいかに冷たかったか、どれだけ自分が苦労したか。自分ほど苦労した者はいない。ということでした。繰り返しこうした話を聞かされた父はよく耐えたと思います。幼かった自分は、母の苦労を思って相手を憎んだものでした。ところが、成長するにしたがって段々おかしいことがわかってきました。誰でも一通りの苦労をして生きてきています。苦労の種類は違っても、一生楽したなんて人はいないはずです。また、いじわるな人ばかりいたようにいいますが、時にはいじわるなことがあっても、人はそればかりではないはずです。陰に回っては悪口をいう人は、良く言われるはずがありません。母にとって家族の多い婚家での生活になじめなかったのは事実でしょう。そこまでは誰もが体験したことですが、おそらく母は多くの人間関係の中での関係の構築、つまりは相手の思っていることが推し量れなかったのだと思います。それは今もそうなのですが。そして、このことを言ってしまえば相手がどれだけ傷つくかということがわからず、不用意に思ったことをそのまま口にしてしまった。そして今も。あからさまにこのことを母にいったことがあります。あなたは自分に都合のいいことだけで、相手の気持ちを考えないと。まったくこのことはわかってもらえず、息子に怒られたといういやな思いを残しただけでした。

人の悪口なんかいうもんじゃない、といってきかせる傍から悪口をいいます。認知症らしくなってから、性格の悪い面が余計に表面に出てきてしまったように思います。恐ろしいことに、こうした精神構造は息子である自分に受け継がれているのでしょう。介護保険制度に感謝しています。それがなくて、どうしても肉親が面倒をみなくてはならないとされていたら、この親子関係は最悪の状態になっていたと思います。家族とは恐ろしいものです。


アウシュビッツを考える

2015-08-03 09:08:18 | 歴史

浅間温泉の神宮寺の高橋住職は、盆の供養をやめて「いのちの伝承」と題して、もっと広く大きく亡くなった人々の魂の救済をしています。今年は、丸木美術館から「アウシュビッツの図」を借りて展示し、アウシュビッツにある国際青少年交流の家教育プログラム部門副代表のユデット・ヘーネさんを招いて、高橋さんとの対談をしました。その対談を聞きながらおもったことを書きます。

会場は神宮寺のアバロホールです。観音堂であり、普段は葬式が行われる場所ですが、ステージ上に巨大な「アウシュビッツの図」が展示され、その前に高橋さん・ヘーネさん・通訳を務める赤木さんが座ります。3時からでしたが、ほぼ満席どんどん人が集まりあいている所には椅子が並べられ余地はなくなりました。200人はいます。空調がきいているので、涼しすぎるくらいです。お寺のホールとは思えません。で対談が始まりましたが、痛感したのは通訳を介しての対談、それも専門の通訳ではなく日独の2世で今はドイツに住んでいる方でしたが、日本語の専門用語、ボキャブラリーに苦労されていて、話をつなげながら聞く方も苦労でした。ヘーネさんはドイツ国籍ですが、ポーランドのアウシュビッツの近くにあるNGOの事務所で、全世界から集まる青少年のアウシュビッツに関する教育プログラムの実践に従事している方でした。事前にチラシを読み込んでいかなかったので、それを理解するまでに苦労しました。高橋さんから、講師の長めの紹介があったほうが話はスムースに進んだと感じました。ドイツにとってアウシュビッツは本当なら忘れたい記憶ですが、それを長く記憶にとどめ青少年に伝えるための努力を続けていることが、何よりこの国と違うところです。それで、ヘーネさんの心情などを聞きながら考えたのは、アウシュビッツと広島をダブらせながら語ることは、日本人にとっては誠に心地よいものです。なぜなら、アウシュビッツは遠い国の出来事で、そんな非人間的なことは絶対ゆるせないと何の制約もなくいえますし、広島は我々はひどい目にあったから、あのような殺戮兵器は唯一の被爆国として許せません、ともいえます。(将来の核武装や核の傘の下にいると感じている政治家にはいえない人もいますが)ところが、ドイツ人のヘーネさんが、アウシュビッツの近くに移り住んで青少年にアウシュビッツのことを教えるのは、例えていうならば私が南京に移り住んで、戦争博物館で青少年に日本軍の蛮行について教えるプログラムに従事するようなものです。アウシュビッツを語る時は自分をユダヤ人に重ね、広島では被爆者に重ね、東京大空襲では被災者に重ね、ということを繰り返していけば、いつまでたっても犯されて殺された中国の女性や、日本兵として死ななければならず何の保証も与えられていない韓国・朝鮮の人々、サハリンに置き去りにされた韓国・朝鮮の人々などは視野にはいってこないのです。その死を悼まなければならないのは、戦争で死んだ祖先ばかりではなく、理不尽にも日本人によって生命をたたれたアジアの多くの人々です。今日の話で、ドイツがまず隣国と始めたのは、謝罪からだったといいます。どんなすばらしいことをいっても、根っこに本当の謝罪の気持ちがなければ、相手にはうけいれてもらえないというのです。

教室で子どもたちにイジメの話をするとき、よくいったのは、なぐった方はそのことをすぐ忘れてしまうが、殴られた方は決して忘れない、ということでした。だから、真剣に謝らなくては許してもらえないのだと。規模は違いますが、国と国のつきあいも誠実さが基本だと思うのです。


押し付けられた憲法から選び取った憲法へ

2015-08-01 20:22:29 | 政治

 歩いて信州大学に行けるという地の利を生かして、30日に「安保法制の撤回を求める信州大学人の会」主催による第一回シンポジウム 「新安保法制の何が問題か」に参加しました。夕方6時からということで、信州大学の教職員・学生はもちろん一般市民もかなりいたように思われました。

 3人の先生方の報告がありました。1成澤孝人(憲法学)「新安保法制の違憲性と日本国憲法の規範性」 2大串潤児(日本現代史)「「戦後」の転換点の意味―現代史研究からの提起」 3辻竜平(数理・計量社会学)「圧倒的多数は民意か~世論調査からの考察~」
憲法学からは、今回の法案が憲法違反であり議論の余地がない。正式な憲法改正の手続きを経て改正となるならば、それがどうであれ受け入れざるを得ないものだが、現状は入り口から間違っており認められないという趣旨でした。論理を詰めていくという法律の話で、正直難しい話でしたが1つ感心したことがありました。第90回帝国議会での吉田茂の発言です。「戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条2項においていっさいの軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。」ここまではっきり言い切る吉田茂はすごいです。 

近代史からの問題提起肯くところが多かったです。まずは前提として、今回の事態は、「いのち」と「尊厳」の問題であって、「安全」と「(自己)責任」の問題ではないということ。そして、現代の戦争は、多くの格差に依拠し格差を生み出すものであるということは、なるほどそうなのです。誰が戦争に行くか、誰が誰を殺すか など。そして、戦後私たちが獲得したものは、「自分のことは自分で決める」という思想だったのに、存立危機事態か否かは時の政権担当者が総合的に決めるといい、判断の検証のための資料は秘密保護法によって私たちの目には触れなくなってしまった。白紙委任状を渡してあるようなものです。このままいけば、先の戦争の戦争責任の曖昧さをまたも繰り返すことになります。 

最後のアンケートから民意を読み解くという社会学の手法は、結果がわかっていれば数値はどうにでも解釈できるような気がして、言ってることはそうなのです、集団的自衛権に賛成して自民党に投票したのではなくアベノミクスを支持したのだとは、アンケートしなくてもいえそうなことなので、学問の手法としてどうなのかという疑問ももちました。 

フロアーからの意見で、自分は何もしないでおいて困った時だけ助けてほしいというのはいかがなものかというものが出ました。集団安全保障が本当に助けを必要とする人々を救えるのかということで反論できそうですが。歴史的事実をふまえないといけないように思いました。次回は、安全保障環境が厳しくなったというだけで具体的な変化を政府はいわないが、そのあたりをシンポジウムで明らかにしたいということでした。最後に、どの場面での発言だったか、こうやって教員・学生・市民が憲法について学んでいることは、戦後70年ただお任せで憲法に関わってこなかったものを今学び直し、新たに市民の手で憲法を選び直すという行為で、それはこの国で最初に憲法を制定しようとしたときに、各地で憲法草案ができたことに通ずる大事なことだという意見がありました。全くそうです。日本各地でのこうした運動の後には、押し付けられたといわれる憲法が、国民が選び取った憲法に変わります。変わったという事を認識しなければなりません。安倍のおかげで、民主主義の何たるかを学ばせてもらっているのです。