民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

寅さんと北の国からと3丁目の夕陽

2006-12-10 11:51:28 | 民俗学
以前に、寅さんと北の国からを漂泊と定住の視点から論じたことがあります。「寅さん」は言うまでもなく漂泊する寅を主人公に、定住するサクラなどとの関わりを描いた物語です。「北の国から」は定住するゴローを主人公に描いていますが、ゴローの影には定住を嫌って去った妻の影があります。そして、寅さんには笑い、北の国からには涙がつきものです。共通するのは、登場人物たちの過剰といえる人間関係の濃さです。
先日、3丁目の夕陽をテレビで見ました。私の近辺で育った監督の映画ですし、昭和のレトロブームにのったというか、作ったというか、映画ですので興味深く見ました。昭和30年代を知らない人々にも人気を博するのはなぜか。もっといえば、昭和という時代に今の人々が郷愁を感ずるのはなぜなのか。気になるところです。テレビは少しだけ雰囲気を見るつもりが、結局最後まで見てしまいました。自分の分類では、寅さん系の笑いのドラマですが、定住者の物語です。あの自動車修理工場が舞台ならそうですが、今後青森から就職にでてきたロクチャンが主人公になれば漂泊の物語となる可能性もありますが、ロクチャンはどこかに定住しそうですのでそうはならんでしょう。
3丁目は監督の描いた仮想30年代ですが、時代の雰囲気をよく描いています。まるであの時代を生きていたかのようですので、監督と言うものは恐ろしいものです。

発想の貧困か

2006-12-03 10:10:07 | その他
 京都紀行もこんなに時間が経過すると、鮮度を失って書けなくなってしまう。日々の労働の中で、発想や思考やもちろん表現する時間も吸い取られてしまう。2つだけ京都で感じたことを加えておこう。
 まず、仏像が奈良なら庭を見るのは京都といわれているが、京の庭の風情は苔にあることを痛感した。今回京都で見た庭のいずれもが、緑美しい苔でおおわれていた。なぜあんなに美しいこけが育つのか不思議だが、きっと保護し育てているのだろう。2つめ。たまたま訪れた古本市で、O氏の著書をみつけた。民俗学にみきりをつけ、フリーライターになってどうしているのかと思ったら、まだ民俗学者として書いていた。今更民俗学などといわず、もっと突き抜けて文明批評でも書けばよいのに、あいかわらずの主述のはっきりしないダラダラ文体で民俗周辺を書き散らしていたのである。
 そして、京都の問いを、先日横浜で解いた。例のホワイトナイルビールの味である。なぜか焼きたてパンの匂いがすると書いた。そのことである。横浜のキリンビールの工場を見学すると、ビールの歴史の展示があり、エジプト文明で作ったビールの解説もあった。そこには、古代エジプトでは焼いたパンよちぎって発酵させ、ビールを作っていたとあった。エジプトではパンの酵母とビールの酵母が近いものだったのだ。自分の嗅覚に誤りがなかったことを発見し、人知れず感動した。
 本題の発想の貧困。Y社の原稿が進まずほとほと困っている。こんな駄文書いている間に1行でもかけばよいのだが、構想をまとめているともう時間切れ、という日々がくりかえされている。せめて1週間、丸々自由になる時間があって、缶詰にでもならなければまとまって仕事ができない。アーナントカシテクレー。