民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

天皇の代替わりと改元の喧騒

2019-05-17 14:43:10 | 民俗学

ようやく世の中が静かになりました。それにしても、代替わりと改元についてのマスコミのはしゃぎぶりは何だったのでしょうか。現政権の提灯持ちを喜んで行うマスコミには、今後何の期待も持てません。

前天皇の発言から始まった、退位と新天皇の即位について、進歩派保守派入り乱れての論評があり、簡単には論じられませんでした。そもそも天皇は退位などありえない、天皇も人間だ、天皇こそが戦争責任について誠実に向き合っている、勝手に象徴天皇の仕事を増やしておいてできなくなったから退位を希望するなど論外だ、そもそも天皇が自分の地位について自分の考えを述べるなど憲法違反だ、等々。今回の発言では憲法に違反している天皇が、現政権以上に平和憲法を遵守しようとしていること、天皇制フェチの保守派に対して、天皇自身はリベラルに見えることが、議論を複雑にしています。天皇は本当にリベラルなのでしょうか。

私は前天皇・現天皇のしてきた、しようとする行為は傍から見たら一見リベラルのように思われるが、実は右だとか左だとかいう行為の判断とは全く別の価値基準で彼らは行動していると私には思われます。それは、天皇家の存続です。天皇家を存続させるためなら右にも左にもなるというのが、彼らの価値観です。そのために昭和天皇は沖縄を放棄したのです。

天皇家が存続するには、国民の支持を取り続けることです。税金で彼らの暮らしが成り立っている以上、それは当然のことです。国民に愛される天皇家として存続をはかったのが平成天皇でした。それは成功したといえます。今後も天皇家の存続のために女性天皇の提案が、天皇家からなされるかもしれません。間違えてはならないのは、全ては天皇家の存続が命題であるという点です。

元号については、もし元号を認めるとしたら天皇の時間支配を認めるということです。わかりやすくいえば、元号は天皇が決めなければならず、民主的に話し合ってとか、行政の長だとかが決めるというものではありません。今回、安部首相が決めたというのは間違っています。民主的にきめたという形をとらなければいけないなら、元号は廃止すべきです。安部首相の権威を高めるだけであった元号など意味がありません。元号を使うというなら、天皇が決めて発表しなければならないものなのです。

ながく更新をしないままでした。なかなか書く時間がなくて。そこで、短い近況報告のようなものは、フェイスブックを開設したので、そちらに書いていこうと思います。こちらには、少し長い論評だけをアップします。ということで、フェイスブックの方もご覧ください。