民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

神宮暦

2016-04-27 15:02:44 | 民俗学

伊勢神宮では、今年は3月5日が、「大麻暦頒布終了祭」、9月17日が「大麻暦頒布始祭」となっています。大麻とは伊勢神宮の御札のこと、暦とは神宮司庁で作る暦です。昔でいえば伊勢神宮の御師が、全国の氏子に対して前年の9月から御札と暦を配り始め、翌年の3月に終了するのです。内宮では、この暦を販売していました。暦について原稿を依頼されているものですから、早速買い求めました。写真のように、B5版とA5版とがありました。どちらも神宮暦と書いてありますから、きっと同じ内容で文字の大きさが違うのに相違ない。年寄りには文字は大きい方が読みやすいのだからと思って、私は大きい版の神宮暦を求めました。これが間違っていました。内容は同じかと聞いてみるべきでした。家に帰ってきて開いてみると、毎日の日本各地の日の出、日の入り、月齢、月の出、月の入り、満潮、干潮などが載っているだけなのです。私は、農事の目安として何が書かれているのか知りたかったのですが、これってどういうこと。調べてみると、そうした情報は右側の小さい版には掲載されているようなのです。大きい暦のほうが高かったのに、高い方が情報が少ないとはどうしたことでしょう。どうしたものか考えて、神主をしている知人に問い合わせてみました。すると、今は暦は注文した人にだけ渡すのだそうで、知人は地区の役員さんはお金を集めたり御札を配ったりと苦労してもらうので、役員には差し上げているとのこと。すると、昔オヤジがよくこれを見て種をまいたりしていたと、懐かしがってくれるといいます。その暦がまだ手元に残っているからと、早速にも送ってくれました。写真は、私が伊勢神宮から求めてきた左側の神宮暦と知人に送ってもらった右側の神宮暦です。

今も伊勢神宮では暦を作って配布していることがわかってうれしかったのですが、表紙をめくった内側には、紀元二千六百七十六年 西暦二千十六年 平成二十八年神宮暦 と書かれています。紀元などというものが印刷物として今も刊行されているのは、恐ろしいことです。また、高島暦にあるような易に関することは、神宮暦には一切書かれていません。注目した農事暦ですが、下段に「今月の農作業」として、その月の中に行うべき作業が列記されています。全国に頒布するものですから、さすがに作業日の目安までは書いてありません。その土地のその年の気候を見計らって、自分で判断しなさいということでしょう。それにしても、気候に関するデータだけをまとめた、大判の神宮暦は誰が何のために使ってきたのか、なぞですね。


お伊勢参り

2016-04-25 17:29:51 | 民俗学

  

伊勢志摩サミットの下見かねて、ではありませんが伊勢参りにいってきました。サミット近しで、あちこちに幟がたち、店の人や車掌さんなどが特別警戒中とかいう腕章をまき、随所に警官が立っていました。神奈川県警というジャンバーを着た警官が多くいました。しかし、伊勢神宮には自由に入れますし警官が立っているものの、巡回しているわけではありません。茂みの奥や人通りの少ない場所は、何でも仕掛けられそうな感じで、大丈夫かなといった印象を逆に受けました。そんなことはどうでも、伊勢神宮です。

境内で感じるのは広いということと、空間を区切りたいという意思をすごく感じました。それは、塀であったり、鳥居であったり、玉砂利の白と黒の色だったりしました。繰り返し繰り返し清浄空間を作り上げていき、最後は人を入れない空間としています。内と外といってもいいと思います。神道には多分この原理しかないのではないかと思います。いかに清浄に保つかで汲々としているばかりでは、普遍宗教にはなりえません。時には世俗権力と対立してまでも、宗教原理を守るという姿勢は残念ながら神道にはありません。世俗権力におもねり、世俗権力と神道がもたれかかれあって互いを保ち続けてきたのがこの国の歴史ではないでしょうか。

だから、外宮に資料館がありますが、そこで強調されているのは宗教の原理ではなく、式年遷宮という行事が古式ゆかしく続いてきたという、神社の古さでした。古いこと=善なのです。現実と対立する余地はありません。その遷宮で新調される全ての調度品が、今では目にすることができない技術で作られているすばらしい物なのだということもわかりました。そして、強く感じたのは、古くなったらリセットして全てを新しくするという感性が、敗戦からも原発事故からも学ばないこの国の国民性を形作っているのかもしれないということです。木の文化はやさしいですが、時間がたつと朽ちていきますから、忘れられるのです。


川内原発をなぜ止めないのか

2016-04-20 11:44:47 | 政治

熊本地震はいつになったら収束するのか予測できません。同時多発に大きな地震が起こることは、専門家にしても初めてのことで、地下で何がおこっているのかわからないようです。自然には解明ていないことが多く、地震の予知など科学的にできていません。非難されている皆さんには、先が見通せない恐怖に毎日さらされていることでしょう。もし今の状態で原発に被害が及び、避難命令が出たとして、どこを通ってどこへ再避難したらいいのか。不安はつきません。

平時において危機に備えるのが政治家の仕事で、国民の平和と命を守るために新安保法案は必要だとの説明をしていたような気がします。この地震で避難している国民の多くが、原発事故が追い打ちをかけるのではないかとの強い不安を抱いています。国民の不安を取り除くのが政治家の役割だとしたら、なぜ稼働中の原発を一時停止させることができないのでしょう。原子力規制委員会が安全だといっているから、止める必要がないという論理は、もし事故があったら原子力規制委員会の判断が間違っていたのだ、と責任の所在を政治家にもってこない根拠にして、稼働させています。今のところ問題はないから稼働させていいという論理は、何か問題があるまで稼働させるということになります、しかし大規模災害時には問題があってからでは間に合わないのは既に経験済みです。ここで原発を止めたら電気料金が上がるなら上がりますといえばいいし、電気が足りなくなりますよというなら、そういえばいい。問題がないから稼働するでは、国民の不安は収まりません。

縄文時代には九州で超大規模な火山の爆発があって関東まで火山灰が達し、九州の縄文文化は壊滅したということが、わかっています。わずかな人類の歴史だけで、地球の動きを判断できないはずです。原子力安全委員会の安全の判断基準はどうやって定められたのでしょう。未知の事が多い地球の動きを、浅はかな人間が判断するなど、本来はできないはずです。1日の許容される被ばく線量を、時の都合で上げ下げできるのですから、基準など意味がありません。


震災に思う

2016-04-17 08:59:36 | その他

また大きく連続的な地震が九州で起きています。被災された皆さんにお見舞い申し上げますし、今この時間も避難所に、車の中に非難されている生活している方がたくさんいます。江戸時代の地震のきろくによれば、東北、熊本と続いた地震は、伊豆を中心とした関東の地震となったといいます。その通りになったとしたら、恐ろしい事です。日本中が被災地となってしまいます。今でも、この国の北と南で大きな被害があるわけですが、なぜか政治家の住んでいる関東ではまだ起こっていませんから、対応はどこか他人ごとですね。これだけ大きな地震が繰り返しても、原発は停止しないで動いています。原発地下で直下型地震が起こったら、また想定外だというのでしょうか。腹立たしい事です。

NHKでニュースを見ていますと、前から思っていましたが今回特に安倍の長時間にわたる談話を放映していました。夏の選挙の前に政権の力をPRする絶好の機会だととらえたのでしょう。ひどい話です。あんなものは要点だけ、政府が何するか端的に述べればテロップだっていいんです。オリンピックなぞ、金かけてやってる場合でしょうかね。

私も緊張感がなくなっていましたので、震災グッズを確認しました。車の中のデイパックの中は、すぐに学校に行って泊まりこまれるように用意した着替えでした。もう不必要ですので、もっと一般的な用品に変えました。それでわからなくなったのは、自宅に常備の震災用品と持ち出し用のデイパックとの、中味の違いはあるのか、同じものを用意しておけばいいのかということでした。備蓄食料は多くは自宅に置くとして、それ以外の物です。結局、同じような物を分離してデイパックに入れ車の中に置くことにしたのですが、皆さんどうしているんでしょうか。点検してみて思ったのは、消費期限のある物は定期的に入れ替えが必要だということです。特に感じたのは電池でした。


花見

2016-04-15 18:26:24 | 歴史

松本市の西北、安曇野との境に城山公園があります。松本城のお堀とともに、松本の桜の名所となっています。市内の桜は散ってしまいましたが、城山は標高が多少なりとも高いので、3~4日は遅く咲きます。まだ咲いているだろうと、ハイキングをかねて花見に行きました。満開は過ぎていましたが十分花見ができました。そして何度か来ているのに気が付かなかった案内板を見て驚きました。この公園は1840年ころ、松本の殿さまが梅や桜を植えさせて町民のために開放したことから始まったというのです。江戸時代の藩主って、そんないきなこともしたんですね。なかなか善政だと思ったのですが、恐ろしいことにも気が付きました。城山への上り口には刑場がありました。それどころか、貞享騒動で処刑された多くの人々、子供までいたのですが、はここに埋められていたのです。何とも皮肉なというか、支配の恐ろしさというか、処刑地を通過して花見をしていた江戸時代の人々は、桜の木の下には死体が埋まっているとの言葉通りに知っていたのでしょうか。

城山からは更に上のアルプス公園に遊歩道がつながっています。その途中に、北アルプスと安曇野を展望できるスポットがあります。ここから見る景色を、私は好きです。

  

右の写真はアルプス公園で見つけたしだれ桜の説明。泉小太郎というのは松本・安曇の創生主です。一面の湖だったこの地の水を龍に乗って横切り、信州新町で堀割って犀川として水を流し、広々とした平としたというのです。その小太郎はふもとの法光寺で育ったことになっており、植えた桜がこれだというのです。太古の昔の伝説の主人公が植えた桜だと看板を出してしまうのがすごいです。私は見に行く気になれませんでした。


聞き書きでどこまで遡れるか

2016-04-13 14:20:26 | 民俗学

昨年、公民館の講座で民俗学について話すことを依頼されました。そこで、政治の変化と生活の変化は連動せず、生活の変化はこれまでに3回あったと考えられる。最初は応仁の乱で次は敗戦時、そして今現在の3回だ。民俗学的方法で遡れるのは応仁の乱までだと柳田もいっている。みたいなことを前ふりとして、現代の葬儀の急激な変化と墓石について皆が困っていることについて話しました。要は民俗といえば、予定調和的に過去を取り上げるが、そうではなくて民俗といえども変化し、これが原型だといえるものはないのだという趣旨のことを、わかってもらいたかったのです。話し終わっての意見として参加者から、今日の話は良くない、変わっていくというようなことだったが、いいことはいいといって残すようなことを民俗学としてしてほしいといわれました。私は、良い悪いとか残す残さないは学問が決めるのではなく、当事者であるみなさん自身が決めることで、学問は記録することが使命だとお答えしました。

この時の話を文字起こししていただきました。文字にして残す以上は、出典も明らかにし信用できる形に整える必要があります。そこで、必要な個所の出典にあたっているのですが、困ったことがありました。前ふりで触れてしまった、民俗学で遡ることができるのは応仁の乱までだと、柳田は何で述べているのか、見つけられないのです。応仁の乱までだというのは、しっかり私の頭に刷り込まれています。手近にある概説書や底本柳田國男集の索引で応仁の乱をひいて、該当箇所に当たってもみましたがヒットしませんでした。ということは、柳田は民俗学では応仁の乱までしか遡れないといったというのは、私の勝手な思い込みに過ぎなかったのでしょうか。だとすれば、なぜ自分がそう思い込んだのか、誰かが書いていたのかが気になります。


親族を助ける感覚

2016-04-10 17:38:05 | 政治

随分以前に出版された、林郁著『満洲・その幻の国ゆえに 中国残留妻と孤児の記録』 という本を最近になって読みました。満洲とはいうまでもなく、軍国日本が中国東北区に設立した傀儡国家で、数十年だけ存在して消え去った幻の国です。本気で五族協和を夢見て満洲に渡った文化人は何人もいましたし、日本民族学のルーツもそこにあります。長野県は信濃教育会の教員赤化事件(赤といってことさら共産党への恐怖心をあおったようで、共産思想のみならず自由主義的な考えや労働運動を根こそぎにしようとしたものでありましたが)への組織の生き残りをかけた対応から、率先して満洲に子どもたちを送るということもありました。満洲開拓民の敗戦後の集団自決、置き去りにされた孤児の問題など、大きな課題をかかえて70年が過ぎてきました。

この本の終わりのほうに、親を頼って帰国した孤児(大人になって人の子の親でも孤児というのもおかしいですが)の方の、恋焦がれて母国と実の親のもとに一時帰国した際の、日中の文化の違いによる親族の間の心のすれ違いや葛藤について書かれていました。ドキュメントですから、たとえ仮名かもしれませんが書いてあることは真実でしょう。その文化の違いによる葛藤というのは、私は家族観・一族感の違いだと思いました。離れて育ったにしても血のつながった家族なのだから、1つの食べ物を分け合うように養いあうのは当たり前じゃないか、狭い家でも皆が同じ場所にいるのが当たり前じゃないか、家族なのだから誰の物であろうと皆で使うのがあたりまえ。といった中国での感覚と、日本の感覚とにズレがあって、生活をしているうちに軋轢がうまれたのです。多分、中国の人々は親族で助け合って、また長い苦難の歴史がありましたから、助け合わなければ生きてこれなかったのではないかと思います。だから、一族で出世した人があると、その人は一族を養わなければならないし、だから一族で出世できそうな者がいれば皆で支えてきたのです。

こんな風に思っていたら、例のパナマ文書に、中国の首相の姉の夫が税金逃れに設立した会社に出資していると。また、共産党の指導部の何人かの名前も出ているといいます。政権はやっきとなって情報を秘匿しているようですが、隠せるものではないでしょう。庶民は怒るといいますが、こうしたことは中国人の感情からいえば、自分ができなかったから怒っているが、同じ立場に自分がなったら、親族のための蓄財をするのではないでしょうか。家族、親族を重んずる中国人の心情はそう簡単には変わらないのではないかと思います。


大相撲を見る

2016-04-08 09:04:43 | 民俗学

大相撲の地方巡業が松本のやってきました。4月からは自分の時間が自由になりますから、観戦に行ってきました。生で相撲取りと相撲の試合を見るのは初めてでしたので、間近で見るその大きさに圧倒されました。とれた席は前から17列目というところで、土俵は高く作ってありますから、下から見上げるような形となり、もっと遠くてもスタンド席の方がむしろ見やすかったかと思いました。位の低い人たちの対戦からでしたが、相撲取りは上に上がるにしたがって、体が締まり肌の色つやもよくなることがわかりました。それはどういうことでしょうか。食べるものも違っているのか、苦労が多いのか、自信のなさなのか。また、下ほど立ち合いの当たりが弱く、ケガをしないように加減しているのではないかと思われました。実際、巡業で本気出してケガをして、本場所に欠場したのでは給料が上がりませんからね。

幕内の対戦は見ごたえがありました。口をすすぎ塩をまき対戦に臨む姿に、相撲は神事だと思いました。そして、横綱の土俵入りにそのことを強く思わされました、柏手を打ち筋肉を緊張させて四股を踏み、邪気を抑え込もうとする姿は、すばらしいものでした。幼子を力士に抱いてもらい丈夫に育つように邪気を払ってもらおうとする姿も随所にみられました。相撲は神事なのでした。

  


規制緩和とは

2016-04-06 21:04:20 | 政治

 私はこれまで、規制緩和とは杓子定規な行政のきまりを改め、より庶民の現実に近い形にして、経済活動を盛んにするものと思ってきました。ところが、最近の施策を見る限る定義が間違っているのです。

 というのは、最近では保育所の入所待ちの人が多すぎると批判を受けた政府が、保育士者一人当たりみる子供の数を増やしました。また、外国人旅行客が激増しているからという理由で、土地面積当たりの宿泊施設の収容人数面積を増やしました。これらの基準は多分、安全面などから定められたものでしょうが、原則を変えずに、つまり見直さずに表面的な数だけ増やしているのです。それだけ現場の負担を強いるのか利用者に安全面のリスクを押し付けるかのどちらかでしかありません。同じことが、福島原発のメルトダウンの時もありました。作業を進めるために、一人当たりの一日の被爆線量の合計の値を引き上げたことがありました。これって、それまで健康へのリスクを配慮してやってきたのに、いきなり腰だめで被爆線量を引き上げたのですから、ご都合主義だといわれざるをえないでしょう。これでは、規制緩和、そもそもの規制の基準値とは何かと問われます。